18‐01‐0227
E 18001
芭 蕉 宿 泊 地
奧の細道にあらわれる隱士等
栽の宅跡とつたえられている
芭蕉はここに二夜とまって
敦賀に向った
@ 昭和三十年(一九五五)八月
A 福井市建立
C 福井市左内町 左内公園
F 18002
名 月 の 見 所 問 ん 旅 寢 せ ん
陰 施主一九八一年仲秋
左 東京八十二翁石橋緑泥建之
@ 昭和五十六年(一九八一)八月
A 石橋緑泥建立
C 福井市左内町 左内公園
E 18003
玉 江 跡
この附近一帯の小流は歌枕にとりあけられたりして
往時から知られている玉江の跡てあり この橋はそ
の名残をつたえた玉江二の橋の名て呼はれている
芭蕉か「奥の細道」の旅てここを通って
玉 江
月見せよ玉江の芦を刈らぬ先
の句を詠んて以来 歌枕のみならす 俳句にもしは
しはその名か出るようになった
昭和三十四年三月建之福井市
@ 昭和三十四年(一九五九)三月
A 福井市建立
C 福井市花堂町 玉江二の橋
H 18004
朝六つ橋の碑
越 に 來 て 富 士 と は い は ん 角 原 の
文 殊 か た け の 雪 の あ け ほ の 西行
朝 六 つ や 月 見 の 旅 の 明 け は な れ はせを
@ 昭和四十六年(一九七一)九月
C 福井市浅水町 朝六つの橋
18‐02‐0228
A 18005
☆消滅
芭 蕉 翁
@ 享保二十一年(一七三六)三月十二日
A 天井韋吹建立
C 福井市月見二丁目 浄土宗西山禅林派東雲寺
D 韋吹=天井氏 名は与三兵衛 号馬童子・有底窩 福井の人 支考門 延享
元年(一七四四)八月五日没八十余歳
A 18006
芭 蕉 翁
左 瓢阿佛
右 梅花佛
陰 明治二十四年皐月下旬/發起人西尾松柏/周旋柔島双石
@ 明治二十四年(一八九一)五月
A 西尾松柏柔島双石再建
C 福井市月見二丁目 浄土宗西山禅林派東雲寺
D 梅花佛=支考 瓢阿佛=韋吹
A 18007
☆消滅
芭 蕉 翁 桃 ・
@ 寛政元年(一七八九)三月十二日百回忌
A 旭周建立
C 福井市春山二丁目(河南) 臨済宗妙心寺派霊泉寺
D 「なき名たつ空とはいへと星こよひ」(存疑)の真蹟を埋める 明治三十五
年(一九〇二)福井大火後に同市春山中町の多田文湖氏宅に移建したという
出口對石『芭蕉塚』によると表は「星宵塚」で 陰に「なき名たつ空とはい
へと星こよい」とあるとのこと
C 18008
☆句は誤伝
芭 蕉
是からの空そ樂しき三日の月
@ 安政三年(一八五六)
C 福井市上野町 曹洞宗永源寺
F 18009
名 月 や 北 国 日 和 定 め な き
C 福井市足羽上町 郷土自然科学博物館庭
E 18010
芭 蕉 翁 杖 跡 の 碑
18‐03‐0229
@ 昭和五十九年(一九八四)
A 敦賀市文化協会創立二十五周年記念建立
C 敦賀市曙町 気比神宮
F 18011
な み た し く や 遊 行 の も て る 砂 の 露 はせを
@ 昭和三十一年(一九五六)翁忌
A 敦賀俳句同好者有志建立
B 真蹟写真拡大
C 敦賀市曙町 気比神宮
F 18012
月 清 し 遊 行 の も て る 砂 の 上 はせを
@ 昭和五十七年(一九八二)十一月
B 西村家所蔵芭蕉所持素龍清書本『おくのほそ道』より
C 敦賀市曙町 気比神宮
D 富永直樹作芭蕉銅像の台座にある
E 18013
芭 蕉 翁 逗 留 出 雲 屋 跡
陰 創立二十五周年記念/昭和五十九年八月敦賀市文化協会
@ 昭和五十九年(一九八四)八月
A 敦賀市文化協会建立
C 敦賀市相生町二‐一六 レストラン梅田脇
E 18014
お く の ほ そ 道 天 屋 玄 流 旧 居 跡
C 敦賀市蓬・町一四‐二三 室靖人氏宅
D 室靖人氏=天屋玄流の子孫
F 18015
月 い つ こ 鐘 は 沈 め る う み の そ こ はせを
@ 宝暦十一年(一七六一)十月
A 白崎琴路建立
C 敦賀市金ヶ崎町 高野山真言宗誓法山金前寺
D 琴路=白崎氏 通称庄次郎 号白烏・錦渓舎・序睡 敦賀の人 二柳門 寛
政二年(一七九〇)七月六日没七十五歳 重文芭蕉所持素龍清書本『おくの
ほそ道』を蔵架し 没後 親戚の西村野鶴に譲り 現在西村弘明氏に伝えら
れている
F 18016
國 々 の 八 景 更 に 氣 比 の 月
18‐04‐0230
C 敦賀市桜町 市民文化センター
F 18017
月 清 し 遊 行 の も て る 砂 の 上
@ 文政五年(一八二二)
A 敦賀の俳人沢蘭秀建立
C 敦賀市常宮 常宮神社
F 18018
小 萩 ち れ ま す ほ の 小 貝 小 盃 桃・
@ 昭和二十九年(一九五四)十一月十三日
A 当寺第二十六世泰音建立
B 当寺所蔵洞哉真筆写真拡大
C 敦賀市色ヶ浜 法華宗本門流本隆寺
D この寺は敦賀の曹洞宗永巌寺の末寺で金泉寺と称したが 應永三十三年(一
四二六)八月法華宗に改宗
F 18019
衣 着 て 小 貝 拾 わ ん い ろ の 月 芭蕉
陰 施主一九八三年仲秋石橋緑泥建之
水島や小貝を守れ月今宵 緑泥
@ 昭和五十八年(一九八三)八月
A 石橋緑泥建立
C 敦賀市色ヶ浜 法華宗本門流本隆寺
F 18020
松 風 の 落 葉 か 水 の 音 凉 し はせを
C 敦賀市新道道字新道野県境 西村弘明氏宅
D 西村弘明氏=重要文化財芭蕉所持素龍清書本『おくのほそ道』所有者 西村
家は代々新道野越の荷物の継場をしていた
F 18021
名 月 や 北 国 日 和 定 め な き 芭蕉
@ 昭和六十三年(一九八八)四月
A 道路公団建立
B 荊口句帖より
C 敦賀市杉津 北陸自動車道杉津PA上り
F 18022
ふ る き 名 の 角 鹿 や 恋 し 秋 の 月 芭蕉
@ 昭和六十三年(一九八八)四月
A 道路公団建立
B 川上季石筆
18‐05‐0231
C 敦賀市杉津 北陸自動車道杉津PA下り
A 18023
☆消滅
芭 蕉 翁 之 墓
陰 此名謂色紙塚筆者以古池之小色紙某所
埋故也焉抑謂此地之大觀乃者左河濯之
・而書殘奧之細道給歴謂越智之山陰雛
之嶽見爲東西其山々而爲不有乏三越名
蹤則爰便其時之吟行而永仝遊其魂與也
享保庚戌三月十二日
門人小子/蓮二坊拜誌
@ 享保十五年(一七五〇)三月十二日
A 府中本多氏家臣上坂平左衛門嵐技建立
B 蓮二坊(支考)筆
C 武生市高瀬二丁目 臨済宗大徳寺派河濯山芳春寺
D 芭蕉自筆「古池や蛙飛込む水の音」の色紙を埋めたので 通称色紙塚という
A 18024
芭 蕉 翁 之 墓
陰 此名謂色紙塚筆者以古池之小色紙某所
埋故也焉抑謂此地之大觀乃者左河濯之
・而書殘奧之細道給歴謂越智之山陰雛
之嶽見爲東西其山々而爲不有乏三越名
蹤則爰便其時之吟行而永仝遊其魂與也
享保庚戌三月十二日
門人小子/蓮二坊拜誌
@ 文政六年(一八二三)再建
C 武生市高瀬 臨済宗大徳寺派河濯山芳春寺
F 18025
三 井 寺 の 門 敲 は や け ふ の 月
@ 弘化四年(一八四七)
A 味真野社中建立
C 武生市清水頭町 真宗出雲路派本山豪摂寺
F 18026
名 月 や 北 國 日 和 定 め な き
C 小浜市野代 高野山真言宗岩屋山妙楽寺
F 18027
☆誤伝
こ ゝ ろ み に 浮 世 そ ゝ か ん 苔 清 水 はせを翁
18‐06‐0232
@ 文化八年(一八一一)五月
A 大野万株園社中建立
C 大野市篠座 篠座神社
F 18028
清 瀧 や 波 に ち り 込 ・ 松 葉
C 大野市清滝 清瀧神社
F 18029
☆消滅
醉 て 寢 ん 撫 子 咲 る 石 の 上
@ 享和二年(一八〇二)
A 巴文建立
C 勝山市元町(立石町) 浄土宗西山禅林寺派法栄寺末伯立院
F 18030
醉 て 寢 ん 撫 子 咲 る 石 の 上
@ 明治三十一年(一八九八)五月
A 此閑再建
C 勝山市元町二丁目(立石町) 黄檗宗円福山国泰寺
F 18031
う ら や ま し 浮 世 の 北 の 山 櫻 芭蕉翁
@ 文政四年(一八二一)
A 旭窓櫻白道建立
B 百花園建部竹窓筆
C 勝山市平泉寺町平泉寺 天台宗霊応山平泉寺跡旧玄成院庭園
F 18032
紅 梅 や 見 ぬ 戀 つ く る 玉 す た れ
@ 安政六年(一八五九)三月
A 此閑建立
C 勝山市野向町竜谷 竜谷山中腹
A 18033
芭 蕉 翁
@ 天保十四年(一八四三)十月百五十回忌
A 松岡社中建立
C 吉田郡松岡町春日 曹洞宗永平寺末清凉山天龍寺
D 松岡社中は記念に『杖のゆかり』を刊行
18‐07‐0233
A 18034
筆 塚
@ 天保十四年(一八四三)十月百五十回忌
A 松岡社中建立
C 吉田郡松岡町春日 曹洞宗永平寺末清凉山天龍寺
F 18035
物 書 て 扇 引 さ く 餘 波 哉
永平慧玉八十三叟書
右 昭和五十三年八月建之松岡町善意會
@ 昭和五十三年(一九七八)八月
A 松岡町善意會建立
B 永平寺貫主秦慧玉筆
C 吉田郡松岡町春日 曹洞宗永平寺末清凉山天龍寺
F 18036
し く る ゝ や 猿 も 小 蓑 を ほ し け 也 はせを
C 坂井郡丸岡町霞町 丸岡城
A 18037
芭 蕉 翁 之 塔
陰↓右 翼諳桃・字宗房時人号芭蕉風羅坊伊賀州上野人以正保甲申之年誕孫雅・情俊逸姓松尾
齠艸仕府侯藤堂氏爲近侍寛文壬戌載偶及主君喪道機潜動辭官落髪粃糠名利雲遊州國結
艸庵於東武深川毎佛頂和尚恣問禪要了達身世志懷隱操與世貌然雖處身於塵中而放・放
・雲外又攻上流行終在攝之浪花而染疾旅館嗚呼命哉幻縁此盡焉而化行年五十有一實元
祿甲戌孟冬十二日也其門人等葬遺骸於湖南義仲寺翁能以俳諧發句鳴世到處賦詠無不驚
人千言萬句碑世傳就中芭蕉庵雨夜之發句又古池蝦飛之句者意味深長吟詠無巳翁一代絶
唱者也故其重佳句如渾金璞玉退慕風標曼桁桑國茲當縣之坂野我六等就于我山建石浮圓
聊旌欽慕之誠需詞於山山僧不得固辭略擧既木梗含毫云
銘曰 層々落々 不・不緇 句羅天地 遍塞羅
片言絶妙 一句極奇 嘉聲遠霞 萬古無涯
嘗寛延第二龍舎己巳晩利十二萱
北陸道越前坂井郡金津縣正徳山寶林禪寺
開闢沙門曇秀□選
左 芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉とは故翁の遺吟なるか
坂我六のぬし風雅の冥應を仰かんと此碑下に埋みとゝめ
て雨夜塚と尊むなるへし
その道も潤ふ秋や雨夜塚 五竹坊
惠みは廣き野に草の色 我六
@ 寛延二年(一七四九)
A 坂野我六建立
C 坂井郡金津町 正端寺
D 金津には姫川吟社があり 一世江戸聲々庵東也 二世坂野有隣庵我六
五竹坊=田中市郎八 通称幸次郎 薙髪して東伯 号五筑坊・帰仙童・琴左
美濃国北方の人 安永八年(一七七九)没八十一歳
18‐08‐0234
E 18038
奧 の 細 道 汐 越 の 松 遺 跡
C 坂井郡芦原町浜坂 芦原ゴルフ場
F 18039
山 路 來 て 何 や ら ゆ か し す み れ 草 はせを
@ 明治四十二年(一九〇九)
A 二鏡社奥村一雫建立
C 坂井郡芦原町舟津 船津公園
F 18040
月 に 名 を 包 み か ね て や い も の 神
@ 昭和六十三年(一九八八)
B 伊藤柏翠筆
C 南条郡南条町上野 北陸自動車道南条SA上り
F 18041
あ す の 月 雨 占 な は ん ひ な が 嶽 芭蕉
@ 昭和六十三年(一九八八)
B 伊藤柏翠筆
C 南条郡南条町上野 北陸自動車道南条SA下り
F 18042
義 仲 の 寝 覚 め の 山 か 月 悲 し
C 南条郡今庄町今庄 今庄町役場の前庭
F 18043
義 仲 の 寝 覚 め の 山 か 月 悲 し
C 南条郡今庄町湯尾 燧ヶ城頂上
A 18044
芭 蕉 翁 薫 塚
@ 享保年間=享保二十年(一七三五)
A 当住梅紅建立
C 丹生郡越前町梅浦四ヶ浦 西應寺