三井寺

三井寺の仁王門

 大津周辺には,名所が多い。この日はさらにこの三井寺,近江神宮,を見て坂本へそして堅田の御浮堂まで見ようと考えたのだが,三井寺に来た時点で昼前になっていた。次々と神社仏閣にたどり着いては,句碑を探し,写真を撮り,御朱印をもらい,なんてことをしていると,疲れて見たり感じたりする余裕がなくなってくる。もう少し,のんびり回る旅行にすればよかった。
 
 さて,三井寺は格式からして,東大寺,興福寺,延暦寺にならぶというだけあって,檜皮葺きのこんなに大きな本堂(金堂)を見たのは初めてだ。有名な「三井の晩鐘」の鐘は一突き300円。
 芭蕉塚蒐ではその鐘楼脇に,「三井寺の門たたかはやけふの月」の句碑があるというのだが,少し離れたところにあった。近づいてみるとあの榊莫山の揮毫で新しいものの感じがする。乾氏の著書にはこの句碑が載っていないので,よく分からない。帰ってから,三井寺のホームページをみたら,平成6年に建立したとあった。芭蕉塚蒐の句碑はどこへいったのか?
 金堂の仏像を見学して,弁慶のひきずり鐘だの天皇の産湯だの,御朱印をもらいに観音堂をさがしたり,疲れてなんだかどうでもよくなってきてしまった。
 三井寺の門跡寺院,円満院にある「三井寺の門たたかはやけふの月」の句碑

 三井寺をでて,お昼にしょうとしたのだが,となりの円満院の句碑を見てからと,入っていくと,檀家の集まりかなにかで,人が大勢いる。そのためか拝観口に人がおらず,そのまま庭園や,大津絵美術館など見て回ったが館内の照明がついていない。ひょっとしたら拝観は休みだったのかもしれない。昔の大津絵や円山応挙の絵があったのだが,気もそぞろで出てきたら,句碑があった。
 昔は違ったようだが,鉄筋コンクリートの宿坊(ホテル)やらが立て込んでいて,ずいぶん多角経営している風情になっている。句碑も父のスライドから見ると,せせこましいところに移動された感じ(ロールオーバーするのが30年前)。
 これでお昼にして一息つこうと思ったが,駐車場前の土産屋兼食堂が期待できそうもないので,有名な坂本の本家つる喜そばまで一気に行ってしまうことにした。

坂本

 坂本で宮様御用達のそば屋「つる喜」に入った。昼過ぎだったが満席で,少し待たされた。観光地の一見さん御用達の店もがっかりすることが多いが,有名すぎるのにもあまり期待しないほうがいいのかもしれない。東京から出張の帰りに立ち寄ったという相席になった人が,来ようと思ってもなかなかこれないが坂本はとてもいいところだと,言っていた。
 日吉大社の境内

 全国の日吉神社の総本宮であるからここまで来て訪れないわけにも行かない。山王とか八王子とか日枝とかの由来は,みなここにあるのだろうが,たくさんの社殿の数だけ神様がまつられていて,それぞれどういう関係になっているのかと疑問がわく。数が多すぎる分御利益が薄れるような気もする。
 ただの平日ということもあるが大きい神社なのに我々の他に2人くらいにしか会わなかった。母が,神社よりお寺の方が儲かりそうね,というがその通りだと思う。
 慈賀院門跡の門前にある「叡慮にて賑わう民や庭かまと」の句碑

 芭蕉塚蒐にケーブル坂本駅近く権現川の向こうの杉木立の中にある,となっていたが,ここに移設されたことが乾氏の本に書かれている。句碑とともにこういう情報が守られているのは父も嬉しがることだろう。
 坂本の観光ができない。この日の宿は,まだ決まっていないので坂本に泊まろうかとも思ったが,堅田まで行って気になる句碑を確かめることにする。

堅田

 「鎖あけて月さしいれよ浮御堂」の句碑と浮御堂

 ここはすでに紹介した満月寺からのながめ,対岸のマンションかなにかの建物が30年前と違っている。浮き御堂の土台も木だったようだ。
 堅田にはこの近くに本福寺という寺があり第十一世,十二世住職がそれぞれ千那と角上という芭蕉門下の人である。いずれにせよ,ここは芭蕉ゆかりの地で,琵琶湖大橋がかかる琵琶湖の狭窄部に,昔は渡しがあり,漁港などで栄えた場所でもある。芭蕉もこの辺で舟を浮かべて月見だの,句会だのを楽しんだという。
 芭蕉塚蒐では本福寺に2つの句碑(三翁碑と病雁の句碑)があることになっているが,乾氏の本によると,新しい句碑が増えているらしい。本福寺を訪れてみると,ほぼ完成に近い本堂の建築中であった。近年本堂が火災にあったという。新しい「からさきの松は花よりおぼろにて」の句碑を見つけたがそれ以外はどこにあるのか分からない。工事の関係と思われる人に聞くと,住職を呼んでくれた。境内にある幼稚園の園長さんでもあった。 
 本福寺の「病雁の夜寒に落ちて旅寝哉」の句碑

 案内して頂くと,本堂の裏の御自宅の庭に二つの碑があった。
 お礼をいって写真を撮らせてもらったが,真新しく建てられたコンクリート製の本堂を眺めて,複雑な思いがした。こんなことまでして,句碑を探していったい何なのかという気分。さまざまな事情があるにしても,風雅とは縁遠いような変化の激しい風景。それにしても,芭蕉の句碑は数が多すぎる。古いものから新しいものまで,守られているものもあれば,邪魔物扱いされるものもある。句碑探しの旅は,もういい加減にしなければと,つくづく思ったのでした。
 
 
 もちろん堅田はまだまだ昔の風情が残るとてもいいところだ。観光地だが,あまり大勢が来るところではないし,穴場のような気がする。JR湖西線の堅田駅前にある結構ゆったりしたビジネスホテルに着き,ようやく一息ついた。次の日は朝早くでて,比叡山を越え,なるべくゆっくり京都見物をすることにした。

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