深川

芭蕉記念館から隅田川のながめ(清洲橋)

 隅田川ってこんなに広いのか,とはじめて知った。とてもいいながめ。門前仲町から富岡八幡,採茶庵跡,清澄庭園,深川江戸資料館と歩いて,芭蕉記念館へ。江戸の下町の風情が残るいい散歩コースである。
芭蕉稲荷神社,芭蕉庵跡の碑

 隅田川とその運河である小名木川のほとり,にある。なるほど水のあるところを好む芭蕉らしい土地がらが,訪ねてみてよく分かった。同じように,ゆかりの地巡りをしているらしい人たちがたくさんいた。
芭蕉稲荷神社,「ふる池や」の句碑

 ここまで来る間に,芭蕉塚蒐の句碑,6基を確認。これは,芭蕉塚蒐にない平成6年建立の碑である。芭蕉生誕350年記念とある。一方,深川江戸資料館のそばにある勢至院というお寺の「草の戸も」の句碑F13037はなくなっていた。お寺の増築の際,処分してしまったそうである。句碑巡りという因果なことを,はじめてしまったのを,またしても後悔している。
墨田区千歳の要津寺にある雪中庵関係の碑

 左が安永二年(1773)雪中庵蓼太(りょうた)建立の「ふる池や」の句碑,右は宝暦十三年(1763)同じく蓼太建立の芭蕉翁俤(おもかげ)塚。雪中庵というのは蕉門の嵐雪の門のことで,蓼太はその三世を名乗ったというが,やたらに自分の句を併記した句碑を建立している。句碑巡りで必ず出会う名前だ。芭蕉没後もこのあたりは蕉門が受け継がれた土地らしい。
江東区森下長慶寺にある時雨塚(戦災消滅)
 
 碑は昭和二十年の戦災で破壊されて,基部のみが保存されている。江戸唯一の芭蕉塚であったという。詳しくは,「芭蕉塚蒐」第三分冊あとがきを参照していただきたい。
 最近,横浜駅に近い大綱金刀比羅神社の句碑F14003も崖崩れで埋まって放棄されていることを確認した。こういった芭蕉塚の行く末も,その数の多さから生じるとはいえ,無惨な思いにかられてしまう。
江東区大島の稲荷神社にある女木塚(をなぎつか)

 左が女木塚(其月庵社中建立)此の地ゆかりの句「秋に添て行はや末ハ小松川」が刻まれている。右は平成元年建立の「五月雨を」の句碑,中央は平成13年に建てられた芭蕉像で,色々新しく建てられるものである。
 だから,句碑巡りなどきりがない,というのである。
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