滋 賀 県

 
 
A 25001
芭   蕉   翁
  陰     元祿七甲戌年十月十二日
 
          @ 元禄七年(一六九四)十月十八日
          B 丈草筆
          C 大津市馬場一丁目            天台宗系単立寺院朝日山義仲寺
          D 支考『笈日記』元禄七年(一六九四)十月十八日の条に「湖南江北の門人お
            のおの義仲寺に會して無縫塔を造立す 面には芭蕉翁の三字をしるし背には
            年月日時なり」とある 荼毘に付した記録がないので土葬である 従ってこ
            の日は木碑しか建てられない 木碑の面に其角が芭蕉翁の三字を書き 陰に
            年月日を書いた 数年後石碑にしたとき丈草が三字を書いたと推定される
            また「無縫塔を造立」とあるが 無縫塔というのは 一名卵塔ともいわれ
            卵形で細い方が下になっている 禅宗といわず寺の住職の墓に多い 現在の
            墓石は無縫塔ではない 富山県井波の浄蓮寺黒髪庵に浪化が元禄十四年(一
            七〇一)建立の翁塚がある 正面に「芭蕉翁」とあって その添え書きのよ
            うに「是本邦翁塚之始也矣其角筆」とある この添え書きの意味するところ
            は微妙であり 蝶夢が丈草揮毫説を主張する由縁でもある この木碑を継承
            したものとして元禄七年十月十八日を建立年月日とする 碑は安政三年(一
            八五六)二月七日の義仲寺の火災に倒れ 明治二十九年(一八九六)九月七
            日琵琶湖の水があふれ 碑は二つに折れ それを修復したもの
            丈草=蕉門 内藤林右衛門 幼名林之助 のち庄之助 名は本常 号佛幻庵
            ・懶窩・無懷・無辺・一風・弘句庵 尾張犬山藩士 蒲柳の質で 元禄元年
            異母弟に家督を譲り 上洛遁世 翌二年旧知の史邦の紹介で芭蕉に入門 丈
            草の名が斯界に知られたのは『猿蓑』からで その集の後序まで書いている
            元禄十七年(一七〇四)二月二十四日没四十三歳 墓大津龍が岡俳人墓地
 
A 25002
芭蕉翁伊賀州産姓松尾氏字桃別稱風羅房
鳳尾杖頭錢也其爲人也幼而温純敏而聰瀟洒
似西行花晨月夕放情誹諧千變萬化呻吟謦?
盡吐妙句驚殺天下人所以呼誹道杜子美於戯
宜哉早出故郷遊戯名山舊蹟也到處稱翁受業
者不可勝言也一代所編之誹書記類多盛行于
世元祿七甲戌年初冬十二日五十一歳卒於攝
之浪花上其高弟晋子遵遺命曰樹靈基於江州
義仲寺木曾殿墳墓側今茲寛保三癸亥十月今
日當五十年諱日掃地建石誌翁之顛末關西最
初門人本福寺角上於瞬匕弊亭而爲銘曰
   遊戯風月天 價聲今古傳
   弗□人糟粕 喚爲誹道仙
   葉を配るその根やこゝに冬木立
 
          @ 寛保三年(一七四三)十月十二日五十回忌
          A 本福寺角上建立
          C 大津市馬場一丁目            天台宗系単立寺院朝日山義仲寺
          D 角上=三上明因 号瞬匕亭・夕陽観・百布軒 堅田本福寺十二世住職 千那
            の養子 蕉門 延享四年(一七四七)五月八日没七十三歳
 
F 25003
旅 に 病 て 夢 は 枯 野 を か け 廻 る  芭蕉翁
  陰     明治二十六年爲二百回忌正當供養建之
        發起平安 一道居犂春
        補助湖南 可中庵朴因 浪花 角田萬松 平安 馬場葉舟 湖東 柴田九峰
                   湖北 東野活斎 湖南 無名庵乍昔七十五齡書
 
          @ 明治二十六年(一八九三)二百回忌
          A 無名庵社中建立
          C 大津市馬場一丁目            天台宗系単立寺院朝日山義仲寺
 
F 25004
古 池 や 蛙 飛 こ む 水 の 音  翁
 
          @ 昭和十八年(一九四三)二百五十回忌
          B 方堂筆
          C 大津市馬場一丁目            天台宗系単立寺院朝日山義仲寺
 
F 25005
行 春 を あ ふ み の 人 と お し み け る  芭蕉桃
  陰     昭和三十七年五月十二日建之
        芭蕉本廟義仲寺同人会
 
          @ 昭和三十七年(一九六二)五月十二日二百七十回忌
          A 義仲寺同人会建立
          C 大津市馬場一丁目            天台宗系単立寺院朝日山義仲寺
 
E 25006
昭 和 再 建 碑
  陰     昭和再建落慶誌
        史蹟義仲寺は近時円満院の所管となってより 寺庵荒廃壊滅に瀕し
        両墳墓の存続さへ危い状態にて 県市当局による保存の方策も悉く失敗に終
        った 時に東京都三浦義一翁 京都在住の知人によりこれを知るや 巨額の
        私財を寄進して義仲寺を円満院より分離独立させた 同じ時大分市
        後藤肇氏これを聞き 発奮して大分より工匠職人を率ゐて朽頽の寺庵総
        てを再建整理し 併て造園の工事を終る 昭和四十年十月十二日義仲寺
        無名庵再建落慶法要を挙行 石鼎法師の晋山式と芝蘭子宗匠の
        入庵式を行ふ 天高く晴れ大衆境内に満ち近来の盛儀となる 此度義仲寺
        無名庵昭和再建に当り 東京都大庭勝一氏の奉行の尽力殊に甚大
        であった 昭和四十一年六月四日社団法人義仲寺史蹟保存会発足に当り 義
        仲寺無名庵昭和再建の由来を記し 千秋万歳に史蹟永存を祈願する
             昭和四十一年六月四日  保田与重郎撰文並書
 
          @ 昭和四十一年(一九六六)六月四日
          A 社団法人義仲寺史蹟保存会建立
          B 保田与重郎撰文筆
          C 大津市馬場一丁目            天台宗系単立寺院朝日山義仲寺
 
F 25007
四 方 よ り 花 吹 入 れ て に ほ の 湖  はせを
 
          @ 昭和四十八年(一九七三)四月二百八十回忌
          B 真蹟
          C 大津市御殿浜                        琵琶湖畔
 
F 25008
木 の も と に 汁 も な ま す も 桜 哉  はせを
  陰     昭和四十六年四月建之/戒琳庵 祖明代
        浜田珍碩洒落堂跡/有志一同
 
          @ 昭和四十六年(一九七一)四月十一日
          B 真筆
          C 大津市中庄一丁目                 曹洞宗蛄珠山戒琳庵
          D 膳所おものの浦の浜田珍碩の洒落堂跡と推定される
 
F 25009
大 津 繪 の 筆 の 始 は 何 佛  はせを
 
          @ 明治十六年(一八八三)
          A 無名庵主西村乍昔建立
          C 大津市大谷町走井          真宗系単立寺院端来山月心寺百歳堂
 
F 25010
三 井 寺 の 門 た ゝ か は や け ふ の 月  はせを
  陰     芭蕉翁二百七十年忌
        昭和三十八年十月十二日時雨忌建之
        円満院門跡三浦道海
 
          @ 昭和三十八年(一九六四)十月十二日二百七十回忌
          A 円満院門跡三浦道海建立
          B 真蹟
          C 大津市園城寺町                天台宗系単立寺院円満院
 
F 25011
大 津 繪 の 筆 の は し め は 何 佛  はせを
 
          C 大津市園城寺町                天台宗系単立寺院円満院
 
F 25012
三 井 寺 の 門 た ゝ か は や け ふ の 月
 
          C 大津市園城寺町    天台寺門宗総本山長等山園城寺(三井寺)鐘楼堂脇
 
F 25013
    勢田に泊り曉
    石山寺に詣かの
    源氏の間を見る
曙 や ま た む ら さ き に ほ と ゝ き す  はせを
                    梅室拜書
  陰     奉納芭蕉翁眞蹟畫賛之一軸
        信州筑摩郡會田矢久村松風斎梅朗建立
        嘉永二己酉四月
 
          @ 嘉永二年(一八四九)四月
          A 松風斎梅朗建立
          B 梅室筆
          C 大津市石山寺一丁目             真言宗東寺派石光山石山寺
          D 円柱碑 梅室=前出T一四八頁参照
 
E 25014
芭 蕉 翁 幻 住 庵 舊 趾
  陰     明和九年壬辰十月十二日
        僧蝶夢勸洛陽湖南道建立
 
          @ 明和九年(一七七二)十月十二日
          A 洛陽湖南道建立
          C 大津市国分二丁目               近津尾神社境内幻住庵跡
          D 蝶夢=前出T六八頁参照
 
A 25015
芭   蕉   翁   經   塚
  陰     扇律 雨橋建立
        安永九年庚子冬十月
 
          @ 安永九年(一七八〇)十月
          A 扇律 雨橋建立
          C 大津市国分二丁目               近津尾神社境内幻住庵跡
 
F 25016
先 た の む 椎 の 樹 も あ り 夏 木 立  芭蕉翁
 
          @ 天保十四年(一八四三)閏九月
          A 泉福寺惠性和尚建立
          B 梅室筆
          C 大津市国分二丁目               近津尾神社境内幻住庵跡
          D 梅室=前出T一四八頁参照 国分一丁目の真宗興正派泉福寺に芭蕉像あり
            一見の価値あり
 
F 25017
鎖 あ け て 月 さ し 入 よ 浮 御 堂  はせを
  陰     寛政七年乙卯仲秋社中建立
 
          @ 寛政七年(一七九五)八月
          C 大津市本堅田町一丁目        臨済宗大徳寺派海門山満月寺浮御堂
 
F 25018
比 良 三 上 雪 指 し わ た せ 鷺 の 橋  はせを
 
          @ 昭和三十八年(一九六三)十月九日二百七十回忌
          A 満月寺建立
          B 谷口如水筆
          C 大津市本堅田町一丁目        臨済宗大徳寺派海門山満月寺浮御堂
 
A 25019
     千   那   翁
芭   蕉   翁
     角   上   翁
 
          @ 寛保三年(一七四三)五十回忌
          A 「病雁」の短冊を埋めて十二世住職角上が建立
          C 大津市本堅田町             浄土真宗本願寺派夕陽山本福寺
          D 千那=前出U一四六頁参照 角上=前出X三四〇頁参照
 
F 25020
病 雁 の 夜 寒 に 落 て 旅 寢 哉  芭蕉
  陰     芭蕉翁二百七十年忌
        本福寺二十世三上明暢建立
 
          @ 昭和三十八年(一九六三)二百七十回忌
          A 三上明暢建立
          B 真筆
          C 大津市本堅田町             浄土真宗本願寺派夕陽山本福寺
 
F 25021
か ら 崎 の 松 は 花 よ り 朧 に て  はせを
  右     昭和三十二年
        正風誌百号記念建立
 
          @ 昭和三十二年(一九五七)四月七日
          C 大津市神宮町                     近江神宮北門前
 
F 25022
唐 崎 の 松 は 花 よ り 朧 に て  芭蕉
  陰     美濃垣城住常湖觀下天
 
          A 常湖觀下天建立
          C 大津市唐崎一丁目                      唐崎神社
 
 
 
F 25023
叡 慮 に て 賑 ふ 民 や 庭 か ま と  はせを
  陰     古宮小路康文筆
        明治三十年十一月三日/建碑式執行
        發企鶴夢園壽
        補助台麓社中
 
          @ 明治三十年(一八九七)十一月三日
          A 鶴夢園壽 台麓社中建立
          B 古宮小路康文筆
          C 大津市坂本本町真葛原  ケーブル坂本駅の近く権現川の向う側杉木立の中
             坂本 滋賀院へ移設
 
F 25024
山 路 き て な に や ら ゆ か し す み れ 草  はせを
  陰     主催滋賀俳文学研究会
            龍ヶ岡俳句会
        願主北川靜峰
         昭和四十三年四月建之
 
          @ 昭和四十三年(一九六八)四月
          A 北川靜峰建立
          B 真蹟
          C 大津市小関町                       小関天満宮
 
F 25025
大 津 繪 の 筆 の は し め は 何 佛  はせを
 
          @ 昭和三十九年(一九六四)
          B 谷口如水筆
          C 大津市秋葉台                     茶臼山芭蕉会館
 
A 25026
經   塚
 
          @ 元禄十六年(一七〇三)十二月八日
          A 沙門丈草建立
          C 大津市龍が丘                     龍が丘俳人墓地
          D 丈草=元禄六年(一六九三)近江に移り 無名庵に住した 師の没するや
            『寢ころび草』の一篇を草し 心喪に服すること三年 同九年龍が岡の西に
            佛幻庵を結んだ 晩年 閉関の誓いをたて 芭蕉追福のため一字一石の法華
            経書写をして 経塚建立の願を果たし その翌年寂しい生涯を終わった
 
A 25027
笠   塚
 
          @ 元禄十三年(一七〇〇)以前
          A 李由建立
          C 彦根市平田町              浄土真宗本願寺派妙法山明照寺
          D 李由=河野通賢 字買年 律師に任ぜられ釈名亮隅 号四梅廬・孟耶觀・月
            沢道人・李四 蕉門 宝永二年(一七〇五)六月二十二日没四十四歳 この
            寺の第十四世住職 芭蕉没後 ゆかりの渋笠を乞い受け 寺内に笠塚を築い
            た 元禄十三年(一七〇〇)十月十二日芭蕉の七回忌に認めた丈艸の『芭蕉翁
            遠波忌追悼詞』にこの笠塚が載っているので 元禄十三年以前の建立
F 25028
を り を り に 伊 吹 を み て は 冬 こ も り  はせを翁
                    梅室拜書
  陰     嘉永三庚戌林鐘/催主 流斑 杞柳 玉堂 紫石 龍骨
 
          @ 嘉永三年(一八五〇)六月
          A 流斑 杞柳 玉堂 紫石 龍骨建立
          B 梅室筆
          C 彦根市高宮町                        高宮神社
          D 梅室=前出T一四八頁参照
 
A 25029
紙   子   塚
 
          C 彦根市高宮町                       小林隆氏宅
          D 元禄四年(一六九一)十月初旬芭蕉は小林家に一泊 旧い紙子を残していっ
            た それを埋めて建立
 
F 25030
晝   寢   塚
  陰     ひるかほに晝ねせうもの床のやま はせを
 
          A 五老井連中建立
          C 彦根市原町                         八幡神社
 
F 25031
を り ヽ ヽ に 伊 吹 を 見 て や 冬 籠  はせを
 
          @ 明治中期=明治二十年(一八八七)
          C 長浜市宮前町                       長浜八幡宮
 
F 25032
四 方 よ り は な ふ き 入 て 鳰 の 海  芭蕉翁
 
          C 長浜市下坂浜町              臨済宗妙心寺派平安山良疇寺
          D この寺は芭蕉回遊の地で この発句は この寺で詠まれたものという
 
F 25033
夕 顏 や 秋 は い ろ ヽ ヽ の 瓢 か な  はせを
  陰     霧雲やはれて南阿彌陀の月 九々憐山石
 
          @ 明治二十九年(一八九六)
          A 九々憐山石の門弟らの建立
          C 長浜市今町                          姉川畔
          D 九々憐山石=浅井町醍醐の寂静院の住職
 
F 25034
蓬 莱 に き か は や 伊 勢 の 初 た よ り
              はせを翁の句  露城書
 
          B 露城筆
          C 長浜市宮司町                       市民会館前
 
F 25035
一 聲 の 江 に 横 た ふ や ほ と ゝ き す  翁
  陰     于寛政五年癸丑冬十月
        蕉翁百回忌追遠日建立
        江東竹庵佃房 男副墨庵社中
 
          @ 寛政五年(一七九三)十月百回忌
          A 副墨庵社中建立
          C 近江八幡市小船木町            天台宗日杉山普門院願成就寺
 
F 25036
比 良 三 上 雪 さ し わ た せ 鷺 の 橋  はせを
 
          @ 明治二十六年(一八九三)二百回忌
          A 無名庵十四世魯人建立
          C 近江八幡市小船木町            天台宗日杉山普門院願成就寺
 
F 25037
☆誤伝
へ そ む ら の ま た 麥  し 春 の く れ  はせを
 
          @ 明治中期=明治二十年(一八八七)
          B 当社の神官楓崖筆
          C 栗太郡栗東町綣                       大宝神社
 
F 25038
☆存疑
野 洲 川 や 身 は 安 か ら ぬ さ ら し う す  芭蕉翁
 
          C 野洲郡野洲町野洲 野洲川橋西詰             黄檗宗十輪院
 
F 25039
つ ゝ し い け て そ の 蔭 に 干 た ら さ く 女  はせを
  陰     寛政八年石部つつじ社建之
 
          @ 寛政八年(一七九六)七月
          A 石部躑躅社建立
          C 甲賀郡石部町字岡出                浄土宗青木山真明寺
                               
F 25040
西 行 の 菴 も 有 ん 花 の 庭  はせを
  陰     宮島美松建
 
          A 宮島美松建立
          C 甲賀郡甲西町平松                 天台宗美松山南照寺
 
F 25041
木 の も と に 汁 も 膾 も さ く ら か な  芭蕉
 
          C 甲賀郡水口町酒人                 天台宗光蔵山園養寺
          D 酒人村の東 水口町の植村の国中神社の別当をつとめた 地番は甲西町三雲
            に属するらしい
 
F 25042
い の ち ふ た つ の 中 に 活 た る さ く ら か な  翁
 
          @ 寛政七年(一七九五)春
          A 水口藩士らの建立
          C 甲賀郡水口町京町       天台宗系単立寺院龍王山大岡寺(岡観音)
          D はじめ古城山の南麓に建立 最近現在地へ移す
 
F 25043
さ み た れ に 鳰 の う き 巣 を 見 に ゆ か ん  はせを
 
          @ 嘉永元年(一八四八)推定
          B 梅室筆
          C 甲賀郡土山町南土山字小白川        臨済宗東福寺派瑞宝山常明寺
          D 梅室=前出T一四八頁参照
 
F 25044
行 春 を 近 江 の 人 と を し み け り  翁
 
          C 甲賀郡甲南町杉谷                 天台宗岩尾山息障寺
          D 岩尾山の南東山腹 杉谷新田から槙山(現三重県阿山郡阿山町)に抜ける岩
            尾越の途中 大沢池のあたりから参道があり 参道の途中にある
 
F 25045
松 茸 や し ら ぬ 木 の 葉 の へ は り つ く  はせを
 
          @ 明治三十五年(一九〇二)
          C 甲賀郡信楽町勅旨        高野山真言宗秋葉山法皇庵十輪院玉桂寺
 
F 25046
木 か く れ て 茶 摘 も 聞 や 杜 鵑  はせを
 
          C 甲賀郡信楽町宮尻                    大谷昌雄氏宅
          D 元禄七年(一六九四)芭蕉が当地の旧縁の片木氏を訪ねて詠んだ句
                               
F 25047
葱 白 く あ ら ひ 上 た る 寒 さ 哉  はせを
  陰     文政十二年己丑初冬 逸井建
 
          @ 文政十二年(一八二九)十月
          A 逸井建立
          C 蒲生郡日野町大窪               浄土真宗本願寺派遠久寺
 
F 25048
☆存疑
は か れ た る 身 に は き ぬ た の ひ ゝ き 哉  芭蕉
 
          @ 天明八年(一七八八)
          A 淇水建立
          C 蒲生郡日野町別所                    街道並木の辺
 
F 25049
觀 音 の 甍 見 や り つ 花 の 雲  はせを
 
          @ 文政年間=文政十二年(一八二九)
          A 鎌掛の俳人幡龍建立
          B 梅室筆
          C 蒲生郡日野町鎌掛                臨済宗妙心寺派正法寺
          D 梅室=前出T一四八頁参照
 
F 25050
蝶 鳥 の 知 ら ぬ 花 あ り 秋 の 空  はせを
 
          @ 文化十一年(一八一四)
          C 神崎郡永源寺町佐目               八風街道佐目バス停前
 
F 25051
八 九 間 空 て 雨 降 る や な き か な  はせを
 
          C 神崎郡五個荘町小幡                       路上
 
F 25052
    花にもよらす雪にもよら
    たゝこれ孤山の徳あり
そ の ま ゝ に 月 も た の ま し 伊 吹 山  はせを翁
 
          A 雪国松窓建立
          C 坂田郡山東町朝日          天台宗伊吹山観音寺(観音護国寺)
          D 伊吹山寺は長尾護国寺・大平護国寺・弥高護国寺・観音護国寺を合わせ伊吹
            四護国寺という 長尾・太平・弥高の三ヵ寺は坂田郡伊吹町に所在したが
            三ヵ寺とも廃寺となる
 
 
                               
F 25053
田 一 枚 植 え て さ り ゆ く 柳 か な  はせを
 
          C 東浅井郡浅井町内保                       路上
 
F 25054
ち ゝ は ゝ の 頻 り に 戀 し 雉 子 の 聲
 
          C 東浅井郡浅井町内保                      福良森
 
F 25055
ゆ く 春 を 近 江 の 人 と 惜 し み け り  はせを
 
          @ 安政三年(一八五六)
          A 姉流堂井蛙の発企で近村総連中建立
          C 東浅井郡虎姫町酢        国道八号線姉川大橋北詰(しぐれの岡)
 
F 25056
た ふ と か る 涙 や そ め て 散 る 紅 葉  はせを
 
          C 伊香郡高月町高月                     神高槻神社
 
F 25057
今 日 斗 り 人 も 年 よ れ は つ 時 雨  はせを
 
          C 高島郡今津町石田                      墓地入口
 
F 25058
四 方 よ り 花 吹 入 て 鳰 の 湖  芭蕉
  陰     安政四丁巳孟秋
        生春 松月 菊二 一甫 千里建立
  左     彈正少弼雅宮書之
 
          @ 安政四年(一八五七)七月
          A 生春 松月 菊二 一甫 千里建立
          B 雅宮筆
          C 高島郡高島町鵜川                      白鬚神社
 
F 25059
☆誤伝
も ろ ヽ ヽ の 心 柳 に ま か す へ し  翁
 
          A 森千里建立
          B 山邨総俊筆
          C 高島郡新旭町太田                      大田神社
          D 凉菟の句 凉菟=前出U一〇三頁参照
 

滋賀県 追加   

                            乾 憲雄 著「淡海の芭蕉句碑」上、下 サンライズ出版 1994より

百歳の氣色を庭の落葉かな はせを

  陰     元禄四年(一六九一)十月 明照寺を訪れた芭蕉は愛弟子李由よりこの庭の謂れをきいて詠んだ句
        である 時に芭蕉は四十八歳であり 李由が三十歳であった 奥の細道三百年を記念して建立す
           平成元年十月 彦根史談会/細江 敏/俳号 砂童子

      @ 平成元年十月
      A 細江 敏建立
      C 彦根市平田                        浄土真宗本願寺派妙法山明照寺

中山道旧跡 床 の 山

  左     鳥籠山につきましては往々異説がありますが 旧跡を残す意味に於いてこの場所に建立しました
  右     ひるかおに昼寝せうもの床の山 芭蕉
  陰     平成二年五月三日 細江敏建之 柳堂書

      @ 平成二年五月三日
      A 細江 敏建立
      B 柳堂筆
      C 彦根市大堀町                        大堀橋の手前十字路の小公園

めい講やあぶらの樣さけ五升 芭蕉翁

  左     寛政四壬子年三月十二日 建立

      @ 寛政四年(一七九二)三月十二日
      C 長浜市地福寺町                              成田益規氏宅

ものいへば唇寒し秋の風 はせを

  左     昭和五十五年五月 美松山人建之

      @ 昭和五十五年(一九八〇)五月
      A 美松山人源 信彦前住建立
      B 真蹟
      C 甲賀郡甲西町平松                          浄土宗平松山西照寺

山路来て何やらゆかしすみれ草

      @ 平成二年推定
      C 甲賀郡甲西町柑子袋                 高杉団地脇ほほえみの水辺公園入り口

 かめしき音や霰のひのき笠

  下部    芭蕉坐像線刻あり

       @ 昭和五十四年(一九八三)
      B 中村不折筆(書・画ともに)
      C 甲賀郡甲西町東出                      真宗大谷派般若円満山正念寺

道のへの木槿は馬にくはれけり はせを

      @ 平成三年
      B 真蹟
      C 甲賀郡甲西町下田                    下田小学校前茶釜川水質浄化施設

圓 光 大 師  廿五拜

  左     灌佛や皺手合する數珠の音 はせを

      C 甲賀郡甲賀町滝                           浄土宗弘願山稱名寺
      D 圓光大師=源空法然 大師号勅諡 元禄十年(一六七九)一月十八日

木かくれて茶摘もきくやほとゝきす 芭蕉

  陰     昭和五十二年十一月建之

        信楽町茶業協会信楽町農業後継者クラブ 茶業部

      @ 昭和五十二年(一九七七)十一月建立
      A 信楽町茶業協会信楽町農業後継者クラブ 茶業部
      B 由良鳳英筆
      C 甲賀郡信楽町上朝宮      浄土宗誓光寺境外岩谷山仙禅寺(現廃寺)磨崖仏(岩谷観音)

☆付句
秋やまにあら山伏の祈るこゑ 翁

  陰     伊賀街道龍法師邨は山伏の里
         山陰は山伏村の一かまへ 翁
        元禄七甲戌年七月廿八日 真蹟
        献参百回忌 中谷深盛 裔 楓翠識

      @ 平成五年四月
      A 亡夫中谷楓翠の遺志により妻冨美子建立
      B 甲南町葛木の橋本翠律筆
      C 甲賀郡甲南町竜法師                          天台宗嶺南寺梅林

こんにやくのさし身も少し梅の花 はせを

  陰     昭和四十九稔穐彼岸 菎蒻製造 上田亀太郎建立

      @ 昭和四十九年(一九七四)秋彼岸
      A 上田亀太郎建立
      C 神崎郡永源寺町高野                   臨済宗永源寺派本山瑞石山永源寺

人も見ぬ春や鏡のうらの梅 翁

  左側面   吹もとしまたす乱るゝ柳哉 艾園 梅風翁書

  陰     明治十二卯年七月發起 杉之沢社中

      @ 明治十二年(一八七九)七月
      A 樋口艾園建立
      B 梅風筆
      C 坂田郡伊吹町杉沢                               勝居神社

鶯や柳のうしろ藪の前 翁

  陰     明治十六年冬 梅風拜書 共榮社中

      @ 明治十六年(一八八三)冬
      A 共榮社中建立
      B 梅風筆
      C 坂田郡伊吹町杉沢                               勝居神社

☆誤伝か
頭布めせ寒むや伊吹の山おろし 芭蕉

      @ 昭和六十二(一九八七)三月
      C 坂田郡伊吹町上野                            松尾寺観音堂跡
      D 加賀の千代尼の句に「づきん召せこゝは伊吹の山おろし」あり

古池や蛙飛込む水の音 はせを

      A 主行氏の先代梅園の建立
      C 東浅井郡浅井町内保                            北川主行氏宅

松風の落葉か水の音凉し はせを

      C 東浅井郡虎姫町中野                              地蔵堂辺

  八九間空で雨ふる柳哉

正 風 宗 師
           はせを

  陰     明治二十年冬 当所社中

      @ 明治二十年(一八八七)冬
      C 伊香郡高月町東柳野                             売比多神社

奈都久佐也都波母能登母能由米能阿登 祖翁

      C 伊香郡木之本町大音賤ヶ岳                            大岩山

四方より花ふきいれて鳰の湖 はせを

  陰     富小路光禄太夫 藤原貞直卿筆 垂柳舎孤靜建之 于時文政十有二歳己丑十一月

      @ 文政十二年(一八二九)十一月
      A 垂柳舎孤靜建立
      B 藤原貞直卿筆
      C 伊香郡西浅井町塩津浜                           塩津神社境外