27‐01‐0356
F 27001
し ら 菊 の 目 に 立 て 見 る 塵 も な し 翁
梅室拜書
陰 天保十四卯年
爲百五十回忌追福
比良城林曹社中建之
@ 天保十四年(一八四三)百五十回忌
A 林曹社中建立
B 梅室筆
C 大阪市北区太融寺町 高野山真言宗準別格本山佳木山太融寺
D 梅室=前出P.0056
F 27002
☆存疑
行 年 や 藥 に 見 た き 梅 の 花 芭蕉翁
陰 萬延元年庚申五月/馬田江門人建之
@ 万延元年(一八六〇)五月
A 馬田江門人陽谷梅円建立
C 大阪市北区天神橋二丁目 大阪天満宮
F 27003
☆存疑
楳 咲 て よ ろ こ ふ 鳥 の 氣 色 か な 翁
陰 花本桃靈神/第二百年爲記念建之/明治二十六年冬
@ 明治二十六年(一八九三)冬二百回忌
C 大阪市北区天神橋二丁目 大阪天満宮境内北側
F 27004
杜 若 語 る も 旅 の ひ と り 哉 はせを
陰 親かとも思ふ夜のあり山の月
文化十一甲戌九月
月夜菴社中建立
@ 文化十一年(一八一四)九月
A 月夜菴社中建立
C 大阪市福島区鷺洲二‐一四 東寺真言宗了徳院(浦江聖天)
D 三津人=松井氏 別号月夜庵・落橙舎・不関居 足蹇者 大坂の人 駝岳門
文政五年(一八二二)八月十五日没か
27‐02‐0357
F 27005
名 月 や 池 を め く り て 夜 も す か ら
梅室拜書
陰 天保甲辰桂秋建 素屋 杜嶋/斑竹 芦室
@ 天保十五年(一八四四)
A 素屋 杜嶋 斑竹 芦室建立
B 梅室筆
C 大阪市福島区鷺洲一丁目 料亭冨竹
D 梅室=前出P.0056
F 27006
杜 若 か た る も 旅 の ひ と つ か な はせを
陰 昭和三十九年甲辰仲夏/北村太源建之/拙斎道人書
@ 昭和三十九年(一九六四)五月
A 北村太源建立
B 櫛田拙斎筆
C 大阪市福島区鷺洲一丁目 料亭冨竹
E 27007
此 附 近 芭 蕉 翁 終 焉 ノ 地 ト 傳 フ
左 昭和九年三月建立大阪府
@ 昭和九年(一九三四)三月
A 大阪府建立
C 大阪市東区南久太郎町四丁目 大和紡績本社ビル前緑地帯
D 花屋仁右衛門宅跡
F 27008
旅 に 病 て ゆ め は 枯 野 を か け ま は る はせを
陰 胡華庵超然紫雪庵宗保呉松庵古齋
@ 天保十四年(一八四三)
A 胡華庵超然 紫雪庵宗保 呉松庵古齋建立
B 脇坂窓明筆
C 大阪市東区北久太郎町四丁目 真宗大谷派難波別院(南御堂)
D はじめ別院内北築山に建立されたが 昭和九年(一九三四)終焉地附近が史
蹟に指定されたので昭和十年(一九三五)五月大阪府建立の翁旧蹟碑のそば
に移され 戦後別院が再興され 昭和三十七年(一九六二)十一月 三たび
別院内の西北隅の築山に移された
F 27009
☆消滅
春 の 夜 は 櫻 に 明 け て し ま ひ け り 翁
@ 文政年間=文政十二年(一八二九)
C 大阪市西区新町 待合多英
27‐03‐0358
A 27010
芭 蕉 翁
陰 寛政癸丑五年十月百回忌
@ 寛政五年(一七九三)十月百回忌
C 大阪市天王寺区夕陽丘町 曹洞宗雲興寺末浄春寺
A 27011
蕉 翁 反 古 塚
陰 寛政五癸丑年十月
百回忌正當再興
@ 寛政五年(一七九三)十月百回忌再建
C 大阪市天王寺区夕陽丘町 曹洞宗雲興寺末浄春寺
F 27012
あ か 〓 〓 と 日 は つ れ な く も 秋 の 風 はせを
左 網子の子の名にやあるらむ杜宇 三津人家父千李
陰 よる夜中見ても櫻は起て居る 三津人
文化丁丑秋/森川竹窓書/山中松年畫/月夜庵建之
右 春風の夜は嵐に亂れ鳧 曉臺
碑面下部 秋草の繪がある
@ 文化十四年(一八一七)
A 月夜庵三津人建立
B 森川竹窓筆 山中松年畫
C 大阪市天王寺区夕陽丘町 大江神社
D 碑面下部に秋草の絵がある 山中松年の筆になる 三津人=前出P.27‐01
曉臺=前出P.0309
A 27013
芭 蕉 翁
@ 享保年間=享保二十年(一七三五)推定
A 野坡の建立か
C 大阪市天王寺区夕陽丘町 曹洞宗鳳林寺末梅旧院
D 野坡=志太氏 本姓竹田氏 通称弥助 号野馬・樗木社・浅茅生庵(浅生庵
) ・無名庵・高津野々翁(無名庵野翁)・秋草舎 元文五年(一七四〇)一
月
三日没七十八歳 福井の商家の生まれ 早く江戸に出て越後屋両替店の番頭
になる 元禄七年(一六九四)に孤屋・利牛と共編で『炭俵』を刊行 宝永
元年(一七〇四)越後屋を辞め大坂に移住 三たび九州に赴くなど 前後十
回近くも遊歴 この間 芭蕉を追福し 十三基を建碑
F 27014
尊 か る な み た や 染 て ち る も み ち はせを
C 大阪市天王寺区下寺町一丁目 浄土宗光明寺末万福寺本堂裏
27‐04‐0359
A 27015
曼倩詼語
相如俳文
芭 蕉 翁 墓
妙辭奇句 眞竹子書
思入風雲
右 淺生庵野坡
私淑浪華後藤梅從甫
洛下額田風從甫 等与建
@ 享保二十年(一七三五)五月
A 野坡建立
B 黄檗佚山眞竹筆
C 大阪市天王寺区下寺町二丁目 時宗円成院(遊行寺)
D 野坡が「世にふるも更に宗〓のやとりかな」の真蹟短冊を埋めて建立 碑面
上部剥脱 野坡=前出P.0358 梅從=後藤氏 号梅花房・市中庵 大阪の人
野坡門代表作家の一人
F 27016
絶筆句
旅 に 病 ん て 夢 は 枯 野 を か け 廻 る はせを
左 円成院五世弁亮師時改墓地來由記(略)
需詠冊在院後來諸君幸覧留眼
陰 天明三年癸卯三月十二日原建願主淺生菴野坡同〓中
重修願主二柳菴桃居同〓中
右 とし經ぬるこゝろはせをやわすれ霜 二柳菴
@ 天明三年(一七八三)三月十二日
A 二柳庵桃居〓中建立
C 大阪市天王寺区下寺町二丁目 時宗円成院(遊行寺)
D 正面はほぼ全体に剥脱 野坡=前出P.0358 二柳=勝見氏 名は充茂 号桃
左・三四坊・二柳庵・不二庵 加賀山中の人 享和三年(一八〇三)三月二
十八日没八十一歳 墓夕陽丘梅旧院 俳諧を桃妖に学び 桃左と号した の
ち桃居と改め 更に希因の門に入り 二柳と改号した 宝暦十二年(一七六
二)四月十二日洛東雙林寺に墨直しの会式を創めた 安永元年(一七七二)
五十歳の時 居を大坂に定めた
A 27017
芭 蕉 翁 之 墓
陰 芭蕉翁姓松尾氏別號桃〓子名甚質以善俳諧風靡于天下元祿甲戌之冬十月十二日卒於浪
華銘曰於〓此叟俳之雄兮卮言日出和以天倪兵部侍郎龍丘併撰
正面台石 湖白菴浮風/与諸国同門/及門葉戮刀/謹建焉/寶暦十一年/〓次辛巳春/正月上浣
@ 宝暦十一年(一七六一)一月
A 湖白菴浮風建立
C 大阪市天王寺区四天王寺 和宗総本山荒陵山敬田院四天王寺薬師堂北墓地
D 浮風=有井氏 軍治義保を名乗る 号湖白庵・千鳥庵 筑前直方藩士 野坡
門 大坂に出て医を業とす 諸九尼の夫 宝暦十二年(一七六二)五月十七
日没六十一歳 先師の無名庵を守り 諸国行脚の後故郷で病没
27‐05‐0360
F 27018
松 風 の 軒 を め く り て 秋 く れ ぬ はせを翁
左 寛政庚申秋茅渟奇淵
陰 正風宗師松風碑賛
をしてるやよし芦のなに波江に
影うかふせの昔ゆかしき
いしふみの石まつかせの
こゝに翁のあとは絶せし
芭蕉三世劣孫不二庵桃居誌
@ 寛政十二年(一八〇〇)秋
A 不二庵桃居建立
C 大阪市天王寺区伶人町 大阪星光学院浮瀬亭俳跡蕉蕪園
D はじめ料亭浮瀬の跡 校庭西南隅の崖縁にあったが 昭和三十八年に正門を
入った右側の芝生に移す 二柳=前出P.0359
F 27019
こ の 道 を 行 人 な し に 秋 の 暮 はせを
陰 元禄七年九月二十六日浮瀬亭で所思と題して詠んだ半歌仙の発句である 書は出光美
術館蔵『曲翠宛書簡』(九月二十五日付)にある芭蕉の真跡である 「此道や」の初
案である 為浮瀬俳跡顕彰芭蕉二百九十年忌追善大阪星光学院高等学校二十八期生卒
業記念として建之/昭和五十八年五月二十四日
@ 昭和五十八年(一九八三)五月二十四日二百九十回忌
A 大阪星光学院高等学校二十八期生
B 真蹟
C 大阪市天王寺区伶人町 大阪星光学院浮瀬亭俳跡蕉蕪園
F 27020
旅 懐
此 秋 は 何 で 年 よ る 雲 に 鳥 芭蕉
陰 元禄七年九月二十六日浮瀬亭で詠んだ句である 書はお茶の水女子大学名誉教授井本
農一先生の揮毫による 為浮瀬俳跡顕彰芭蕉二百九十年忌追善大阪星光学院高等学校
二十九期生卒業記念として建之/昭和五十九年三月一日
@ 昭和五十九年(一九八四)三月一日
A 大阪星光学院高等学校二十九期生
B 井本農一
C 大阪市天王寺区伶人町 大阪星光学院浮瀬亭俳跡蕉蕪園
F 27021
御 命 講 や 油 の や う な 酒 五 升
井左書
陰 爲百五十回忌追〓/芙容庵〓中建立
@ 天保十四年(一八四三)百五十回忌
A 芙容庵〓中建立
B 井左筆
27‐06‐0361
C 大阪市南区谷町八丁目 法華宗本門流妙法寺
C 27022
☆行方不明
(篆額) 芭 蕉 墳
旅に病てゆめはかれ野を馳めくる
花屋庵鼎左書
@ 幕末=慶応三年(一八六七)
B 花屋庵鼎左筆
C 大阪市南区北炭屋町 四つ橋交叉点西北角
D はじめ天王寺秋の坊にあったものを西北角のビヤホールの中庭に移建 戦後
富士銀行になると同時に行方不明 鼎左=前出P.0020
A 27023
芭 蕉 翁
@ 寛政五年(一七九三)百回忌
A 八千房駝岳木僊建立
C 大阪市浪速区元町二丁目 黄檗宗万福寺末瑞龍寺(鉄眼寺)
D 「芭」の字を残すのみ 駝岳=『河図巻』 俳諧撰集 八千坊駝岳編 寛政
六年刊 芭蕉翁の百回忌に当り 難波の瑞龍禅寺の二樹二石の辺に新たに示
標を建て 蛙・夕がほ・蟋蟀の三題を得 諸国俳人がこれを題とした発句を
編集したもの
F 27024
宮 人 よ わ か 名 を ち ら せ 落 葉 川
陰 文化癸酉春二月扇暑建立
@ 文化十年(一八一三)二月
A 三四坊扇暑建立
C 大阪市東淀川区東中島四丁目 中島惣社
F 27025
升 買 て 分 別 か は る 月 見 か な 翁
陰 元治元年甲子〓
@ 元治元年(一八六四)百七十回忌
A 浪花月花社中建立
C 大阪市住之江区浜口東一丁目 住吉公園事務所の傍
A 27026
芭 蕉 翁 墓
陰 大□なく此文墳を還り花 行八十六半時庵
寶暦九己卯十月上浣
@ 宝暦九年(一七五九)十月
A 半時庵其梁建立
B 淡々筆
27‐07‐0362
C 堺市九間町東三丁 日蓮宗妙覚寺末本覚山経王寺
D 淡々=松木氏 別号半時庵 大坂西横堀の生まれ もと商家の出で 早く京
都に出て一傘と号したが 元禄六・七年ころ江戸に出て芭蕉から呂国の号を
得た 元禄十四五年ころ渭北と称し 其角に従い 其角没後淡々と改号 宝
暦十一年(一七六一)大坂に没八十八歳 墓大坂瑞龍寺
F 27027
口 切 や さ か ひ の 庭 そ な つ か し き はせを
陰 文政□巳年□月□□建
@ 文政四年(一八二一)
B 槐蔭喜斎筆
C 堺市南半町東二丁 臨済宗大徳寺派龍興山臨江寺(もと南宗寺塔頭)
F 27028
雲 雀 鳴 中 の 拍 子 や 雉 子 の 聲 はせを
@ 文化二年(一八〇五)七月
A 真如寺当住明誉月桂建立
C 高槻市真上町 浄土宗金戒光明寺末真如寺
F 27029
卯 の 花 や く ら き 柳 の お よ ひ こ し 芭蕉
梅室拜書
陰 天保十四年卯中秋都春造
@ 天保十四年(一八四三)八月百五十回忌
A 都春建立
B 梅室筆
C 高槻市玉川二丁目 玉川の里玉川橋下流
D 梅室=前出P.0056
F 27030
涅 槃 會 や 皺 手 合 す る 珠 數 の 音 翁
陰 嘉永己酉□晩秋建立
@ 嘉永二年(一八四九)秋
C 大東市野崎二丁目 曹洞宗福聚山慈眼寺(野崎観音)西門
F 27031
觀 音 の い ら か 見 や り ぬ 花 の く も 芭蕉翁
陰 精舎に響く鐘かすみけり 七十七翁河城
C 大東市野崎二丁目 曹洞宗福聚山慈眼寺(野崎観音)本堂裏
A 27032
芭 蕉
27‐08‐0363
C 東大阪市字川中 川中共同墓地
D 墓地のほぼ中央 西面
F 27033
菊 の 香 に く ら か り 登 る 節 句 哉
陰 寛政十一年己未十二月吉日椋嶺下來耜建
@ 寛政十一年(一七九九)十二月
A 豊浦の俳人中村來耜建立
C 東大阪市豊浦町 日蓮宗本澄寺末梅龍山勧成院
D はじめ暗 峠にあったが いつしか所在を失った 大正二年(一九一三)八
月十七日の大雨で土砂が押し流され 勧成院の門前で発見された
F 27034
菊 の 香 に く ら か り の ほ る 節 句 か な はせを
あしの丸家貞英書
陰 明治廿二年三月六郷〓再建
@ 明治二十二(一八八九)年三月
A 六郷〓中再建
B あしの丸家貞英筆
C 東大阪市豊浦町 暗峠枚岡公園南口から少し登ったところ