このページについて(2001年7月26日)  もどる    追補(2002年8月)

 このページは私の父,田中昭三が出版した「芭蕉塚蒐」のワープロテキスト原稿をそのまま掲載したものです。昭三は昨年,享年70歳で他界しました。教職の傍ら芭蕉研究を続け,定年後にまとめ上げた芭蕉塚,芭蕉句碑のリストです。資料としての価値は,完璧とはいえないまでも少なからずあるものと思います。

 「はじめに」と「あとがき」を読んで下されば分かるかと思いますが,特定の学問分野の研究ともいえず、出版して商業ベースにのるほどではなく,様々な方のおかげで,自費出版の形で近代文芸社から半分は流通経路に乗せていただき、300部を世に出すことになりました。幸い、その後多くの方から問い合わせや、新しい句碑の情報、間違いなどをご指摘いただいております。

 この「芭蕉塚蒐」を私が見ても、疑問に思うのは、一つ一つの句碑の情報源がわからない点です。一体、自分で見たものなのか、どの文献から調べたのか。生前に問いただしたところ、それを載せるのは無理だと、言っていました。確かに、本人曰く、一千カ所以上を訪ね、600余冊の本を確かめた中で、一つ一つの情報に注釈をつけるのは、難しいかもしれません。しかし、せめて参考文献のリスト、自分で確認したかの有無くらいつける方が、読者も安心なのではないかと思います。

 また、全国に二千四百四十何基と言いますが、この数はあくまで暫定的かつ恣意的な数字といえるでしょう。この十年ほどでいくつ増えたかわかりませんし、何をもって芭蕉句碑として認めるかが不確定だろうと思います。もちろん、本人が言うように芭蕉塚の性格を重視した上で、現時点の集大成をした価値は大いにあると思います。

 私が、小学生の頃、父は毎年夏休みになると50ccのバイクで東北を1週間ほど旅行していました。奥の細道の行程をたどっていたらしく、先々でのカラースライドを整理しているのをよく見ました。そのほとんどが、句碑のたぐいで、何になるのかと子供ながらに思っていました。家族の旅行は、文献の句碑を確かめるために設けられるもので(芭蕉の足跡は多くが観光地でもあるが)神社や仏閣、寂れた街道筋に引き回されることが多くありました。後年は、通信制高校のスクーリングでの行先々から足をのばして探すことも多かったようです。定年後、私の車で秋田に出かけたとき、東北自動車道のいくつかのパーキングエリアに真新しい芭蕉句碑が道路公団にによって建てられているの知って多少あわてていたのを思い出します。もちろん、これらの句碑も「芭蕉塚蒐」には含められています。

 父が亡くなって、この本に対する問い合わせのお手紙を拝見したり、この本で句碑を訪ねられたりする方も多くあることを聞いて、改めて価値を実感したというのが、愚息の本心です。幸い、ワープロ原稿が残っていましたので(古い機種だったため、変換に手間取りましたが)ホームページに載せることにしました。

 なお、JIS第二水準以外の文字が表示できていない部分がありますが、しばらく訂正・更新を続けていきます。お問い合わせや、疑問、間違いなどがありましたら、ご連絡ください。

芭蕉塚蒐について(追補) 2002年8月26日      もどる

  芭蕉塚蒐という本は開けると素っ気なく芭蕉の句が並んでいるだけで普通のひとは何ごとかと思うだろう。しかし,大きさは四六版,6分冊で各冊は厚さは1cmあまり,透明なビニールカバー付きである。このような形にしたのは,外に持ち歩いて句碑を探すためである。最近,家の近くの芭蕉句碑を,芭蕉塚蒐で探してみた。所在地を地図で確認し現地に行くのだが,すぐ判明するときもあるし,行きつ戻りつ探した上にこんなところに!とかまたは人に聞くなどでようやく見つけられたりする。だがしかし,確かにこの本にあるの情報のとおりで,この本がガイドブックであることを改めて認識した。また,インターネットで検索して,近くにこんな「芭蕉句碑があります」というものを芭蕉塚蒐で探すと,たいてい載っている。良くこれだけ多くの,所在地や碑面の内容,建立年代,建立者まで調べたてまとめたものだと思う。反面,集められた句碑の情報は文献のみによるものも多く,実地に調査すれば間違いや,不明な点,すでに古くなってる情報が多くあるはずである。そんな中インターネットのHPに「滋賀県の芭蕉句碑」というページがあり,その情報が乾憲雄氏によってまとめられたものであることを知った(乾憲雄著「淡海の芭蕉句碑」サンライズ印刷出版部,1994年刊)。本を取り寄せて調べてみると,芭蕉塚蒐に載っていない句碑の情報がたくさんある。ひとつの理由は芭蕉没後300年を記念して,大津市がふるさと創生事業で建立したものが20基近くあるためだが,乾氏の調査収集によるものも20基以上ある。父親の近畿地方への踏査は1991年までで終わっているがその旅行で,大津市内のいくつかは確認していたようである。父親も生前にこの本の存在を知っていたらしく,滋賀県の句碑の追加分がワープロファイルに残っていたので滋賀県のページに大津市内のものをのぞいて追加した(7月23日)。

 今年になって,父親の蔵書をほとんどすべて整理(処分)した。本以外で残ったものは,ノートや新聞雑誌の切り抜き,神社仏閣の由緒書きやパンフレット,それから,2000枚以上のスライドとインデックスである。これらを眺めていたら急に父親の足跡を辿ってみたくなり,この夏母親と彦根,大津義仲寺,幻住庵,三井寺,京都落柿舎などを回ってきた(芭蕉の足跡を訪ねる)。句碑の調査をするつもりはないのだが芭蕉塚蒐と乾氏の本を見比べながら,新しい句碑を見てきたことを父に報告したい思いにかられた。また,土地土地の人々の芭蕉に対する思いを句碑を通じて感じるとることができた。

 しかし,実際に句碑を探し歩いてみると(芭蕉塚蒐のようなガイドブックがあるから探せるのだが),とてもじゃないがすべての句碑を網羅することは不可能だと思った。その理由は,
 @ 句碑は芭蕉ゆかりの地でなくても建立者が芭蕉を偲んでどこにでも立てることができる。
 A その情報は公開されないことも多いし,立てられたときはあったとしても石碑以外の情報は
   すぐに忘れられやすい気がする(石碑は残るから)。
 B 個人(寺などでも)の管理下にあるものは,世代がかわってその気がなければ処分されてしま
   うこともある。
 これらを考えると,全国にまだ発見されていない(紹介されていない)句碑がそうとうあると思う。また,芭蕉塚蒐をたよりに,回っても見つからない句碑も多いに違いない。今回見たものでも,芭蕉没後300年のブームがなければどうなっていたかと思うものがいくつかあった。特に大都市近郊の建物の建築や改築などでなくなるものがあるだろう。良くて移設されるだろうがその情報は次第に埋もれていく。すでに,廃棄されてしまった句碑もあるに違いない。
 それにしても,句碑を見つけ,碑面を読んで(古いものはガイドブックがなければたいてい読めない),芭蕉とその場所に立てた人の芭蕉に対する思いを偲び,その土地の風景と見比べたりすることはとても大きな発見と喜びがある。どうか,芭蕉句碑に限らず石碑のような形で残っている古いものに対する愛惜の念を多くの人が持っていてほしいと思う。

 そして,できればこの芭蕉塚蒐をベースに情報を更新していける状況を作りたいと考えている。
 

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