13‐01‐0163
 

       東 京 都

 
 
F 13001
春 も や ゝ 景 色 と ゝ の ふ 月 と 梅  はせを
 
          C 中央区築地三‐一五‐一    浄土真宗本願寺派築地本願寺(築地別院)
 
F 13002
    俳諧は萬事作り過たるは道に叶はす其眺しまゝに‥‥
    たるをよきと存し候‥‥
大 津 繪 の 筆 の は し め は 何 佛  はせを
 
          @ 明治中期=明治二十年(一八八七)
          A 大喬 甫氏 花鮮らの建立
          C 中央区築地三‐一七‐一〇           浄土真宗本願寺派法重寺
 
F 13003
夏 來 て も 只 ひ と つ 葉 の 一 葉 哉  はせを
  陰     文化十四年淇園建
 
          @ 文化十四年(一八一七)
          A 淇園建立
          C 港区北青山二‐一二‐二九              黄檗宗青山海蔵寺
 
F 13004
☆存疑
蝶 鳥 も し ら ぬ 花 あ り 秋 の そ ら
 
          C 港区北青山二‐一二‐二九              黄檗宗青山海蔵寺
 
F 13005
山 路 來 て 何 や ら 床 し す み れ 草  はせを
 
          @ 嘉永元年(一八四八)三月
          A 七十歳翁台山建立
          C 港区北青山三‐五‐一七              浄土宗南命山善光寺
 
J 13006
古 池 や 蛙 飛 ひ 込 む 水 の 音
                ・翁の高吟也
あ れ ほ と の 雲 を 起 す や 雨 蛙
                古網庵萬嶽八十五・
  陰     萬嶽・中建文化十年初夏
 
          @ 文化十年(一八一三)四月
          A 萬嶽・中建立
          C 港区芝公園四‐八‐五五                 宝珠院弁天堂
                               13‐02‐0164
F 13007
    伊賀の國花垣の莊ハその                               
    かみ奈良の八重櫻の料に                               
    附られけるといひ傳へ侍れハ
一 里 は み な 花 守 の 子 孫 か や  はせを
  陰     こゝに故ありて奈良の宮櫻の實生をうつしありけれは
        其薫り四方に滿るや八重櫻 古網庵萬嶽・中
           文政六年癸未初冬
 
          @ 文政六年(一八二三)十月
          A 古網庵萬嶽・中建立
          C 港区南麻布四‐二‐三五      臨済宗大徳寺派多聞山天現寺本堂裏庭
 
F 13008
(  )ころの當院主( )
ことにしたしかりけれは文
通にこの發句を書きそへ
おくられしよしつたへ聞いて今
こゝにしるしとゝむ
蓬 ・ に き か は や 伊 勢 の 初 た よ り  はせを
 
          @ 安永七年(一七七八)
          A 内藤新宿惣旅籠中建立
          C 新宿区新宿五‐一七‐三                   花園神社
 
F 13009
春 な れ や 名 も な き 山 の 朝 か す み  はせを
 
          @ 明治二十九年(一八九六)三月
          C 新宿区新宿五‐一七‐三               花園神社威徳稲荷
 
F 13010
百 ・ の け し き を 庭 の 落 葉 か な  はせを
 
          C 新宿区原町二‐三四                  瑞光寺本堂裏庭
 
F 13011
戸田權太夫亭にて
一 し く れ 礫 や 降 て 小 石 川  芭蕉翁
 
          @ 大正七年(一九一八)十月十二日
          A 芭蕉堂同人瀧澤公雄翁発起
          C 文京区小石川三‐一七‐一二          (伝通院)澤藏主稲荷社
 
F 13012
☆消滅
櫻 狩 き と く や 日 々 に 五 里 六 里
 
                               13‐03‐0165
          @ 寛政八年(一七九六)
          C 文京区本郷一‐八‐三               浄土宗嶺松山昌清寺
 
F 13013
桜 狩 り き と く や 日 々 に 五 里 六 里  芭蕉
  陰     寛政八年の碑は滅失したので当寺廿五世道誉竜順再建す
 
          @ 昭和五十九年(一九八四)九月
          A 工藤道誉竜順再建
          C 文京区本郷一‐八‐三               浄土宗嶺松山昌清寺
 
A 13014
芭   蕉   翁   之   墓
            夕可庵馬光書
  陰     ・翁瀬田のはしの吟詠を以て是を建て仍てさみたれ塚と稱す
        寛延三年八月十二日夕可庵門生園露什酒芬路
 
          @ 寛延三年(一七五〇)八月十二日
          A 夕可庵門生園露什 酒芬路建立
          B 夕可庵馬光筆
          C 文京区関口二‐一一‐三一                 関口芭蕉庵
          D 「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」の真蹟を埋める ここは黄檗宗龍隱庵
            の跡地で はじめ龍隱庵と称す のち芭蕉翁が有名になり 芭蕉庵と改称
            広重の名所江戸百景に「関口上水端はせを庵椿山」として描かれ 大正十五
            年(一九二六)東京府指定史蹟となる 馬光=長谷川氏 半左衛門 藤原直
            行と称す 初号白芹ついで素丸 号絢堂・夕可庵・其日庵(二世)・曇華斎
            ・泥山 津軽越中守侍医須田宗入の息子 幕府の御家人長谷川直隆に養われ
            八歳の元禄七年(一六九四)直隆の跡を継ぎ小普請方百五十俵を給された
            延享四年(一七四七)致仕 素堂に学び 其日庵を継ぐ 寛保三年(一七四
            三)芭蕉五十回忌に本所中之郷原庭町三十五番地(現墨田区吾妻橋二丁目)
            定林院(延享二年桃青寺と改める)に芭蕉堂を建て 芭蕉・素堂の二像を安
            置 寛延四年(一七五一)五月一日没六十五歳 芭蕉山桃青寺に墓がある
 
F 13015
ふ る 池 や か は つ 飛 こ む み つ の 音  芭蕉桃・
 
          @ 昭和四十八年(一九七三)十月十二日二百八十回忌
          A 関口芭蕉庵保存会建立
          B 当芭蕉庵伝来の真蹟
          C 文京区関口二‐一一‐三一                 関口芭蕉庵
 
F 13016
☆存疑
此 道 に 出 て 凉 し さ よ 松 の 月  芭蕉庵桃・
 
          @ 文化九年(一八一二)九月
          C 文京区目白台二‐一四‐九  清土鬼子母神(文京鬼子母神)左手大樹の傍
 
                               13‐04‐0166
F 13017
く わ ん を ん の い ら か み や り つ 花 の 雲  はせを翁
  碑面下部  芭蕉座像線刻
 
          @ 寛政八年(一七九六)十月十二日
          B 八十三歳翁泰松堂筆 座像嵩雪画
          C 台東区浅草二‐一      聖観音宗金龍山浅草寺境内弁天山時の鐘入口
 
J 13018
な か む と て 花 に も い た し 頸 の 骨  宗因
花 の 雲 鐘 は 上 野 か 淺 草 か        芭蕉
ゆ く 水 や 何 に と ゝ ま る の り の 味  其角
  陰     文化六・在己巳三月優婆塞菜窓菜英建 雲歩恭阿書
  台石    舊人丸堂にありしをこのたひ台石を新たにして此處に移す/ことは有志の力を合せし
        故なり明治二十七年仲春/發起人江崎禮二外十六名
 
          @ 文化六年(一八〇九)三月
          A 埼玉与野の俳人菜窓菜英建立
          B 雲歩恭阿筆
          C 台東区浅草二‐三‐一        聖観音宗金龍山浅草寺境内奥山公園
          D はじめ仁王門の脇に建て その後浅草神社裏手の人丸堂のほとりに移され
            明治二十七年(一八九四)二月現在地へ 菜窓=莊丹=前出P.0135
 
A 13019
芭   蕉   翁
 
          @ 文化年間=文化十四年(一八一七)
          A 白壽坊建立
          C 台東区上野公園     不忍池中島弁財天堂(別当天龍山生池院妙音寺)
 
F 13020
古 池 や 蛙 と ひ こ む 水 の 音
  陰     弘く化したる三つの彌生 秀廢古溪
 
          @ 弘化三年三月
          C 台東区今戸二‐一三‐一                   熱田神社
          D もと吉野町の地主社(弁天堂)池畔にあったものを昭和二十一年(一九四六
)            現在地に移す
 
F 13021
花 の 雲 鐘 は 上 野 か 淺 草 か  芭蕉
 
          @ 昭和六十年(一九八五)三月十四日新幹線上野開通記念
          A 商店街連合会々長横張進三建立
          B 加藤楸邨筆 ブロンズ嵌込
          C 台東区上野六‐一二‐一一商店街             鰻屋松住の前
 
 
 
                               13‐05‐0167
F 13022
み の 虫 の 音 を き ゝ に こ よ 草 の 庵
 
          @ 享和三年(一八〇三)
          C 墨田区横網一‐一二‐一〇           旧安田庭園駒止神社の先
 
F 13023
い さ ゝ ら ハ 雪 見 に こ ろ ふ 所 ま て  はせを
  陰     三世自在庵・・述佳園□義書/安政五年建立
 
          @ 安政五年(一八五八)
          A 三世自在庵・・建立
          B 真蹟
          C 墨田区向島五‐四‐四            天台宗寶壽山遍照院長命寺
          D 境内に俳人・空の再興した芭蕉庵があった ・空=稻津氏 初号青流 号石
            霜庵・竹尊者・阿桑門・空閑人・菩提庵・有無庵 大坂の人 早く和泉堺に
            住む 元禄十四年江戸に移り 其角に学ぶ 正徳元年(一七一一)隅田川の
            ほとり庵崎に有無庵を結ぶ 正徳四年(一七一四)箱根早雲寺の宗・墓前で
            薙髪し・空と改号した 享保十六年(一七三一)箱根に石霜庵を結び 享保
            十八年(一七三三)四月二十三日その地に没七十一歳 門人墓を早雲寺に建
            て「清流洞三幽・空居士」と刻む ・・=初め慈尺または字石と号し 水光
            (洞)・湖南(亭)・自在庵と称した 江戸の生まれ 蔵前の札差 ・空晩
            年の門人 宝暦四年(一七五四)没五十三歳
 
A 13024
芭   蕉   翁   俤   塚
 
          @ 宝暦十三年(一七六三)十月十二日七十回忌
          A 雪中庵三世大島蓼太建立
          C 墨田区千歳二‐一‐一六          臨済宗妙心寺派東光山要津寺
          D 蓼太が夢中に芭蕉の亡母の面影を見て画像を描き 塚に埋めた
            蓼太=前出P.0035
 
F 13025
ふ る 池 や 蛙 飛 こ む 水 の 音  はせを
  陰     雪は古池に和して水音をつたへ月の一燈花の清香も
        をのつからなる此翁の・光をあふくのみ
        白砂の雪より出たり後夜の月 夜雪庵普成
        夕汐やのほれは月のみやこ鳥 雪松樓龜求
        うつろハじ・・とてちる花歟 玉雪齋子交
  右     安永二癸巳・四月十二日深川親和七十三・書
 
          @ 安永二年(一七七三)四月十二日
          A 雪中庵蓼太建立
          B 深川三井親和筆
          C 墨田区千歳二‐一‐一六          臨済宗妙心寺派東光山要津寺
          D 蓼太=前出P.0035
 
                               13‐06‐0168
F 13026
春 も や ゝ け し き と ゝ の ふ 月 と 梅  はせを
 
          @ 天保七年(一八三六)二月
          A 旭連夜來らの建立
          C 墨田区東向島三丁目                    向島百花園
 
F 13027
こ に や く の さ し み も 些 し う め の 花  芭蕉
 
          @ 文化十一年(一八一四)一月
          C 墨田区東向島三丁目                    向島百花園
 
A 13028
☆消滅
(篆額)
・   齋   略
畫   芭   蕉     ( 芭 蕉 翁 涅 槃 の 圖 )
翁   臨   滅
度   之   圖
    此紙本嘗曙山所愛歿後刻碑陰
    以建於角田川木母寺裡云
 
          @ 文化十五年(一八一八)三月 
          A 沢村田之助曙山の門人らの建立
          C 墨田区堤通二丁目         天台宗梅柳山隅田院木母寺(梅若寺)
          D 図柄=芭蕉の臨終に弟子達が集って嘆き悲しんでいる情景 絵=鍬形・斎
            初め北尾重政門の浮世絵師政美と号す のちに狩野養川院の門下となり 御
            絵師となって 彼の創始にかかる略画で独特の才能を発揮した この図を描
            かせたのは女形で知られた二代目沢村田之助で 床の間にかけ 香を・して
            常に礼拝していた 文化十四年(一八一七)正月僅か三十四歳で歿くなり
            門人達が翌十五年の弥生に木母寺の梅若塚の右手に建立 陰に「田村曙山墓
            正月二十八日」とあるところから田之助の墓碑の意も含まれている
 
F 13029
ふ る 池 や 蛙 飛 こ む 水 の 音  はせを
  陰     要津寺に安永二年四月/深川親和七十三歳書の/芭蕉の碑あり/昭和丗年六月真鍋儀
        十/之を模書す/発起人飯田源次郎
 
          @ 昭和三十年(一九五五)六月
          A 飯田源次郎建立
          C 江東区常盤一‐六‐三                   芭蕉記念館
          D もと深川芭蕉庵跡にあったものを昭和五十六年(一九八一)四月移建
 
F 13030
川 上 と こ の 川 下 や 月 の 夜  芭蕉
            大塚仲町田中清太郎
  陰     昭和三十年五月納之
 
                               13‐07‐0169
          @ 昭和三十年(一九五五)五月
          A 大塚仲町田中清太郎建立
          C 江東区常盤一‐六‐三                   芭蕉記念館
          D もと深川芭蕉庵跡にあったものを昭和五十六年(一九八一)四月移建
 
F 13031
草 の 戸 も 住 み 替 る 代 そ ひ な の 家
  陰     昭和甲子時雨忌/江東区長小松崎軍次書
 
          @ 昭和五十九年(一九八四)十月十二日
          A 江東区建立
          B 江東区長小松崎軍次筆
          C 江東区常盤一‐六‐三                   芭蕉記念館
 
E 13032
抑此臨川寺はむかし佛頂禪師東都に錫をとゝめ給ひし舊跡也その頃はせを翁こゝの深川に世を遁れて朝
暮に往來ありし參禪の道場也とそしかるに翁先たちて卒し賜ひけれは禪師みつから筆を染めてその位牌
を立置れたる因縁を以てわか玄武先師延享のはしめ洛東雙林寺の墨なをしを移して年々三月その會式を
營み且梅花佛の鑑塔を造立して東國に傳燈をかゝけ賜ひしその發願の趣意を石に勒して永く成功の朽さ
らん事を爰に誌すものならし矣
     文化坊應一 以中坊待賈 楚石坊四睡
 
          C 江東区清澄三‐四‐六           臨済宗妙心寺派瑞甕山臨川寺
          D 四睡=姓名・生没年次ともに不明 加賀金沢の人 加賀藩の用人
 
A 13033
☆消滅
墨直しの碑(銘文略左記参照)
 
          @ 延享初年=延享二年(一七四五)
          A 小石川の玄武坊白山老人建立
          C 江東区清澄三‐四‐六           臨済宗妙心寺派瑞甕山臨川寺
          D 支考が宝永七年(一七一〇)三月十二日十七回忌に洛東雙林寺に建立した墨
            直しの碑を模したもの
 
A 13034
我師は伊賀の國に生れて承應の頃より藤堂の家につかふその先は桃地の黨とかやその氏は松尾なりけり
/今また四十の老をまたす武陵の深川に世を遁れて世に芭蕉庵の翁とは人のもてはやしたる名なるへし
/道はつとめて今日の變化をしり俳諧に遊ひて行脚の便を求むといふへしされは松嶋は明ほのゝ花に笑
ひ/象潟はゆふへの雨に泣とこそ富士よし野の名に對して吾は一字の作なしとは古をはゝかり今をゝし
ふるの/辭にて漂泊すてに廿とせの秋の暮て難波の浦に世にすみはてにけむ其比は・無月の中の二日な
りけり/さるを湖水のほとりにその魂をとゝめてかの木曾寺の苔の下に千・の名は朽さらまし東華坊
こゝに此碑/を造る事は頓阿西行に法縁を結ひて道に七字の心を傳ふへきとなり
       其    銘
   あつさ弓武さしの國の名にしあふ世に墨染の先にたつ人にあらすにありし世の/言葉みな聲あり
   てその玉川のみなかみの水のこゝろそ汲てしる六すし五すし/たてよこに流れてすゑは不か川や
   此世を露のをきてねてその蔭たのむその葉たに/いつ秋風のやふりけむその名はかりにとさしを
   きぬ春をかゝみの人も見ぬ身を難波津/の花とさく花の鏡に寢り覺めぬる
  陰     維石不言 謎文以傳
                               13‐08‐0170
          @ 昭和三十七年(一九六二)再建
          A 第十二世寛圃建立
          C 江東区清澄三‐四‐六           臨済宗妙心寺派瑞甕山臨川寺
          D 碑陰の読み=これいしものいはずめいぶんもってつたふ
            これを「墨直しの碑」という
 
F 13035
古 池 や か は す 飛 こ む 水 の 音  はせを
 
          @ 昭和九年(一九三四)十月
          B 九世晋永湖筆
          C 江東区清澄三丁目三                     清澄庭園
 
F 13036
古 池 や 蛙 飛 ひ 込 む 水 の 音
 
          C 江東区白河一‐三‐二八                深川江戸資料館
          D 初め日本橋堀留町割烹はせ甚の庭にあったもの 昭和四十年(一九六五)世
            田谷の自宅へ移す 昭和六十一年(一九八六)十一月十六日「江戸深川資料
            館」の開館に先立ち江東区が所有者はせ甚から借用して館内に展示
 
F 13037
草 の 戸 も 住 か は る 世 や 雛 の 家
 
          @ 昭和五十九年(一九八四)一月
          C 江東区三好一‐四‐五                     勢至院
 
F 13038
濡 て 行 人 も を か し や 雨 の 萩  芭蕉
 
          @ 明和五年(一七六八)
          A 葛飾派素丸建立
          C 江東区亀戸三‐三四‐二       天台宗慈雲山無量院龍眼寺(萩寺)
          D 素丸=溝口氏 号天地庵・宝机庵・其日庵三世 幕府御書院番で六五百石
            本所長崎町住 馬光門 寛政七年(一七九五)七月二十日没八十三歳
 
F 13039
☆石板塀
濡 て 行 人 も を か し や 雨 の 萩  芭蕉
 
          @ 大正十年(一九二一)十月
          B 老鼠堂永機筆
          C 江東区亀戸三‐三四‐二  天台宗慈雲山無量院龍眼寺(萩寺)門塀の石板
          D 永機=前出P.0123
 
F 13040
春 も や ゝ 氣 し き と ゝ の ふ 月 と 梅
 
                               13‐09‐0171
          @ 明治二十三年(一八九〇)七月
          A 澤口芙泉建立
          C 江東区亀戸三‐六‐一                   亀戸天神社
 
J 13041
し は ら く は 花 の 上 な る 月 夜 か な  芭蕉翁
嵐雪 吏登 蓼太の句あり(略)
  陰     雪中庵完來 夜雪庵普成 葎雪庵午心の句あり(略)
 
          @ 享和二年(一八〇二)二月二十五日百十回忌
          A 雪中庵完來建立
          B 雪中庵完來筆
          C 江東区亀戸三‐六‐一                   亀戸天神社
          D 吏登=櫻井氏 初め李洞 のちに人左・班象・後嵐雪・乱雪などと号した
            江戸の人 嵐雪門 雪中庵二世を継ぐ 高弟周竹から嵐雪の点印を付与され
            たが 隠逸謙退の人で 嵐雪を乱雪と書き のち前号の吏登に還った 晩年
            宇治山の法師歌を残さずと称し 生涯の詠草・撰集を焼却せしめたという
            門人蓼太と対蹠的性格の人 宝暦五年(一七五五)六月二十五日没七十五歳
            蓼太=前出P.0035 完來=前出P.0144 午心=岩波氏 山花・葎雪庵 小田
            原の人で江戸住 完來門  文化十四年(一八一七)一月二十一日没
 
F 13042
女木塚
秋 に 添 て 行 は や 末 ハ 小 松 川
  左     芭蕉翁
 
          A 其月庵社中建立
          C 江東区大島五‐三九‐二六       大島稲荷神社(愛宕神社を合祀)
          D 女木塚 はじめ新義真言宗愛宕山勝智院(大島稲荷神社と愛宕神社の別当)
            にあったもの その後大島五丁目の第二大島中学校に移し 再び現在地へ
 
F 13043
め に か ゝ る 雪 や し は し の 渡 鳥  芭蕉
 
          @ 文化二年(一八〇五)七月
          B 小柴暉雄筆
          C 江東区南砂七‐一四‐一八           富賀岡八幡宮(元八幡)
 
A 13044
☆戦災焼滅
芭   蕉   翁   桃   ・   居   士
  陰     元祿七甲戌年十月十二日
           
          @ 元祿十二年(一六九九)推定
          A 杉風 其角 嵐雪 史邦らの建立
          C 江東区森下二‐二二                曹洞宗蟠龍山長慶寺
          D 「世にふるは更に宗・の時雨哉」の短冊と芭蕉の落歯を杉風が埋めた 通称
            「時雨塚」という 昭和二十年(一九四五)の戦災で焼滅した 境内に其角
                               13‐10‐0172
            ・嵐雪・乙由等の墓があったという 史邦=中村氏 五雨亭 蕉門 没年未
            詳 尾張犬山の人 城主の公子寺尾直龍の侍医で 春庵と称したが 主君の
            蟄居後 貞享ごろ上洛 中村荒右衛門と名乗って 仙洞御所に仕え 与力衆
            にもなった その後浪人して 元禄六年(一六九三)江戸に下る 俳人とし
            ての全盛期は猿蓑時代で 芭蕉の遺物二見文台・嵯峨日記を伝来した
 
G 13045
☆戦災焼滅
芭蕉翁發句塚碑記并銘(銘文不明)
 
          @ 明和九年(一七七二)十月
          A 竹外深行建立
          B 鵜孟一寧製文
          C 江東区森下二‐二二                曹洞宗蟠龍山長慶寺
 
F 13046
い か め し き 音 や あ ら れ の 檜 笠  はせを翁
 
          @ 天保十四年(一八四三)十月百五十回忌
          A 星野連建立
          B 星喜庵北因筆
          C 品川区東大井四丁目                臨済宗天林山泊船寺
 
K 13047
芭   蕉   像   安   置
  陰     旅人と我名呼れんはつ時雨 はせを
 
          C 品川区東大井四丁目                臨済宗天林山泊船寺
 
F 13048
梅 香 に の つ と 日 の 出 る 山 路 か な
 
          B 日本橋室町の算盤商幸島桂花筆
          C 大田区多摩川二‐二八‐一六                斎藤製作所
 
F 13049
み ち の 邊 の 木 槿 は 馬 に 喰 れ け り  芭蕉翁
  陰     鈴木天由建之
 
          A 鈴木天由建立
          C 世田谷区用賀四‐一四‐四  真言宗智山派實相山眞如院眞・寺(赤門寺)
 
F 13050
春 も や ゝ け し き 調 ふ 月 と 梅  芭蕉翁
  陰     寛政五年癸丑春正月建之/掃素館主人赤峰書
 
          @ 寛政五年(一七九三)一月
          B 掃素館主人赤峰筆
          C 渋谷区神宮前二‐三‐八              臨済宗古碧山龍巖寺
                               13‐11‐0173
F 13051
☆存疑
暮 お そ き 四 谷 過 け り 紙 草 履  はせを
 
          C 渋谷区幡ケ谷本町二‐四四‐三 真言宗光明山真言院荘巌寺(幡ケ谷不動)
 
F 13052
眼 に か ゝ る 時 や 殊 更 さ 月 不 二  芭蕉翁
 
          @ 文政八年(一八二五)五月
          A 栗庵宇橋社中建立
          C 渋谷区渋谷一‐一二‐一六                  御嶽神社
          D 宇橋=『茗荷』俳諧撰集 不二叟宇橋編 雲水軒茶静校 宇橋序 文政五年
            (一八二七)刊 宇橋が江戸市中にある芭蕉の遺跡・句碑等を探って 一々
            その由来を記し かつそれに因んだ諸家の句を添えて上下二冊とし 同好の
            士に頒って芭蕉巡りの便を計ったもの 芭蕉庫・五月雨塚・古池・墨直塚を
            始め 泊船堂に至まで四十二箇所を挙げ 賛する諸家の句五百六十五章 他
            に宇橋・諸家の歌仙三 巻尾に宇橋・茶静の句各十二吟を添える 芭蕉研究
            の重要資料たるのみでなく 作者に化政期俳壇の粋を網羅し 当代の鳥瞰的
            句集として注目すべきもの
 
F 13053
し は ら く ハ 花 の う へ な る 月 夜 か な  はせを
 
          @ 文化年間=文化十四年(一八一七)
          A 太白堂門人山奴社中建立
          B 景山大野椎園筆
          C 渋谷区渋谷三‐五‐一二                 金王八幡神社
 
F 13054
古 池 や 蛙 と ひ 込 む 水 の 音
 
          C 中野区新井町                        川勝氏宅
 
A 13055
芭   蕉   翁
 
          C 中野区江古田一‐五                日蓮宗日光山蓮華寺
 
J 13056
撞 か ぬ 鐘 ひ ゝ く 程 ふ る 霜 一 夜  始・花本貞徳
初 し く れ 猿 も 小 簑 を ほ し け な り  芭蕉翁
は な れ し と 聲 か け あ ふ て 雁 渡 る  十二世靜歩
 
          @ 明治二十七年(一八九四)十一月
          C 中野区江古田一‐五                日蓮宗日光山蓮華寺
 
 
                               13‐12‐0174
F 13057
目 に か ゝ る 時 や 殊 更 五 月 富 士  はせを
 
          @ 文化七年(一八一〇)七月二十一日
          A 金子直徳白兎園宗周建立
          C 豊島区目白一‐五‐一               学習院富士見茶屋跡
 
C 13058
芭   蕉   翁
題 杉風 ・
しら露もこほさぬ萩のうねり哉
  陰     此あはれにひかれて
        萩植ゑて曇見習ふ山路かな 杉風
        寛政癸丑歳仲夏/採荼庵梅人・中
 
          @ 寛政五年(一七九三)五月
          A 採荼庵二世梅人・中建立
          C 豊島区巣鴨三‐二一‐二一              新義真言宗真性寺
          D 梅人=平山忠左衛門 三河田原藩士 江戸住 俳諧を広岡宗瑞に学び 第一
            園・独武者・採荼庵二世と号した 採荼庵一世が杉風であるから彼を杉風門
            とするものもあるが 梅人は杉風没後十余年の延享元年(一七四四)生まれ
            である 杉風門に中川宗瑞あり その門下の広岡宗瑞門に出た彼が二世を継
            いだのである 享和元年(一八〇一)一月十四日没五十八歳
 
F 13059
☆消滅
梅 か 香 に の つ と 日 の 出 る 山 路 哉
 
          C 豊島区南池袋四丁目                日蓮宗不動山寳城寺
          D 先端なのか 欠けたのか 土の上に十p位とがった石が地表に残っている
 
L 13060
千壽といふ所より船をあかれは
前途三千里のおもひ胸にふさかり
まほろしのちまたに離別のなみた
をそゝく
  行くはるや鳥啼魚の目はなみた
            はせを翁
巳友・兆子翁の小影をうつし
またわれをしてその句を
       記さしむ鵬齋老人書
  碑面下部  後學秋香菴・兆拜筆
        (芭蕉座像線刻)
        千壽鯉隱立石/群鶴刻
 
          @ 文政三年(一八二〇)十月十二日
          A 千住山崎鯉隱建立
          B 龜田鵬齋筆 建部・兆画
          C 荒川区南千住六‐六〇‐一                 素盞雄神社
                               13‐13‐0175
          D 亀田鵬斎=江戸後期の儒者 名は翼のち長興 号善身堂 江戸の人 折衷学
            者井上金峨に学び 山本北山とともに 荻生徂徠の古文辞学を排撃し 朱子
            学をも重んぜず 寛政異学の禁では異端の筆頭とされた 書を善くし 草書
            は近世を通じての名手といわれた 文政九年(一八二六)没六十四歳
            ・兆=前出P.0139
 
F 13061
魚 鳥 の 心 は 知 ら す と し の 暮  芭蕉翁
 
          C 練馬区中村町一‐一五‐一         真言宗瑠璃光山医王寺南蔵院
 
F 13062
父 母 の し き り に こ ひ し 雉 子 の 聲  芭蕉
 
          @ 安政六年三月
          C 練馬区高野台三‐一〇‐三  真言宗豊山派谷原山妙楽院長命寺(東高野)
 
L 13063
千じゅと云所にて船をあがれば前途
三千里のおもひ胸にふさがりて幻の
ちまたに離別の泪をそゝく
   行春や鳥啼魚の目は泪
是を矢立の初として行道なをすゝま
ず 人々は途中に立ならびて後かげ
のみゆる迄はと見送なるべし
  陰     街薄暑奥のほそ道こゝよりす 菖蒲園
 
          @ 昭和四十九年(一九七四)十月十二日
          A 東京都足立区建立
          C 足立区千住橋戸町三七 千住大橋橋敷           区立大橋公園
          D 菖蒲園=千住の青物問屋「大喜」の主人で俳人 ホトトギスの同人 昭和四
            十八年(一九七三)七月六十六歳没
 
F 13064
父 母 の し き り に 戀 し 雉 子 の 聲  はせを
 
          C 足立区西新井一‐五  真言宗五智山遍照院総持寺(西新井大師)本堂裏手
 
F 13065
        高野山にて
父 母 の し き り に こ ひ し 雉 子 の 聲  はせを
 
          @ 天保十二年(一八四一)百五十回忌
          A 衣靜 月山 菊主 季悦 松雨らの建立
          B 樂々庵大耳筆
          C 足立区西新井一‐五   真言宗五智山遍照院総持寺(西新井大師)光明殿
 
 
                               13‐14‐0176
F 13066
春 も 漸 け し き と ゝ の ふ 月 と 梅
 
          @ 文久三年(一八六三)十月
          C 足立区千住三‐二三                     氷川神社
 
F 13067
     ひとの短を云事なかれ
     己の長を説く事なかれ
も の い へ は 唇 さ む し ・ の 風  はせを翁
 
          @ 慶応二年(一八六六)
          C 足立区千住宮本町四四                    千住神社
 
F 13068
行 く 春 や 鳥 な き 魚 の 目 ハ 泪  芭蕉翁
 
          @ 昭和二十九年(一九五四)十月
          C 足立区千住五‐一七‐九         新義真言宗西林山長福寺安養院
 
F 13069
☆存疑
茶 水 汲 む お く ま ん だ し や 松 の 花  芭蕉
 
          @ 昭和四十三年(一九六八)十月十五日
          A 前神官と土地の人々の建立
          C 江戸川区江戸川五‐七‐六                  熊野神社
          D おくまん=お熊様(熊野神社)のこと 熊野神社の前を流れる江戸川の激し
            い水流を避ける「だし杭」がある 伝説=新中川に数十本の杭が打たれてい
            る これが「おくまんだし」と呼ばれている このあたりで将軍家の茶の湯
            の水を汲み上げたといわれ 芭蕉もここを訪れて この句を吟じたという
 
F 13070
秋 に 添 て 行 か は や 末 は 小 松 川
 
          @ 昭和六十年(一九八五)
          A 亀井杉芽女建立
          B 井本農一筆
          C 江戸川区中央四‐五‐二三                  香取神社
 
A 13071
芭   蕉   翁
     蛙   冢
  左     延享弐乙丑四月
 
          @ 延享二年(一七四五)四月(没後五十二年)
          C 八王子市散田五丁目          真言宗智山派常光山観音院眞覺寺
 
 
                               13‐15‐0177
F 13072
☆消滅
蝶 の 飛 ふ は か り 野 中 の 日 か け か な  芭蕉翁
 
          @ 寛政十二年(一八〇〇)八月
          A 松原庵二世榎本星布建立
          C 八王子市新町五‐六                   永福稲荷神社
          D 明治三十年(一八九七)四月の火災で焼滅
            星布=榎本氏 号絲明窓・松原庵二世 武蔵八王子の人 八王子横山の榎本
            忠兵衛徳尚の女 初め芝紅と号し 俳諧を鳥醉に学び 没後白雄に師事 宝
            暦五年(一七五五)星布に改めた 天明八年(一七八八)から松原庵二世星
            布と号した 芭蕉塚建立の翌享和元年(一八〇一)記念集『蝶の日かげ』を
            上梓 文化十一年(一八一四)十月二十八日没八十三歳 法号松原院梅聰慈
            香尼 墓八王子市元横山町二‐八大義寺
 
F 13073
蝶 の 飛 ふ は か り 野 中 の 日 か け か な  芭蕉翁
                    桑都九世松原庵太虚書
  陰          日影塚碑陰記
        榎本星布性雅にして俳諧をよくす桑都の人なり寛政
        十二年秋・翁の句碑を其の駐杖の地に建て日影塚と
        稱す偶々明治三十年四月祝融の災に遇ひて碑石剥落
        し今やつひにそのかけを留めす我等甚たこれを遺憾
        として今茲に己丑の秋同志相謀り以って旧地に句碑を
        再建せり仍ってこれを誌す
          昭和二十四年九月
 
          @ 昭和二十四年(一九四九)九月
          B 松原庵九世太虚筆
          C 八王子市新町五‐六                   永福稲荷神社
 
F 13074
先 祝 へ 梅 を 心 の 冬 こ も り  はせを
 
          C 八王子市北野町                   北野天神社神殿裏
          D 50・6・9発見
 
F 13075
し は ら く は 花 の 上 な る つ き 夜 哉  芭蕉翁
                    太白堂古月書
  陰     文化午
 
          @ 文化七年(一八一〇)
          A 松原庵社中
          B 太白堂古月筆
          C 八王子市下恩方二四六                辺名のロータリイ
 
 
                               13‐16‐0178
F 13076
さ ま ・ ・ の 事 お も ひ 出 す 櫻 か な  芭蕉
                  十世松原庵雲居書
 
          @ 昭和三十年(一九五五)
          A 元八王子松原庵社中建立
          B 松原庵雲居筆
          C 八王子市元八王子三丁目                   八幡神社
          D 40・5・3発見
 
F 13077
先 た の む 椎 の 木 も あ り 夏 木 立  芭蕉
                大教正三森幹雄謹書
 
          @ 明治四十三年(一九一〇)四月
          A 一味庵建立
          B 三森幹雄筆
          C 八王子市由木・水八〇                  曹洞宗永泉寺
          D 幹雄=前出P.0088
 
F 13078
ひ は り よ り 上 に や す ら ふ と お け か な  翁
 
          @ 天保十一年(一八四〇)十二月
          C 八王子市裏高尾町九五三                浅川老人ホーム
          D もと小佛峠にあったもの
 
F 13079
西 行 の 草 鞋 も か ゝ れ 松 の 露  はせを
  右     明治三十六・次癸卯九月建/發願人正風水音八王子分社長/蚯庵主高味石田
  左     獅子門十七世千秋庵敬書
 
          @ 明治三十六年(一九〇三)九月
          A 蚯庵主高味石田建立
          B 獅子門十七世千秋庵筆
          C 八王子市寺町七二                 曹洞宗清凉山長心寺
 
B 13080
☆句は誤伝
正   風   宗   子
芭   蕉   靈   祠
  陰     玉川の水におほれそおみなへし
 
          @ 幕末=慶応三年(一八六七)
          A 当時の住職建立
          C 青梅市青梅一二七〇                臨済宗瀑布山常保寺
          D 碑陰の句は誤伝で 杉風の句
 
 
                               13‐17‐0179
A 13081
芭   蕉   翁   靈   塚
 
          C 青梅市谷野一九三            新義真言宗星名山明星院眞淨寺
 
F 13082
梅 か 香 に の つ と 日 の 出 る 山 路 か な  はせを
  陰     當山三十五世・本亮譽/施主横川貞八/大講義横川好謹書
 
          A 當山三十五世・本亮譽建立
          B 横川好筆
          C 青梅市青梅一〇三二         真言宗豊山派青梅山無量壽院金剛寺
          D 昭和57・4・5名木の枝垂れ櫻に吸い寄せられて発見
 
F 13083
梅 の 香 に の つ と 日 の 出 る 山 路 哉  はせを翁
  陰     昭和丙午三月建之
        梅郷観光協会
        梅郷月ケ瀬会
        地元有志一同
 
          @ 昭和四十一年(一九六六)三月
          A 梅郷観光協会 梅郷月ケ瀬会 地元有志一同建立
          C 青梅市梅郷(吉野街道沿い)                 松葉屋前
 
F 13084
芭蕉句碑
象 潟 や あ め に 西 施 が 合 歓 の 花
            一九七〇年五月十日
              施主併書 川幡 保
 
          @ 昭和四十五年(一九七〇)五月十日
          A 川幡 保建立
          B 川幡 保筆
          C 調布市深大寺町二九〇五   天台宗別格本山浮岳山昌楽院深大寺延命観音
 
F 13085
旅 人 と 我 名 呼 れ ん 初 時 雨  はせを
  陰     慶應二寅星六月吉辰/門人企 玉翠 竹山 松山
 
          @ 慶応二年(一八六六)六月
          A 玉翠 竹山 松山らの建立
          B 成瀬の俳人松竹舎梅谷筆
          C 町田市成瀬吹上               バス停「吹上」近くの道端
 
F 13086
名 月 に ふ も と の 霧 や 田 の く も り  芭蕉翁
 
          @ 嘉永七年(一八五四)三月
                               13‐18‐0180
          A 日野市高幡一       真言宗智山派高幡山明王院金剛寺(高幡不動)
 
F 13087
春 も や ゝ け し き 調 ふ 月 と 梅  はせを
  陰     明治二十年亥初冬
        神奈川縣下武藏國久良岐郡大岡村平戸清八建立
 
          @ 明治二十年(一八八七)
          A 平戸清八建立
          C 日野市百草六五〇                       百草園
          D 百草園は黄檗宗慈岳山松蓮壽昌禪寺の跡地
 
F 13088
し は ら く は 花 の 上 な る 月 夜 か な  はせを
  陰     明治廿二年三月在横浜三掘武藏俳號月華建之
 
          @ 明治二十二年(一八八九)三月
          A 三掘武藏月華建立
          C 日野市百草六五〇                       百草園
 
C 13089
芭   蕉   靈   ・
ひよろ・・となほ露けしやをみなへし
   明治七年仲秋日行年七十五寶雪庵可尊拜書
 
          @ 明治七年(一八七四)八月
          A 寶雪庵可尊建立
          B 寶雪庵可尊筆
          C 国分寺市西恋ヶ窪一‐二七                  熊野神社
          D 可尊=寛政十一年(一七九九)恋ヶ窪に生まれ 本名坂本八郎兵衛 農業
            その後江戸牛込の寶雪庵五世蘭山の養子となり 四十年にわたり 江戸俳壇
            で活躍 明治元年秋故郷にもどる 明治十九年没八十八歳
 
F 13090
春 も や ゝ け し き と ゝ の ふ 月 と 梅  はせを
  陰     還暦       ・泉居友甫
        是からもまたおもしろき花の春
 
          @ 明治十年(一八七七)
          A ・泉居友甫建立
          C 福生市福生一〇七八                    福生神明社
 
J 13091
    點式五十週年紀念
名 月 や 疊 の 上 に 松 の か け       其角
暫 く は 花 の う へ な る 月 夜 か な  はせを
    鴉嗚九皐聲聞天詩經内二世壽蒼
  陰     限りなきものゝかきりや春の露 蓬中舎壽村
        五十年いつしらすきてけふの花  二世壽蒼
                               13‐19‐0181
           昭和十二年陽春
 
          @ 昭和十二年(一九三七)春
          A 蓬中舎二世壽蒼建立
          B 西多摩郡羽村町川崎二‐一七二                 宗禅寺
 
A 13092
翁   塚
 
          C 西多摩郡五日市町五日市六九一                 開光院
          D 昭和三十五年(一九六〇)修造
 
F 13093
山 中 や 菊 は 手 折 ぬ 温 泉 の 匂 ひ  芭蕉
 
          C 西多摩郡奥多摩町原                  静山荘温泉神社
          D 近く郷土資料館へ移建の予定