11‐01‐0122
F 11001
名 月 や 池 を め く り て 夜 も す か ら
陰 寛政三年辛亥秋八月十五日/碑成而建於仙波天女祠之傍/三芳野里莫逆友出眞・裝以
/助費云/與布彌識
@ 寛政三年(一七九一)八月十五日
A 白川與布彌建立
B 真蹟
C 川越市小仙波町四丁目 弁財天
F 11002
名 月 に 麓 の き り や 田 の 曇 はせを
安政四年丁巳夏六月 三芳埜連/法眼董斎正・書 宮龜年鐫
@ 安政四年(一八五七)六月
A 三芳埜庵原葎斎建立
B 法眼董斎正・筆
C 川越市大仙波 愛宕神社
F 11003
田 一 枚 う え て た ち さ る 柳 か な 翁
新井高成建
@ 安政五年(一八五八)
A 新井高成建立
C 川越市大中居 新井良郎氏宅
F 11004
こ の あ た り 目 に 見 ゆ る も の 皆 凉 し
A 綿権建立
C 川越市下新河岸 斎藤氏宅
F 11005
物 書 い て 扇 ひ き さ く 別 れ か な 芭蕉
陰 于時寛政八丙辰稔六月吉・日/願主武州忍下川上邑可曲
@ 寛政八年(一七九六)六月
A 下川上村可曲建立
C 熊谷市下川上 御嶽塚の傍
G 11006
芭 蕉 句 碑
寺に寝てまこと顔なる月見かな
この句は芭蕉が鹿島詣での折根本寺における作句の一つで桃青の/名で詠んでいる この句碑を建
11‐02‐0123
てた年代は明らかではないが この地に/芭蕉を慕う蕉門の人々があり 之を建てたことがうかが
える その後 幾/星霜にさらされ・砂にまみれたるにまかせたので その損傷を惜みここに築/
山を設けてこれを移してその由来を記して貴重なる郷土の文化遺産としてその保存を計る
昭和四十五年秋彼岸/ 観音寺住職 吉田隆如
@ 昭和四十五年(一九七〇)九月
A 観音寺住職吉田隆如建立
C 熊谷市下増田 観音寺
F 11007
寺 に 寢 て ま こ と 顏 な る 月 見 か な はせを
C 熊谷市下増田 観音寺
F 11008
何 の 木 の 花 と も し れ ぬ 匂 ひ か な はせを
陰 (判読不可能)
文化甲戌孟冬松花園英泉/香に匂ふ春や昔の歸り花 英泉
@ 文化十一年(一八一四)十月
A 松花園英泉の建立か
C 熊谷市今井 稲村氏宅
F 11009
座右之銘
人の短をいふ事なかれ
己か長をとく事なかれ
物 い へ は 唇 さ む し 秋 の 風 はせを
内田朴山謹書
陰 善光寺のかへるさ姨捨にて/けふの命ちとせなりけり今日の月
明治十四年 還暦有二翁朴山
@ 明治十四年(一八八一)
A 内田朴山建立
B 内田朴山筆
C 熊谷市肥塚 曹洞宗熊谷山大慈院報恩寺
F 11010
し は ら く は 花 の 上 な る 月 夜 哉
八十二即安道人
陰 熊谷堤の櫻樹についての文(略)
于時明治三十五年壬寅の彌生老鼠堂窓下に八十叟晋永機誌
@ 明治三十五年(一九〇二)三月
C 熊谷市鎌倉町 石上寺
D もと熊谷堤にあったもの 永機=通称穂積善之 江戸下谷に生まれ 俳諧を
父六世其角堂鼠肝に学び 其角堂七世を継承 明治二十年これを門人機一に
譲って 老鼠堂と号した 明治三十七年(一九〇四)一月十日没八十二歳
11‐03‐0124
F 11011
た ふ と か る 涙 や 染 て 散 る 紅 葉
A 其日庵四世加藤野逸 晴日庵南山建立
C 川口市戸塚 日蓮宗正立山本行寺
F 11012
八 九 間 空 て 雨 ふ る 柳 か な
C 川口市舟戸 善光寺
D 寺に格納保管
F 11013
先 つ た の む 椎 の 木 も あ り 夏 木 立 はせを
C 浦和市皇山 土肥政美氏宅
D もと浦和宿本陣にあったもの
F 11014
あ け ほ の や ま た 朔 日 に ほ と ゝ き す はせを
C 大宮市盆栽町 江原吉藏氏宅
D もと越谷の奈良屋呉服店にあったもの この奈良屋には「おくのほそ道」の
途次 芭蕉が泊まったという口碑がある
F 11015
元 日 は 田 毎 の 日 こ そ 戀 し け れ
月 は や し 梢 は 雨 を 持 な か ら
@ 文政年間=文政十二年(一八二九)推定
A 大沢永之助永之建立
B 酒井抱一筆
C 行田市行田 大沢みつ氏宅
D 永之=浅草茅場町の呉服商 天保十五年(一八四四)七十五歳没 関東大震
災後移転 抱一=前出P.0117
F 11016
古 池 や 蛙 飛 こ む 水 の 音 芭蕉翁
陰 多少庵秋瓜謹書
@ 寛政年間=寛政十二年(一八〇〇)推定
B 多少庵秋瓜筆
C 行田市 亀通山行田院大長寺
F 11017
あ の 雲 は 稻 妻 を 待 つ た よ り 哉 はせを
陰 文久二年戌正月吉日當所連
11‐04‐0125
@ 文久二年(一八六二)一月
A 曲山建立
C 行田市須加如来堂 一山堂
F 11018
兩 の 手 に 桃 と 櫻 や 草 の 餅 はせを
明願寺文献閑人
陰 いつの世の罪そ花見の留守□□文戲
安政七□□□□仲吉須加氏前建/同保輔自工
@ 安政七年(一八六〇)
A 須加氏前建立
B 明願寺文献閑人筆
C 行田市須加 須加邦雄氏宅
F 11019
名 月 や 池 を め く り て 夜 も す か ら はせを
C 行田市上池守 天神社(星宮小学校前)
F 11020 春 も や ゝ け し
き 調 ふ 月 と 梅 はせを
多少庵秋瓜敬書 催主 千翅 寛志
陰 百年の木に手の届く柳かな 多少庵/寛政五丑載十月十二日百回忌追福建之
@ 寛政五年(一七九三)十月十二日百回忌
A 若小玉村の名主五葉亭竹内宇吉千翅建立
B 多少庵秋瓜筆
C 行田市藤原町二丁目 竹内家墓地
F 11021
父 母 の し き り に 戀 し 雉 の 聲 はせを
@ 明治初年=明治二年(一八六九)
C 行田市北河原 泉福院昭岩寺
F 11022
名 月 の 花 か と 見 え て 棉 は た け はせを
正覺寺孝協大・の頌・文(略)/于時明治九丙子□十月金龍施無畏書
@ 明治九年(一八七六)十月
B 施無筆
C 行田市野七九五 高橋彦次郎氏宅
D もと正覺寺にあったもの
F 11023
し つ か さ や 岩 に し み 入 る ・ の 聲 はせを
陰 惟・大正十三年甲子之秋/寫梅園習菊建立
11‐05‐0126
@ 大正十三年(一九二四)秋
A 寫梅園習菊建立
C 秩父市寺尾 臨済宗要光山観音寺
F 11024
花 生 塚
う ち 寄 り て 花 生 さ く れ む め 椿 はせを
陰 上生庵建立
A 金乘院第十八世高盛住職上生庵建立
C 所沢市上山口新堀 真言宗吾菴山金乗院真光寺(山口観音)
F 11025
し は ら く は 花 の 上 な る 月 夜 か な はせを
鉄舟高歩書
陰 明治二十一年三月吉日
@ 明治二十一年(一八八八)三月
A 鈴木源太郎麗水建立
B 山岡鉄舟筆
C 所沢市西新井町 鈴木博氏宅
D 山岡鉄舟=通称鉄太郎 明治二十一年(一八八八)没 幕末・明治の政治家
剣客・書家
F 11026
枯 枝 に 鴉 の と ま り け り 秋 の 暮 はせを
陰 秋のあわれ菊作らすも咲にけり 轍之
A 飯能の俳人鍋屋與八轍之建立
C 飯能市山手町 観音寺
F 11027
け ふ は か り 人 も と し よ れ 初 時 雨 はせを
樂天堂紅林敬書
陰 大正十年辛酉十月十二日建之
@ 大正十年(一九二一)十月十二日
B 樂天堂紅林筆
C 加須市中央三丁目 千方神社
F 11028
曙 ゆ く や 二 十 七 夜 も 三 日 の 月 翁
陰 爲百五十回追編(以下略)
天保十四年連溪庵裳枝建
@ 天保十四年(一八四三)百五十回忌
A 連溪庵裳枝建立
B 真蹟
11‐06‐0127
C 加須市不動岡二丁目 新義真言宗玉鑄山総願寺
J 11029
花 さ か り 山 は 日 こ ろ の 朝 ほ ら け はせを
從二位勲一等伯爵東久世通禧書
敷 島 や や ま と 心 を 花 に 退 く 許十
久米幹文書
陰 鈴木忠全一櫻居許十の顕彰文(略)
于時明治二十四年季夏謹書
@ 明治二十四年(一八九一)六月
B 東久世通禧筆 久米幹文の句は自筆
C 加須市多門寺 愛宕神社
F 11030
明 月 の 花 か と 見 え て 棉 畠 芭蕉翁
右 百五十遠忌作譱 天保癸卯建之 翫月・文戲自立
@ 天保十四年(一八四三)百五十回忌
A 翫月・文戲建立
C 加須市平永 明願寺八幡宮
F 11031
も の 言 は 唇 さ む し 秋 の 風
謝蕪村の筆意なむ 隆古 (芭蕉座像線刻)
A 小倉紅於建立
C 本庄市中央 曹洞宗安養院小倉家墓地
F 11032
し く る ゝ や 田 の あ ら 株 の く ろ む 程 芭蕉翁
陰 慶應元乙丑年八月四日
@ 慶応元年(一八六五)八月四日
A 真水 田蛙らの建立
C 本庄市四方田 産泰神社
F 11033
名 月 の 花 か と 見 え て 綿 畠
C 東松山市上野本 関根八郎氏宅
F 11034
も の い へ は 唇 寒 し 秋 の 風 はせを翁
C 春日部市小渕 本山派修験道京都聖護院末小渕山正賢寺(観音院)
D 再建碑らしい
11‐07‐0128
F 11035
蓬 ・ に き か は や 伊 勢 の 初 便 芭蕉翁
多少庵秋瓜書
陰 多少庵孤豹庵連中
@ 寛政年間=寛政十二年(一八〇〇)推定
A 多少庵孤豹庵連中建立
B 多少庵秋瓜筆
C 羽生市東五丁目城跡 天神社
F 11036
春 も や ゝ け し き と ゝ の ふ 月 と 梅 芭蕉
陰 明治三十年丁酉三月/企幹槹香庵赴生 社友竹宇 杏村 紫峰
@ 明治三十年(一八九七)三月
A 槹香庵赴生建立
C 羽生市上羽生 毘沙門堂弁天島
F 11037
古 池 や か わ す と ひ こ む 水 の 音 芭蕉翁
@ 寛政十二年(一八〇〇)推定
B 多少庵秋瓜筆
C 羽生市北二丁目 蓑沢の薬師堂
K 11038
(篆額)箕田碑
武藏州足立郡箕田邑田間有一小竹叢名爲射貫相傳承平之際源公經基爲鎭在于此邑公嘗歸崇三寶欲營無量
壽堂因卜其地乃執弓跨馬出于城外北面發矢驗其所墜而建焉今觀於此叢縱横有畫密若束箭苞茂不増枯痒不
滅使人驚異蓋公之・也允武補育上下始受源姓拜大將軍不啻專美往古後裔氏族煕相續人民服歸焉其威・照
明熏蒿以赫厥靈宣哉未戒剪伐而民畏敬也傳之觀於郷而知王道之易々也知其功績布在方策吾儕何言後擧源
仕爲箕田令仕也勇智于城公侯其子綱也亦赳々武不鷹揚鷲攫如熊口碑永世傳云深山大澤出龍蛇夫箕田者勇
武之所蟠可謂武藏之武庫也今茲己卯之秋余遊于此佐藤加藤島村関根及邑長等相議欲碑此叢之元由而施于
不朽就請于余々曰人傑地靈實鍾秀焉此擧也亦類而巳略識其事銘曰
惟此叢竹 雨露養育/聲名馥郁 嗚呼・在/更見遺愛 永傳千・
寶暦九季己卯九月 前龍淵指月老衲撰
東都龍齊山維碩書
陰 世を經てもわけこし草のゆかりあらは/あとをたつねよむさしのゝはら
萬壽二年の春源綱行行齡七十有三命おはらんとせしときまくらにのこせし詠歌とそ君
位に背書して則曹傳山寶持禪刹に安す星霜つもりて七百餘・なをもわけこし草のゆか
りあらはと碑面に古蹟をあらわすものから國風のみそひともしゆきゝの人に何かつゝ
まんゆへに翁の二句をそへて文武のほまれをはるかにしたふ
蝶の飛はかり埜中の日かけかな 芭蕉翁
蜷のすむ籔さへ見ゆるしみつかな 鳥醉翁
安永七年未春三月/桃源庵文郷建/しら雄坊書
@ 安永七年(一七七八)三月
A 桃源庵文郷建立
B 加舎白雄筆
11‐08‐0129
C 鴻巣市箕田 氷川八幡神社
D 鳥醉=前出P.0069 白雄=前出P.0109
C 11039
芭 蕉 忌 千 句 塚
けふはかり人も年よれ初時雨
陰 漢文建碑由来文(略)
勝願寺住三十世仁譽代建之
碑面蕉翁の吟にて
夕暮をこらえこらえて初時雨 柳几
@ 天明七年(一七八七)
A 仁譽建立
C 鴻巣市本町 勝願寺
D 柳几が宝暦十三年(一七六三)芭蕉七十回忌に建立を企画したが果たさず
二十五年後に成る 柳几=通称横田三九郎 武蔵鴻巣の人 天明八年(一七
八八)没
F 11040
山 路 來 て 何 や ら ゆ か し す み れ 草 芭蕉翁
C 深谷市仲町三‐二 春山茂一郎氏宅
C 11041
芭 蕉 翁
夏來てもたゝひとつ葉のひとつ哉
陰 丹風 花麿
A 深谷の俳人本間甚五右衛門丹風と本ヤ杉田仙右衛門花麿の建立
C 深谷市西島三番地 卜部真雄氏宅
D もと中山道稲荷町の街道筋にあった のち稲荷町の本間本家(丹風の後裔本
間文四郎家)に移す 八年前に卜部氏宅へ
F 11042
能 見 れ は 薺 は な さ く 墻 根 か な 芭蕉翁
陰 垣根から廣かり出たり春の水 唯阿房化一
左 文化十癸酉年春二月 孝子中化建之
@ 文化十年(一八一三)二月
A 中化建立
C 深谷市宮ヶ谷戸 住吉神社
F 11043
☆存疑
秋 の 野 や 草 の 中 行 く 風 の お と はせを翁
秋香謹書
陰 昭和十三年之秋
11‐09‐0130
@ 昭和十三年(一九三八)秋
A 幡明会会員瓢水 桃英ら六名の建立
B 矢島の茂木秋香筆
C 深谷市宮ヶ谷戸 住吉神社
F 11044
御 命 講 や 油 の や う な 酒 五 升 芭蕉
陰 橿寮其好門人素梅 理川/明治三十三年十二月
@ 明治三十三年(一九〇〇)十二月
A 素梅 理川建立
C 深谷市大字上野台上宿一七四九 日蓮宗光巌寺鬼子母神堂脇
F 11045
(篆額)芭蕉翁
寒 菊 や 粉 糠 の か ゝ る 臼 の 端 桃・
梅室筆
碑面中央部 櫻井梅室の市月に送った一文(略)
碑面下部 芭蕉画像
碑面左 退く雲と花ともつるゝ夜明かな 市月
とちらから今日は來るやら不如歸 市月
碑面右 天照らす夜は名月の秋津島 市月
老と見て讓る人あり雪の道 市月
@ 明治十七年(一八八四)
A 玄香庵市川市月建立
B 篆額 其角筆 句 櫻井梅室筆
C 深谷市江原 摩利支天堂
D 梅室=前出P.0056
F 11046
頓 て し ぬ 氣 し き は 見 え す ・ の こ ゑ 芭蕉翁
陰 武藏の國棒澤中瀬の里斎藤南々深く此の道のみやひさを好み嘗て蕉翁の句碑を營み恩
報に供せん事を欲りして年ありとかや今此の翁百あまり五十の遠忌を期に此里天台道
場長勢山吉祥寺の境内に地を卜し碑面に高韻をあらはし裏にいさゝか事を記して萬代
の苔の花に傳へんとなり/天保十二年仲夏 鳳朗八十・
@ 天保十二年(一八四一)五月百五十回忌
A 斎藤南々建立
B 田川鳳朗筆
C 深谷市中瀬四一〇 天台宗長勢山吉祥院
D 記念句集『・塚集』上下刊行 鳳朗=前出P.0089
F 11047
☆存疑
冬 枯 や 世 は 一 色 の 風 の お と はせを翁
秋香拜書
陰 昭和十二年四月
11‐10‐0131
@ 昭和十二年(一九三七)四月
A 幡明会員らの建立
B 矢島の茂木秋香筆
C 深谷市原郷 愛宕神社
F 11048
俳諧言者有滑稽兼虚實時事而求題所詠盈一嚢以會俳林之雅園邑里之俳連優游樂是時宜也・
翁二百年之當御忌更起於明文會月次能畊俳田以質俚俗醜習斯道之隆盛欲望將來今茲蕉翁之
建於句碑者爲報恩謝徳也霞翠撰并書
冬 こ も り 又 寄 り そ は む 此 は し ら 翁
泰室拜書
陰 明治二十八年十二月十二日建
大正八年十月十二日再樹(追刻)
@ 明治二十八年(一八九五)十二月十二日二百回忌
A 斎藤令香建立
B 市川市月の孫泰室筆
C 深谷市大字原郷 式内社楡山神社東参道入口向かい側
D はじめ斎藤令香が自宅に建立 大正八年十月十二日再樹とあるので この時
現在地に移したのであろう
F 11049
蓬 ・ に 聞 か は や い せ の は つ 便 はせを翁
梅室拜書
@ 嘉永年間=嘉永六年(一八五三)推定
C 深谷市大字明戸諏訪新田 地蔵堂墓地
D 梅室=前出P.0056
F 11050
鶯 の 笠 お と し た る 椿 か な 芭蕉翁
陰 去年の燈もまたしめさぬに梅見かな 双杜
@ 天保五年(一八三四)
A 風月堂松翁 園照庵白石 楊柳舎白水 夢流軒寛龍らの建立
C 上尾市領家 椿堂(地蔵尊)
D 無礙庵双杜八十八歳の賀を祝して建立
F 11051
み ち は た の 木 槿 は 馬 に 喰 れ け り
陰 たいらなり初曙の昇汐 白扇
C 越谷市西新井 西教院
F 11052
凉 し さ や ほ の 三 日 月 の 羽 黒 山 はせを
陰 蓑谷既盈・八十二書/先師遺言にしてことし文政七甲申夏卯月/茲にこの碑を建既に
師の銘を録す/秋ちかき空定りぬ天の川/四大家四世鵲庵歩牛
11‐11‐0132
@ 文政七年(一八二七)四月
B 蓑谷既盈筆
C 戸田市上戸田 氷川神社
D はじめ戸田の渡しの羽黒山権現に建立 明治四十一年に移建
K 11053
☆庚申塚(庚申立像の脇に句がある)
もの言えは唇さむし秋の暮
右 天保三壬辰霜月吉日
@ 天保三年(一八三二)十一月
A 小山勝右衛門建立
C 戸田市新曽 博物館内
F 11054
ひ ら ・ ・ と あ く る 扇 や 雲 の 峰 蕉翁
董斎正拜書
@ 嘉永年間=嘉永六年(一八五三)
A 扇町屋(市内)の吉原蟻友建立
B 董斎正筆
C 入間市豊岡 愛宕神社
F 11055
花 は 賤 の 眼 に も 見 へ け り 鬼 薊 はせを
嘉永五年 月 法眼董斎正拜書
中野園東雲樹
@ 嘉永五年(一八五二)
A 中野園東雲建立
B 董斎正筆
C 新座市大和田一丁目 旧川越街道馬頭観音(鬼鹿毛)
F 11056
さ ま ・ ・ の こ と 思 ひ 出 す 櫻 か な
C 桶川市川田谷 花見堂
F 11057
原 中 や 物 に も つ か す 啼 雲 雀 はせを翁
渡學水壺謹書
@ 嘉永四年(一八五一)
A 有水 不二丸 歩曰ら石戸連の建立
B 渡學水壺筆
C 北本市石戸宿 榎堂
11‐12‐0133
F 11058
い ろ ・ ・ の こ と お も い 出 す 櫻 か な はせを翁
文化十五年戊寅春 井岷江建
@ 文化十五年(一八一八)春
A 井岷江建立
C 北本市荒井 岡野春吉氏宅
F 11059
あ か ・ ・ と 日 は つ れ な く も 秋 の 風 はせを
陰 嘉永五壬子・十月吉日建之
@ 嘉永五年(一八五二)十月
C 坂戸市仲町 吉川医院
F 11060
道 傍 の む く け は 馬 に 喰 は れ け り 芭蕉翁
陰 三世春秋庵連中/文政十二年・次己丑春三月
@ 文政十二年(一八五二)三月
A 春秋庵三世倉田葛三連中建立
C 入間郡毛呂山町川角 川角八幡神社
D 葛三=倉田氏 諱は覃 俗称久右衛文 号朽仏・默斎 信州戸倉の人 代々
信州松代藩士 天姥・白雄門 春秋庵三世・鴫立庵五世・虎杖庵二世 文政
元年(一八一八)六月十二日没五十七歳
F 11061
山 里 は 萬 ・ お そ し う め の 花 はせを
C 入間郡毛呂山町西戸愛宕下 相馬重夫氏宅
F 11062
春 も や ゝ け し き と ゝ の う 月 と 梅 芭蕉翁
陰 天保十一庚子年冬至日
@ 天保十一年(一八四〇)冬至日十一月二十八日
C 比企郡滑川町伊古 速御霊比売神社
F 11063
古 池 や 蛙 飛 こ む 水 の 音
C 比企郡滑川村水房炭竈 石川朋吉氏宅
F 11064
春 も や ゝ け し き と ゝ の ふ 月 と 梅 はせを
C 比企郡嵐山町志賀 多田米太郎氏宅
11‐13‐0134
F 11065
先 た の む 椎 の 木 も あ り 夏 木 立 はせを
陰 丁未仲夏之立
@ 弘化四年(一八四七)五月か
C 比企郡小川町下小川 八宮神社
F 11066
木 の も と に 汁 も 鱠 も さ く ら か な はせを
陰 以貞老人性嗜俳諧而常慕芭蕉翁/之風骨孜々汲々乎終當世冠里菴/干茲樹三尺石而自
勒蕉翁一句以/垂木朽矣是則老人多年之素懷也/余興翁有因故贅而數字以答其徳/音
而已/・山老人良以述/孫巒山書
C 比企郡小川町青山 氷川神社
F 11067
は る も や ゝ け し き と ゝ の う 月 と 梅 はせを
陰 當住勝道建
A 当社の宮司片岡源朝臣中将勝道建立
C 比企郡小川町大塚 八幡神社
F 11068
棧 や 命 を か ら む 蔦 か つ ら
陰 新道切下記念 加藤忠雄/明治三十五年十二月
@ 明治三十五年(一九〇二)十二月
A 加藤忠雄建立
C 比企郡小川町池田 兜川畔(県立小川高校の裏)
F 11069
蝶 の 飛 は か り 野 中 の 日 か け か な 翁
右 山王天寺 八王子大山道
陰 弘化三年丙午・三月吉日/願主的場/吉合戸/・木
@ 弘化三年(一八四六)三月
C 比企郡小川町上古寺 松郷峠(旧道)
F 11070
蛇 喰 ふ と 聞 け は お そ ろ し き し の 聲
C 比企郡小川町下里 下里の瀧(不動瀧)
F 11071
觀 音 の 甍 見 や り つ 花 の 雲 芭蕉
陰 明治二十九年十月/當所俳諧連中
@ 明治二十九年(一八九六)十月
11‐14‐0135
A 當所俳諧連中建立
B 田槐洲筆
C 比企郡小川町下里 大聖寺
F 11072
あ か ・ ・ と 日 は つ れ な く も 秋 の 風 はせを
陰 當山九十四世の時/東都特□坊建立
C 比企郡都幾川村大字西平 天台宗都幾山慈光寺
F 11073
・香塚
梅 か 香 に の つ と 日 の 出 る 山 路 か な
碑面唱句八十一叟能靜廬莊丹謹拜書之
@ 文化九年(一八〇九)
A 与野の俳人鈴木莊丹建立
B 鈴木莊丹筆
C 比企郡都幾川村大字西平字多武峯 武藤昌蔵氏梅香苑
D ・=梅 はじめ小川町上古寺の梅松院に建立された
莊丹=高柳氏 通称新十郎 初号雪奴・梅郎 号菜窓・菖庵・能靜叟 武蔵
川越の人 蓼太門の高足 文化十四年(一八一七)二月十四日没八十四歳
F 11074
む か し き け 秩 父 殿 さ へ す も う と り
田杢念建之
蕉翁行脚の舊跡にはあらねともそれ見合風情以・靈とす
A 田杢念建立
C 比企郡玉川村玉川 春日神社
F 11075
榎 の 實 ち る む く の 羽 音 の は つ 嵐
陰 芭蕉
左 矢那セ連中
A 矢那瀬連中建立
C 秩父郡長瀞町矢那瀬 地蔵堂
C 11076
芭 蕉 翁 菊 塚
寒菊や粉糠のかゝる臼の端
右 翁死年元祿七年十月十二日
左 寛□癸亥十月十二日吉田□中
興行五十回忌於菊水寺/絮格を首領とす
@ 寛保三年(一七四三)十月十二日五十回忌
A 下吉田の俳人絮格建立
11‐15‐0136
B 建部涼袋筆
C 秩父郡吉田町桜井 菊水寺
D 涼袋=本名喜多村金吾久域 のちに建部綾足と改む 初号葛鼠 号都因・佛
中隱士・吸露庵 画号孟喬・建凌岱・寒菊斎 国学では阿也太里・綾足 津
軽藩家老喜多村政方の次男 十一歳で父と死別 母は水戸家に仕えたため兄
に養われる 二十歳嫂に通じて出奔 京都東福寺の僧となる 翌年俳諧に志
し寺を去る 浪華の野坡に入門 野坡没後二十七歳の時金沢の希因を訪ね師
事 都因と改む 二十九歳の延享四年(一七四七)五月江戸に下り 浅草雷
門脇に吸露庵を営み 涼袋と改めた 宝暦十二年(一七六二)真淵門に入り
国学を修める 安永三年(一七七四)三月十八日没五十六歳
F 11077
菊塚
寒 菊 や 粉 糠 の か ゝ る 臼 の 端
C 秩父郡吉田町桜井 菊水寺
F 11078
山 里 は 萬 ・ 遲 し 梅 の 花
C 秩父郡吉田町上吉田 常光院
F 11079
と も か く も な ら て や 雪 の 枯 尾 花 芭蕉翁
@ 文政五年(一八二二)
C 秩父郡吉田町上吉田久形 萬福寺
F 11080
☆存疑
歌 よ み の 先 達 多 し 山 櫻 芭蕉翁
龍作建
A 龍作建立
C 秩父郡吉田町上吉田中島 中島不動尊
F 11081
春 な れ や 名 も な き 山 の 朝 霞
陰 安政七庚申年正月吉日
斎藤甲斐輔
@ 安政七年(一八六〇)一月
A 斎藤甲斐輔建立
C 秩父郡吉田町下吉田布里 彦久保忠作氏宅
F 11082
春 な れ や 名 も な き 山 の 朝 か す み 芭蕉翁
C 秩父郡吉田町太田部梁場 本田家墓地
11‐16‐0137
F 11083
翁塚 天保十二□□年 角二
梅 か 香 に の つ と 日 の 出 る 山 路 か な
@ 天保十二年(一八四一)
A 角二建立
C 秩父郡吉田町太田部小指 上井氏宅
F 11084
梅 か 香 に の つ と 日 の 出 る 山 路 か な はせを
陰 寛政五年十月十二日今日庵元夢書
中阿坊朴そう建立
@ 寛政五年(一七九三)十月十二日
A 中阿坊朴そう建立
B 今日庵元夢筆
C 秩父郡小鹿野町小鹿野 十輪寺
F 11085
清 く 聞 ン 耳 に 香 ・ て 子 規 はせを
@ 弘化三年(一八四六)
A 飯田不識建立
C 秩父郡小鹿野町岩殿沢 鷲窟山観音院
F 11086
蕉翁之句碑
む か し 聞 け 秩 父 殿 さ へ 角 力 取
@ 安政二年(一八五五)
C 秩父郡荒川村上田野 三上医院裏
F 11087
く た ひ れ て 宿 か る こ ろ や 藤 の 花
C 秩父郡荒川村浦山口久那 諸松平氏宅
F 11088
ほ と ゝ き す 聲 よ こ た ふ や 水 の 上 芭蕉
@ 大正十三年(一九二四)
C 児玉郡美里町広木 摩訶池弁財天
F 11089
☆戦時中供出
山 路 來 て 何 や ら ゆ か し す み れ 草 芭蕉翁
陰 天保二辛卯年晩春可布庵逸淵建之
@ 天保二年(一八三一)
11‐17‐0138
A 可布庵逸淵建立
C 児玉郡児玉町児玉 八幡神社
D 高さ九〇・九p円周一五一・五pの円筒形の鋳物のため昭和十八年供出
逸淵=前出P.0102
F 11090
山 路 來 て 何 や ら ゆ か し す み れ 草
C 児玉郡児玉町児玉 八幡神社
D 戦後の再建か
F 11091
む さ ん や な 甲 の 下 の き り ・ ・ す
C 児玉郡児玉町八幡山 雉ヶ岡城本丸跡金毘羅宮
F 11092
あ け ほ の や ま た 朔 日 の ほ と ゝ き す
陰 安政六年己未春建之
@ 安政六年(一八五九)春
A 伊丹篠涯舎溪斎門下建立
C 児玉郡児玉町秋山 十二天社
F 11093
芭蕉句
八 九 間 そ ら て 雨 ふ る 柳 か な
陰 文政紀元戊寅八月
@ 文政元年(一八一八)八月
C 児玉郡神川村渡瀬 原家庭園
F 11094
正風流花塚
は つ さ く ら お り し も け ふ は よ き 日 な り はせを翁
翠松斎法橋東一陽社中/法松斎東一陽
陰 安政三丙辰如月 東都一陽書
@ 安政三年(一八五六)二月
A 東一陽建立
B 東一陽筆
C 児玉郡上里町忍保 池上神社
A 11095
文化十三丙子年
芭 蕉 翁 塚
十月十二日 五道庵建
陰 温故誌(略)
11‐18‐0139
文政三年・次庚辰春二月彼岸/伊賀羽林臣致仕竹二坊識/東武高山物茂雄書
@ 文政三年(一八二〇)二月
A 五道庵竹二坊建立
B 横田柳几筆
C 大里郡江南町野原 五台山能満寺文殊寺
D 柳几=前出P.0129
F 11096
は つ し く れ 猿 も 小 蓑 を ほ し け な り はせを
陰 寺伝によると古く布袋庵柳几書による五道庵/建立の表記芭蕉の句碑ありと偶々今年
当山/の開扉にあたり茲に之を再現する/昭和五十年九月/文殊寺三十六世 秀文/
石川信陽書
@ 昭和五十年(一九七五)九月
A 文殊寺三十六世秀文建立
B 石川信陽筆
C 大里郡江南町野原 五台山能満寺文殊寺
F 11097
稻 妻 や 闇 の か た 行 鵁 ・ の 聲 桃・
陰 むさしの國長井庄聖天宮に建る芭蕉翁稻妻の句 この石ふみや太田うし南畝子の活筆
を需て書しむる處なり たゝし この句この地に援あるにあらすさきに同郷人五翁
角浪なるもの此丘に登りて凉秋月夜を玩ひ 二子頻に實景に感る事あり 于時此石ふ
みを起立せん事をめくらすと云 曾て世間古翁の句を揚て碑に建もの 或は東郊に詠
を似て西岳に營み 或は北海に全るを移て南湖にこれを建つ略その景情にそむくもの
少からすさはあれわけ行野山に旅心をなくさみ 花なき里に郷童を和悦せん媒となす
しかしなからこれ風流の一般にとゝまる處也かまえて僻事なとゝいうへきにあらす
况や實景に對して古人の作妙を賞るをや こゝにまた詞元都久裳可良久あり 同交五
渡 五棲なんと倶に志願を助け ちからをあわせてついに此碑を彫る いわゆる郷童
の和悦これなりけり 斯て祝す 古樟老杉この石ふみとゝもになかく法林の・苔を冠
らん事を
文化九年七月上弦 東都秋香庵・兆識
@ 文化九年(一八一二)七月
A 五翁 角浪 可良久 五渡 五棲らの建立
B 大田蜀山人筆
C 大里郡妻沼町妻沼 真言宗歓喜院長楽寺(妻沼聖天)
D ・兆=建部氏 名は英親 字は族父 号黄雀・秋香庵・喜國菜翁 武蔵千住
の人 書家山本龍斎の子 同地藤沢氏に寄遇し 父の没後 関屋の里に隠棲
白雄門 文化十一年(一八一四)十一月十七日没五十四歳 大田蜀山人=江
戸後期の狂歌師・戯作者 名は覃 通称直次郎 号四方赤良・寝惚先生 江
戸の人 十七歳から幕吏として玉川治水に当たる 文政六年(一八二三)没
七十四歳
F 11098
物 言 へ は 唇 寒 し 秋 の 風
右 大正十一年六月西田聖池庵
11‐19‐0140
@ 大正十一年(一九二二)六月
A 西田聖池庵建立
C 大里郡妻沼町妻沼 真言宗歓喜院長楽寺(妻沼聖天)
F 11099
古 池 や 蛙 飛 込 水 の 音 はせを
正二位大中臣藤波數忠書
@ 大正十二年(一九二三)
A 西田平吉青蛙建立
B 藤波數忠筆
C 大里郡妻沼町妻沼 真言宗歓喜院長楽寺(妻沼聖天)
F 11100
む さ ん や な 甲 の 下 の き り ・ ・ す はせを
陰 妻沼聖天山開創八百年記念/斎藤別当実盛公顕彰句碑建設の会建立
昭和五十四年春
@ 昭和五十四年(一九七九)三月十一日除幕
A 斎藤別当実盛公顕彰句碑建設の会建立
C 大里郡妻沼町妻沼 真言宗歓喜院長楽寺(妻沼聖天)
F 11101
は る の 夜 は 櫻 に 明 け て し ま い け り はせを
陰 發願者青蛙西田平吉/大正七戊午仲呂吉日
@ 大正七年(一九一八)
A 西田平吉青蛙建立
C 大里郡妻沼町妻沼 大我井神社
F 11102
今 日 は か り 人 も 年 よ れ 初 時 雨 はせを
陰 時雨會や禮相の人限りなく 七十二翁茂山/昭和二十八年十月建之
@ 昭和二十八年(一九五三)十月
C 大里郡妻沼町上根 奈良原茂氏宅
F 11103
☆存疑
蝶 鳥 の 知 ら ぬ 花 あ り 秋 の 空 はせを
陰 大空の花やこよひは秋最中 素僊
@ 明治十九年(一八八六)
C 大里郡妻沼町日向 長井神社
F 11104
原 中 や も の に も つ か す 鳴 く 雲 雀 はせを
11‐20‐0141
A 小林牛角建立
C 大里郡岡部町岡新田 小林久満雄氏宅
D 中山道脇にあったもので農家の橋板にされていた 昭和二十六年(一九五一
) 改建
F 11105
原 中 や 物 に も つ か す 鳴 雲 雀 はせを
@ 昭和五十八年(一九八三)新碑
A 小林久満雄建立
C 大里郡岡部町岡新田 小林久満雄氏宅
F 11106
原 中 や 物 に も つ か す 鳴 雲 雀 はせを
八十五叟蕾丈謹書
A 岡部町文化会建立
B 蕾丈筆
C 大里郡岡部町岡新田 中山道国道十七号線道路脇
D 古碑が行方不明になったので再建したが 古碑は発見され 小林氏宅に修造
G 11107
芭蕉翁句碑雲雀塚由来の記
はれた季年彌生の候にこの地を旅する加賀侯も駕籠を停めてその啼聲に聞きほれたとのことてある果せ
る哉俳人小林牛角師は芭蕉翁の名吟/原中や物にもつかす鳴雲雀/の句碑を建てゝその風雅の道を偲ん
た郷人呼ひて雲雀塚といふこの句續虚栗に載せられ翁の壯年期の作と推定される翁が日夜私淑した西行
の詩精神を渾化した無著の心を懷しむと共に凝滯せぬ雲雀の聲の無心さをよく現はしている春の日の駘
蕩の趣と何か悠久なるものへのいさなひをさへ感しさせる眞にこの句この碑ほとこの地の景物たる雲雀
を讃美するに値したものはなかつたしかし星霜の久しき遂に名は碎け文字はうすれて鑑賞に堪へられな
くなつた先に蝶園秋香老これを愁へこの度岡部村文化会の有志これを悲しみ雲雀塚の再建を志し新たに
句の揮毫を信濃なるからむしの主蕾丈
B 蕾丈筆
C 大里郡岡部町岡新田 中山道国道十七号線道路脇
G 11108
芭蕉翁句碑雲雀塚由来の記
岡部の原はその名高く平安の昔曾根好忠に歌はれ室町の頃回国雑記に書かれた武蔵野は北端中山道を距
てゝ小山川の清流に臨み田園よく拓けて一望三百余町遠く浅間の噴煙男体の白雲を眺め赤城榛名妙義の
三山は指顧の間にある春陽遅々たる日こゝに囀り上る雲雀の声は天下無双と謳はれ特に地名に因んて砂
田の雲雀という人その由来の文を余に嘱し石に鐫して後代に遺し長く蕉風の雅懐を伝へることになった
行人のこの地に立って雲雀の声に耳を傾け翁の句を口すさむことかあれはこそなき幸てある
昭和三十二丁酉年十月十二日
埼玉県俳句連盟顧問籬窓山口平八撰/蝶園茂木秋香門人江南鳥塚勇三郎書
@ 昭和三十二年(一九五七)十月十二日
B 江南鳥塚勇三郎筆
C 大里郡岡部町岡新田 中山道国道十七号線道路脇
11‐21‐0142
F 11109
☆存疑
花 の 影 硯 に 代 る 丸 瓦 はせを
C 大里郡岡部町本郷字日向 馬場跡
F 11110
む か し き け 秩 父 殿 さ え す も う と り はせを
後学無腸書
陰 畠山重忠公は秩父氏六代の裔にしてこの地に生る年少の頃より怪力にして大石を投け
しことなと口碑に残れりこゝに芭蕉翁の公を讃えし一句を選ひ石沢無腸門下相はかり
小碑を建立す
当所南圃 杏村 無南 一水 一望 本田湯月 桃土 かね子 善八郎
昭和五十二年文化の日
@ 昭和五十二年(一九七七)十一月三日
A 石沢無腸門下建立
B 石沢無腸筆
C 大里郡川本町畠山 史跡公園(畠山重忠墓)
F 11111
春 の 夜 や 籠 り 人 ゆ か し 堂 の 隅 はせを
陰 萬延二龍集辛酉年如月十有二日
@ 万延二年(一八六一)二月十二日
C 大里郡川本町長在家 稲荷神社(石臼稲荷)
F 11112
川 上 と こ の 川 下 や 月 の 友 芭蕉翁
@ 慶応三年(一八六七)
C 大里郡花園村荒川 聖天院(壽樂院持)
F 11113
春 も や ゝ け し き と ゝ の ふ 月 と 梅
四世夜雪庵金羅
陰 建立明治十七年仲夏
@ 明治十七年(一八八四)五月
C 大里郡寄居町富田 大聖山明王坊真言院不動寺
F 11114
古 池 や 蛙 と ひ 込 む 水 の 音
C 大里郡寄居町鉢形 浄恩寺
11‐22‐0143
F 11115
八 九 間 そ ら に 雨 ふ る 柳 か な はせを
C 北葛飾郡杉戸町杉戸四丁目 杉戸公園浅間山
D 弘化年間(一八四四〜一八四七)に浅間神社があり その後廃絶 昭和三十
四年(一九五九)に再興 碑は昭和三十四年十一月に現在地に移建 富士講
の富士山の岩山の中に埋め込まれる
F 11116
名 月 の 花 か と 見 え て わ た 畠 はせを
陰 二葉三葉そめて久しや初もみち 補助翠雨
朝顏や頓着のないつるの伸 東寧
我耳にはかりきこえて秋の鐘 柳省
白菊におくつゆ清き匂ひかな 清遊
野の荻や風のいとまをむすふつゆ 粹遊
初秋やかるうもてなすさゝのかせ 書水
賣聲は蟲にいはせて歩行けり 二葉
實の入て螽裳赤くなりにけり 服林
風なりに草の寂けり蟲の聲 寶遊
茸かりや掃たやうなる小松原 里遊
草の戸は耳に隙なし蟲の聲 催主岸柳
明治三十年初夏 彫工森亀鶴
@ 明治三十年(一八九七)
C 北葛飾郡庄和町西親野井 不動堂