16‐01‐0209
C 16001
先 師 芭 蕉 翁 之 塚
長嘯の墓も回るか鉢たゝき
@ 宝暦年間=宝暦十三年(一七六三)
C 富山市梅沢町三丁目 真興寺
A 16002
は せ を 翁 墓
右 寛政五距癸丑爲百回忌相當追善
左 丿ヘ庵建之
@ 寛政五年(一七九三)百回忌
A 丿ヘ庵二世玉斧建立
C 富山市愛宕町二丁目 愛宕神社
F 16003
あ か ・ ・ と 陽 は 難 面 も 秋 の 風
陰 天保十一年桃・百五十年忌/加越能俳句大會櫻井梅室主催櫻井文器
秀甫居士の二句あり(略)
@ 天保十一年(一八四〇)百五十回忌
A 櫻井定爾文器建立
B 櫻井梅室筆
C 富山市水橋大町 水橋神社
D 梅室=前出P.0056
F 16004
☆消滅
あ や め 草 足 に 結 は ん 草 鞋 の 緒
@ 寛延四年(一七五一)
C 高岡市末広町 超願寺
F 16005
甍塚
觀 音 の い ら か 見 や り つ 華 の 雲 芭蕉翁
@ 宝暦年間=宝暦十三年(一七六三)
A 尾崎康工建立
C 高岡市戸出町 永安寺
D 康工=通称沢屋伊兵衛 号六壁庵 別号八椿・八椿舎 越中戸出の人 俳諧
は麦林・希因に学ぶ 安永八年(一七七九)三月六日没七十九歳
『俳諧百一集』の著者
16‐02‐0210
F 16006
あ か ・ ・ と 日 は 難 面 も 秋 の 風 芭蕉翁
@ 安政四年(一八五七)
A 高桑甫草建立
C 高岡市中田町 万年寺
F 16007
早 稻 の 香 や わ け 入 右 は 有 磯 海
C 高岡市伏木国分 JR越中国分駅近くの喜笛庵の方へ一〇m左手の垣の中
F 16008
早 稻 の 香 や 分 け 入 る 右 は 有 磯 海 はせを
@ 天保十四年(一八四三)百五十回忌
C 新湊市八幡町二丁目 放生津八幡宮
F 16009
都に遠き名所は世に忘らるゝものぞかし此越之國奈呉
は萬葉にも見えたる名所なり翁が書けるおくの細道に
も此所にてよめる一句ありそを後のしるしにせむと南呉州が
乞ふによりて筆をとる
ときに大正三年八月五日 公爵二條基弘
早 稻 の 香 や 分 け 入 る 右 は 有 磯 海
@ 大正三年(一九一四)八月五日
A 南伊佐衛門呉州建立
B 二條基弘筆
C 新湊市八幡町三丁目 荒屋神社
A 16010
蕉 翁
小 貝 塚
@ 明和二年(一七六五)
A 魚津の俳人知二斎綺彦建立
B 金沢堀麥水筆
C 魚津市諏訪町 大泉寺
D 芭蕉が常に持ち遊んでいた小貝を知二斎綺彦が支考から譲り受け その小貝
を埋めて昭庵寺〔明治五年(一八七二)二月十一日神仏分離で金比羅宮(本
町一丁目)になる〕に小貝塚を建立 金比羅宮の伝承=境内の杉の古木の下
で芭蕉が休み 親不知で拾った小貝を集ってきた子供たちに与えた それを
記念して小貝塚を建立 境内に庵を作り俳諧を興行した しかし町人圧迫の
一環として町奉行が俳諧興行を禁止したので時の俳人たちは密かに小貝塚を
大泉寺に移し 俳諧興行は地下に潜行した 麥水=堀氏 名は長 通称池田
屋長左衛門 初号可遊 号四樂庵・樗庵 金沢蔵宿の次男 初め支考門の百
雀斎五々に学び のち乙由を慕い 乙由の子麥浪から麥水の号を与えられた
天明三年(一七八三)十月十四日没六十六歳
16‐03‐0211
A 16011
☆石燈籠
芭 蕉 翁 百 回 忌 寛政五年三月建立
@ 寛政五年(一七九三)三月百回忌
C 魚津市諏訪町 大泉寺
D 小貝塚のまわりに回忌による三基の石燈籠あり
A 16012
☆石燈籠
芭 蕉 翁 百 五 十 回 忌 天保十四年建立
@ 天保十四年(一八四三)百五十回忌
C 魚津市諏訪町 大泉寺
A 16013
☆石燈籠
芭 蕉 翁 二 百 回 忌 明治二十六年建立
@ 明治二十六年(一八九三)二百回忌
C 魚津市諏訪町 大泉寺
F 16014
早 稲 の 香 や わ け 入 る 右 は 有 磯 海
@ 昭和六十三年(一九八八)
C 魚津市湯上 北陸自動車道有磯海SA下り
F 16015
早 稻 の 香 や 分 け 入 る 右 は 有 磯 海
依于見風需書無名狂者
@ 明和元年(一七六四)
A 河合見風建立
B 無名狂者筆
C 氷見市幸町 常願寺
D 昭和十三年(一九三八)の氷見大火で焼ける 無名狂者=加賀藩家老前田土
佐守直躬の戯号 見風=河合理右衛門 初め枝紅・枝鴿 号花中仙・雪燈下
・白達磨 加賀津幡の豪族で 俳諧は希因門 また冷泉為村に和歌を学ぶ
天明三年(一七八三)四月一日没七十三歳
F 16016
早 稻 の 香 や わ け 入 る 右 は 有 磯 海
擬見風所造碑菊郎謹建之依需書高安風生
陰 昭和三十三年十月十二日有磯吟社氷見市文化財保存会
@ 昭和三十三年(一九五八)十月十二日
A 仕切菊郎建立
B 高安風生筆
16‐04‐0212
C 氷見市幸町 常願寺
F 16017
し は ら く は 花 の 上 な る 月 夜 か な 翁
@ 安政二年(一八五五)十月
A 孤松庵如青 迎月亭東邱 閑時庵呉橋 時雨斎六窓らの建立
B 金沢卓丈筆
C 滑川市神明町 櫟原神社
F 16018
早 稻 の 香 や 分 け 入 る 右 は 有 磯 海 芭蕉
@ 明和元年(一七六四)十月十二日
A 知十 史耕 珂城らの建立
C 滑川市四間町 徳成寺
D 富竹庵知十は宝暦十三年(一七六三)芭蕉七十年忌に句碑を建立し 記念集
『早稲の香』の発刊を企て 同年秋に序文もできたが 建立は翌年になった
F 16019
早 稲 の 香 や わ け 入 る 右 は 有 磯 海
@ 昭和六十三年(一九八八)
C 滑川市栗山 北陸自動車道有磯海SA上り
F 16020
こ ん に や く の さ し み も 少 し 梅 の 花
@ 文化十一年(一八一四)
A 土地の安念雪幸建立
B 江戸夫木宗匠所持芭蕉書簡から安念雪幸が書写
C 砺波市太田 金比羅社より西に百m三光庵隣小公園
A 16021
芭 蕉 翁 蓑 毛 塚
@ 天明六年(一七八六)
A 京の甫尺が翁の蓑毛を埋めて建立
C 砺波市中央町 真如院
D 甫尺=亡兄の号をついで玄化堂とも称した 没享年未詳 京都住 樗良晩年
の門人 天明六年(一七八六)能登に遊ぶ
C 16022
☆消滅
芭 蕉 翁
義仲の寢覺の山か月かなし
@ 宝暦年間=宝暦十三年(一七六三)
A 河合見風建立
16‐05‐0213
C 小矢部市石動町 倶利伽羅峠猿ヶ馬場
D 見風=前出P.0211
C 16023
芭 蕉 翁
義仲の寢覺の山か月かなし
擬見風所造碑金城馬佛謹建之
@ 寛政五年(一七九三)百回忌
A 闌更弟子金沢孤庵馬佛再建
C 小矢部市石動町 倶利伽羅峠猿ヶ馬場
D 闌更=前出P.0103
F 16024
花 む く け 裸 わ ら は の か さ し 哉
C 小矢部市城山町 城山公園
F 16025
あ か あ か と 日 は 難 面 く も 秋 の 風
@ 昭和六十三年(一九八八)
C 小矢部市浅地 北陸自動車道小矢部川SA上り
F 16026
義 仲 の 寝 覚 め の 山 か 月 悲 し
@ 昭和六十三年(一九八八)
C 小矢部市名畑 北陸自動車道小矢部川SA下り
F 16027
あ か あ か と 日 は 難 面 も 秋 の 風 芭蕉
@ 昭和六十一年(一九八六)
C 小矢部市天田 倶利迦羅峠への途中
A 16028
翁 塚
右 蕉翁 几・ 羽石追・のため
發願主 大善院樂子 森石心 毛利竿龍 山田有磯 八っ尾屋四郎兵衞建之
@ 嘉永元年(一八四八)
A 大善院樂子 森石心 毛利竿龍 山田有磯 八っ尾屋四郎兵衞らの建立
C 中新川郡上市町栄町 海松院
F 16029
う ら や ま し 浮 世 の 北 の 山 さ く ら はせを翁
16‐06‐0214
@ 天保五年(一八三四)
C 下新川郡入善町舟見 十三寺
A 16030
は せ を 翁
@ 文化三年(一八〇六)推定
A 入善の俳人斗來君貌らの建立
B 行脚梯志筆
C 下新川郡入善町入善 観音寺
D 斗來君貌らが『有磯簑』を文化三年(一八〇六)に刊行しているので この
年の建立と推定
F 16031
わ せ の 香 や 分 入 右 は あ り そ 海 芭蕉翁
@ 文政元年(一八一八)
A 伊東竹堂建立
B 越後高田白梅園白甫筆
C 下新川郡朝日町元屋敷 路上
F 16032
一 つ 家 に 遊 女 も 寝 た り 萩 と 月
@ 昭和六十三年(一九八八)七月二十日
B 大平山濤筆
C 下新川郡朝日町境 北陸自動車道越中境PA上り
F 16033
一 つ 家 に 遊 女 も 寝 た り 萩 と 月
@ 昭和六十三年(一九八八)七月二十日
B 大平山濤筆
C 下新川郡朝日町境 北陸自動車道越中境PA下り
A 16034
芭 蕉 翁 塔
@ 寛政二年(一七九〇)
C 婦負郡八尾町諏訪町 城ヶ山公園駒利山休憩所
F 16035
丈 六 に 陽 炎 高 し 石 の 上
C 射水郡小杉町三ヶ 蓮王寺
16‐07‐0215
A 16036
芭 蕉 塚
陰 寶暦十二壬午・二月連中建立
@ 宝暦十二年(一七六二)二月
A 城端の李夫が翁着用の蓑毛を埋めて建立
B 仙台覺範別道筆
C 東砺波郡城端町是安 浄国寺
A 16037
芭 蕉 翁
是本邦翁塚之始也矣其角筆
@ 元祿十四年(一七〇一)七月十二日
A 浪化が義仲寺の墓から小石三ヶを持ち帰り それを埋めて建立
B 其角筆
C 東砺波郡井波町井波 真宗大谷派浄蓮寺黒髪庵
D 浪化 『浪化發句集』より
翁 塚 記
爰に一宇の淨蓮・あり其所は人家遠からねど松杉の木立深く俗をへだてゝお
のづから世のゲキ聲を聞ず竹茂り水流て清閑その境を得たりと云ふべし此寺
の傍に地を撰ぶに林紅が輩心ざしまめやかに庵主も共に鍬とりて三尺の方墳
をまねびかの小石を壺中に貯へたれば・靈の契りもこゝに金石ならむと也
元祿十四年辛巳初秋日
この日の浪化の句 七度や心を灰に夜の霜
元祿十五年(一七〇二)伊賀の服部土芳から翁の遺髪が送られてきたので浪
化は直ちに塚を開いて翁の遺髪を納めた
浪化=晴寛 号自遣堂・應々山人・休々山人・司晨樓主人 法名應眞院常照
寛文十一年(一六七一)十二月十七日生 東本願寺お四世琢如の遺腹の子
十六世一如の弟 七歳にして越中井波瑞泉寺十一代住職となる 元禄七年
(一六九四)落柿舎で去來の紹介を得 初めて芭蕉に会す(異説もある)
元禄十六年(一七〇三)十月九日没三十三歳
F 16038
僧 蕣 い く 死 か へ り 法 の 松
陰 寛政九丁巳・二月中旬築之願主魯雲
@ 寛政九年(一七九七)二月
A 普願寺住職十四世釈浄慶魯雲建立
B 冬日堂苦山筆
C 東砺波郡福野町二日町 普願寺の西百m栖息の松跡
D 蕣=あさがほ
F 16039
☆存疑
其葉塚
蝶 鳥 の 知 ら ぬ 花 あ り 秋 の そ ら
16‐08‐0216
@ 天保年間=天保十四年(一八四三)
A 其汀建立
B 梅室筆
C 東砺波郡福野町福野 恩光寺墓地
D 梅室=前出P.0056
A 16040
芭 蕉 翁
@ 寛政五年(一七九三)百回忌
A 石崎波弓 石崎五柳建立
C 西砺波郡福光町荒町 栖霞園
D はじめ福光城の東金毘羅社に建立 後高宮橋の狐塚に移建 昭和二十四年
(一九四九)現在地へ
F 16041
あ か ・ ・ と 日 は 難 面 も あ き の 風
@ 明治十四年(一八八一)
A 河合友知建立
B 清寒園某筆
C 西砺波郡福光町荒町 栖霞園
D 初め高宮橋の狐塚の翁塚にそへて建立 昭和二十四年(一九四九)現在地へ