大連・旅順・哈爾浜・長春・瀋陽 2000年12月23日〜27日

 冬に中国東北部へ行くということになった。厳寒のハルピンはマイナス20度の世界、寒かったが印象的でした。

12月23日(土) 10:30発
12:50着

JL-797

バス
寝台列車
空路大連へ
大連
旅順 二百三高地
ハルピンへ
(車中泊)
12月24日(日) 午前

午後
バス

列車
侵華日軍731部隊
罪証陳列館見学
長春へ
(長春泊)
12月25日(月) 午前

午後
バス

列車
吉林省博物館・偽故宮
長春映画製作所
瀋陽へ
張作霖爆殺現場
(瀋陽泊)
12月26日(火) 午前

午後
バス

列車
瀋陽故宮
918事変(柳条溝)博物館
大連へ
12月27日 午前

14:10発
17:45着
バス

JL -798
大連市内観光

成田へ
 大連からハルピンまで、結局悪名高い、日帝の満州国の遺跡を訪ねる旅になった。
 この道はいつか来た道にならないように、日露戦争からはじまる。

 ←旅順の二百三高地
 ハルピンまでは夜行列車である。中国では「軟臥」というのが、1等車のことだが、暖房は石炭を燃やして各コンパートメントを暖めるようだ。設備というか、サービスというかいまだにそんなものなのが中国なので寒い。

 
 夜が明けて、東北の大地に日が昇る。
 朝のハルピン駅。
 寒い。
 ガイドも、こんなところへ何しに来たのか、という応対で、我々は731部隊の博物館に行きたいと言っても、遠いからどうのこうの言っていた。
 日軍731部隊罪証陳列館という名のごとく、すごい展示である。日本人がやったんだ!というメッセージはほかでもあるが、悪いやつはどこにでもいると思ってもらえないものか。
 それにしても、丸太(人体実験)とか、細菌兵器とか、やってしまう人間の興味みたいなものは、きっとなくならないのじゃないか。韓国でもそうだが、展示のおどろおどろしさに反対にそれが表現されている気がする。
 瀋陽のホテルに着いてから、タクシーで出かけた張作霖爆殺現場。ナイトショットで撮影。
 線路が、立体交差しているところで、たまたま上を列車が通りすぎた。暗闇の中で、関東軍が爆薬を仕掛けていた当時を想う。
 9.18(チューイーパー)事変(満州事変)博物館の碑

 満州事変が起こった(起こした?)柳条湖のそばに立つ、立派な博物館だった。手前の横になった三叉の石塔が日本軍の立てた記念碑。
 また、悪いのは日本人なのだが、展示のセンスも内容も良くできているな、と感心した。

 日本にも、戦争を忘れないという意味で、広島や長崎、沖縄の平和記念館などがあるが、東京にもおどろおどろしい戦争博物館があってもいいと思う。そういうことやらないところが、日本が批判される遠因じゃないだろうか。
小泉首相の肩を持つわけではないが‥‥。