国道246に沿って

 住処が川崎の国道246沿いになって,引っ越しやらでばたばたしていたが,久々に句碑巡りを再開した。昨年購入して出かける暇もなく使えなかったハンディGPSを自転車に取り付け,ナビゲーションを起動させてでかけた。
 川崎市溝ノ口にある宗隆寺の「世を旅に代かく小田のゆきもとり」の句碑
 文政12年(1829)建立。大山街道の多摩川を渡ったすぐの多摩丘陵の突端の麓にあり,七面山と名付けられた裏山の頂上にあったもの。この山(標高30mほど)は寺内の敷地で,登ることができないように柵で仕切られているが,西側にまわって登れるところまでいくと眺望が利いて富士山もよく見える。七面山という名の由来も分かる気がした。大山詣を旅とした当時には名所だったに違いない。句碑はこのあたりで江戸時代から繁盛していた生薬屋「灰吹屋」の二代目鈴木仁兵衛がたてたという。
 世田谷区用賀にある,眞福寺の「みちの邊の木槿は馬に喰われけり」の碑。GPSで目的地にたどり着けるのは楽しい。方向と距離が示されるのに従って角角を進んでいくと,お寺が見つかる。地図を見ないでもたどり着くから,面白い。
 自転車に取り付けたハンディGPS,GARMIN社製geko201。もっとも軽量だが必要な機能は充分に備わっている。2万円前後。12月に日本語対応も発売された。フリーソフト「カシミール」で事前にウェイポイント(目的地)をアップロードしてナビゲーションすることができ,帰ってからトラック(軌跡)をダウンロードして地図上に表示できる。こんなおもちゃみたいなもので,地球上の一点を特定できるなんてうそのようだ。

東京の地理に不案内な方には申し訳ないが,渋谷といえば東京でも有数の繁華街である。この渋谷近くに芭蕉句碑が2カ所ある。今回はじめて訪ねた私も含め,知っている人は少ないだろう。地図を調べたらなんと宮益坂の渋谷郵便局の脇に御嶽神社などというのがある。行ってみたら,ご覧のような,ビルの谷間にコンクリートと花崗岩でできた神社があった。

「眼にかゝる時や殊更さ月不二」の句碑。
文政
8年(1825)建立

 もう一カ所は,金王八幡神社。六本木通りを挟んで東邦生命ビルの反対側にある。ここの青山通りの坂を金王坂というのに気がついた。参道にあたる鳥居はずいぶん大きく,由緒もある神社であった。
 「しはらくハ花のうへなる月夜かな」の句碑。文化
14年(1817)建立

 ウェイポイント(目的地)をハンディGPS(以下単にGPSと呼ぶ)に入力するには,パソコンでカシミールを起動し,ブラウザに示される国土地理院の2.5万分の1地形図上でその場所をクリックするのだが,芭蕉塚蒐に書かれている寺や神社はどこだか分からない。それでお寺や神社の名前まで載っている大縮尺地図(Web上の地図ページなど)と照らし合わせるのだが,それがちょっと面倒である。また2.5万だと卍の記号の中心が寺の敷地のどこかまでは分からない。GPSの精度はおよそ10mくらいであり,2.5万ではそれが0.4mmになるから,この方法でナビゲーションすると,さらに建物一区画分くらいはウェイポイントに誤差が含まれることになる。ビルが立て込んで見通しの悪い,次の青山周辺の龍巌寺と海蔵寺では入り口を探すのに狭い路地を行きつ戻りつ往生した。見通しが利けばなんてことはないはずなのだが。ちなみに目的地に着いたら衛星から求められた緯度経度の正確な値を改めてウェイポイントとしてGPSに入力しておく。

龍巌寺はちょっと荒れ果てた感じで,今時の都会のお寺にしては本堂なども古めいた木造であった。山門が閉ざされていたが,中に人の気配があるので,声をかけ理由を説明して入れてもらった。ただし,句碑の写真は撮らないでくれと言う。はてこんなことを言われたのは始めてで,案内してもらうと,「春もややけしき調ふ月と梅」の句碑の上半分が崩れてなくなっており,さらにひび割れているので,触っても壊れそうな状態である。戦災で焼けたためと,何かの御利益があるとの噂でかけらを持ち去ってしまう人がいるとのことで,無惨なことである。戦前には,芭蕉の設計した茶室があったそうで,句碑も100回忌に建てられており,ゆかりの深い寺であるらしい。

 一方,海蔵寺は対照的にビルと化した寺だ。神宮球場へ行く通りに面して目立つのに,たどり着くのに苦労した。
 「夏来ても只ひとつ葉の一葉哉」の句碑は文化14年(1817)のものの新しい複製とともに置かれていた。また,上部が失われた「蝶鳥もしらぬ花あり秋のそら」の句碑(F13004)と思われるものもあった。
文化14年製と思われる碑 碑の形も字も複製してある
 なかなかよい句碑巡りができた。自転車にGPS,かっこいいではないか。今まで何気なく車で走った場所も,自転車だと勾配がよく分かる。職業柄,地形の知識があるのだが,渋谷が渋谷川のながれる谷地形であると認識している人は少ないのではないか。
 この周辺の句碑として,外苑西大通りを下って天現寺にまわった。渋谷川の低地に向かって緩い勾配の坂を気持ちよく下ったらすぐに着いた。
 「一里はみな花守の子孫かや」の句碑,文政6年(1823)建立。

 このまま渋谷川に沿って下っていけば,麻布の東京天文台跡,日本経緯度原点が近い。GPS付きで表敬訪問することにした。

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