品川・川崎(東海道)の句碑

 横浜から国道15号線(旧東海道)で都内までというのは平坦なので自転車でもたいして苦にならずに行くことができる。神奈川から鶴見,川崎と以外に近く,多摩川を渡って,蒲田,大森,やはり疲れたと感じるころ品川まで2時間弱。日本橋まではたどり着かなかった。坂の多い山の手の芭蕉句碑巡りは交通機関利用でいずれするつもりである。
 芝増上寺の宝珠院弁天堂わきにある「古池や蛙飛び込む水の音」の句碑。下の方がすこし埋まっていて,句面が下まで読めない。ほとんど顧みられなくなっているかも。
 
 目黒川をわたる。旧東海道品川宿あたりは,都心に近いわりに昔の街道の面影が残っていて驚いた。
 品川区東大井四丁目にある泊船寺の「いかめしき音やあられの檜笠」の句碑。芭蕉150回忌建立。芭蕉は,何度東海道を行き来したのだろう。あまり,紹介されていないが東海道を上るときにいつも立ち寄った場所らしい,ゆかりの地である。
 
 泊船寺にある芭蕉像安置の碑
 裏に「旅人と我名呼れんはつ時雨 はせを」とある。
 六郷神社にある旧六郷橋橋脚
 多摩川を渡れば,川崎宿。
 川崎宿のはずれ,八丁畷(はっちょうなわて)にある「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」の句碑。芭蕉が最後に江戸を立った時の,門人との別れの場所に近いと伝えられる。今井金吾氏の「今昔東海道独案内」(昭和49年刊)の写真にはこのような屋根囲いは写っていない。
 川崎といえば,川崎大師だが,その境内にも「父母の」の芭蕉句碑がある。
 鶴見川を渡る手前にある市場の一里塚跡。このあたりも街道筋らしさが分かる。ちなみに,原型に近い一里塚を見るなら,保土ヶ谷,戸塚間の権太坂を登り切った境木地蔵の先にある一里塚跡がいい。この近郊で,こんもりとした塚として残されている唯一だと思う。
 鶴見の総持寺を過ぎたところにある,東福寺の「観音の甍見やりつ花の雲」の碑。バカの落書きが情けない。裏に文化十年(1813)二月建立とある。
 神奈川区東神奈川二丁目にある能満寺にある「父母のしきりに恋し雉子の声」の句碑。高野山奥の院の池大雅筆の拓本。ここから横浜駅手前の本覚寺まで,神奈川宿の史跡(幕末のオランダ,イギリス,アメリカ領事館といった)が点在する。神奈川台町の芭蕉塚蒐F14003は崖崩れで消滅していた。


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