岐阜の句碑探訪
3.長良川周辺

此のあたり目に見ゆるものは皆涼し

 泊まった旅館「鵜匠の家すぎ山」からの眺め。ここで5月から10月にかけて毎晩鵜飼い漁が行われている。芭蕉の俳文「十八楼の記」に書かれているのがこのような景色だろうか。その名も「十八楼」というホテルもこの対岸の少し下流にあって,はじめはそこに泊まってみたかったのであるが,あいにく予約がとれなかった。しかし,眺めはこちらの宿の方が良かったし,鵜飼い観覧船の船着き場にもなっていて,料理も温泉もなかなか良かった。

 夜,かがり火のなかで繰り広げられる鵜飼いを楽しむ観覧船は,一幅の絵巻を見るような風情を鮎の味とともに堪能することができる。奈良時代から続く伝統とともに信長や家康のような権力者,天皇家,芭蕉をはじめとする数々の文人にも愛されてきたという。 

 
 まだ日のある午後6時から船に乗り,すこし上流の川岸に係留して船の上でお弁当を食べる。10隻ほどの観光船がならび,しばらくするとその間を縫うように「花火」を売る船や,「鮎の塩焼き」を専門にしていて,各船に配る船などが近づいてくる。当然,ビールやお酒を注文する人も多い。乗る前からトイレはどうするのか気になったが,トイレ船も川岸に係留されていて,河原におりて行くことができる。河原でバーベキューをするときの感じにも近いが,水の上なので川風がとても涼しい。

 7:30,ほろ酔い加減になった頃,かがり火をたいた鵜飼い船が上流から近づいてきて,いよいよ鵜飼い漁がはじまった。6隻の鵜飼い船にあわせて併走するように観光船も順にこぎ出していく。鵜匠が鵜を引き上げるところをよく見てください,などと言われたが暗がりで鮎をはき出させるところまではよく見えなかった。それでも「ホーホーホー」というかけ声とともに一緒に漁をしているような気がしてくる近さで,夢中でカメラのフラッシュを焚いた。もしかしたら漁の邪魔になっていたのではないかと思う。
 10分ほどの短い時間だったと思うが,長良橋の袂まで下ると,もう一度鵜船は上流へ行き,総がらみといって6隻が横一列に並んで観覧船の前を通りすぎるときに拍手が上がる。最後に,それぞれの鵜飼い船が観覧船の前にきて,鵜匠さんたち(鵜匠,なかのり,とものり)の紹介が行われるが,私は鮎を捕ったのは鵜ではないかと思い,鵜たちにご苦労様と言ってあげたかった。

ホテル十八楼 ロビーの外庭にある「このあたり目に見ゆるもの‥」の句碑

 さて,「此のあたり目に見ゆるもの(は)皆涼し」の句碑であるが,芭蕉塚蒐には岐阜市内に4つあることになっている(F21001,F21003,F21004,F21008)。ホテルでもらった岐阜市観光コンベンション協会の「句碑を訪ねて」というパンフレットには,現在はこの句碑(F21003)しか載せられていない。F21001の小川旅館のものが本来十八楼と呼ばれていた建物にあったものらしい。父のスライドにも由緒書きとともにある。岐阜県の芭蕉句碑(錦江館さん)のHPにあるものと同じである。小川旅館のことを聞いたらすでに廃業してしまったという。あったといわれる場所に行ってみたが何も分からなかった。弘中孝氏による「石に刻まれた芭蕉」にも001の写真があるが,現在行方不明と記されている。寛政12年(1800)に美濃派が建てたものらしいが,最近の写真が残っているのに行方不明というのは,どうもなにか曰くがありそうである。

又たくいながら川の鮎なます 夏来てもただひとつ葉の一葉かな やとりせむあかさの杖になる日まで
神明社 法久寺         妙照寺
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夏来てもただ‥ 城跡や古井の清水先とはむ
金華山山頂付近 岐阜公園三重の塔下
 他にもあるが時間の関係で長良川周辺の句碑を見られるものだけ見てきた。
 大垣も含めやはり,芭蕉は水のある場所,景色を好む。船遊びが好きだなーと思う。ひょっとして,当時徒歩以外の交通手段として,船が楽ちんだなー,と思っていたのではあるまいか。現在の旅行でも,物好きに歩いてみる旅があるが,目的からいえば移動が楽というのが一番である。今回マイカードライブとしても1000kmを越える旅は結構疲れました。

 
 名古屋周辺,伊賀,更科紀行や奥の細道,まだまだ足跡がたくさんある。次回はいつになることか。(2005年8月)