08‐01‐0060
F 08001
芭 蕉 野 分 し て 盥 に 雨 を 聞 夜 哉
@ 安永年間=安永九年(一七八〇)
A 幻窓晋派巽一葛松原人湖中建立
B 湖中筆
C 水戸市酒門町坂上 真宗大谷派遍照山光明院善重寺
D 芭蕉の文字が上部に横書きになっていて 署名はない もと酒門坂下に建立
されていたが 倒され田圃の用水堀の橋に使われていた
初世湖中=水戸藩士二千石取り家老太田資胤 其角門の湖十に学び 湖字を
継ぎ 其角の点印 雪月花・芭蕉葉・半面美人を伝えた
F 08002
古 池 や 蛙 と ひ こ む 水 の 音 芭蕉翁
陰 文化丑孟冬遲月庵建之
@ 文化二年(一八〇五)十月
A 龍光院住職遲月庵空阿上人建立
C 水戸市飯富町三五四四 高水山龍光院跡(柏清隆氏所有地)
D 遅月庵空阿=『俳諧水滸伝』の著者 寛政元年(一七八九)頃成
F 08003
古 池 や 蛙 と ひ こ む 水 の 音 はせを
@ 文久年間=文久三年(一八六三)
C 水戸市姫子二‐一六六‐二 平松康夫氏宅
D 医師本間家七代道偉の邸 藤坂町(現泉町三丁目付近)にあったものという
B 08004
(篆額) 芭 蕉
松風のおち葉か水の音すゝし
陰 文政九丙戌年四月立石
催主水戸陶々小菅磨牛當村梅蘆
@ 文政九年(一八二六)四月
A 水戸陶々 小菅磨牛 當村梅蘆建立
B 水戸陶々寛齊筆
C 日立市東河内町玉簾 臨済宗円覚寺派瀑布山玉簾寺観音堂
F 08005
こ の あ た り 目 に 見 ゆ る も の は 皆 凉 し はせを
陰 見わたしに高え木のなしけふの月 進昇亭立石
明治三十四年八月
08‐02‐0061
@ 明治三十四年(一九〇一)八月
A 進昇亭立石建立
C 土浦市東崎町 鷲神社
F 08006
八 九 間 空 て 雨 降 る 柳 か な はせを
七十二叟野帆敬書
陰 嘉永五年壬子十月十二日當
蕉翁百五十九年忌日建之
@ 嘉永五年(一八五二)十月十二日百五十九回忌
A 内田喜平治野帆らの建立
B 内田喜平治野帆筆
C 土浦市大手町 曹洞宗医王山東光寺
F 08007
春 も 漸 け し き と ゝ の ふ 月 と 梅 はせを
陰 ・垣や願の外の風薫 蹊深亭一雄
中家村大字下高津通稱高橋源次衞門建之
明治廿四年辛卯二月
@ 明治二十四年(一八九一)二月
A 蹊深亭一雄通称高橋源次衞門建立
C 土浦市小松町 廿三夜尊
F 08008
い か め し き 音 や あ ら れ の ひ の き 笠
陰 境界につゝく寂あり山さくら
文化丁丑十四彌生日 造化亭雨交建
@ 文化十四年(一八一七)三月
A 造化亭雨交建立
C 古河市中田 真宗大谷派巌松山聖徳院光了寺
C 08009
享和三龍次癸亥仲春
芭 蕉 墳
春もやゝけしき調ふ月と梅
左より陰へ 雨の梅古今の四撰誰々そ 蓼兎
月白し梅紅いの眞上より 分手
春なれや假さめなから月の梅 掬月
朝夕に立ちよるかけや梅の花 杵曉
@ 享和三年(一八〇三)二月
C 古河市大手町 浄土宗證誠山正定寺
08‐03‐0062
F 08010
(篆額)蕉翁吟
い さ 行 ん 雪 見 に こ ろ ふ 所 ま て
陰 傳孔堂紫雪
たゝ居れは人の師走を來て語る
天保十年・在己亥九月建石
@ 天保十年(一八三九)九月
A 傳孔堂紫雪建立
C 石岡市府中五丁目 真言宗智山派浄瑠璃山東方院国分寺
D 51・5・14発見
F 08011
有 か た や 雪 を か を ら す 南 谷 はせを
陰 昭和十年五月吉辰 破塵建之
@ 昭和十年(一九三五)五月
A 伊藤破塵建立
C 下館市大町 羽黒神社
F 08012
☆誤伝
八 乙 女 は 田 に 唄 ふ な り 夏 ・ 樂 はせを
陰 明治二十一年六月/催主梅ノ本月堂
@ 明治二十一年(一八八八)六月
A 梅ノ本月堂建立
C 下館市樋口 雷神社
F 08013
(篆額)夢遊
明治八乙亥正月吉晨鶯林堂主人僊晁建之/俗稱増田惣右衞門喜晶/行年六十有五翁
八 九 間 空 て 雨 ふ る 柳 か な はせを翁
@ 明治八年(一八七五)一月
A 増田僊晁建立
C 結城市結城永横町 新義真言宗慶福山万福寺釈迦堂入口
D 陰に大石良雄 其角 嵐雪 徂來 文晁 應擧 山陽 大雅 蕪村 蜀山人
らの句や像を線刻
F 08014
さ ま ざ ま の 事 思 い 出 す 桜 か な 芭蕉
@ 昭和六十年(一九八五)
C 龍ヶ崎市龍ヶ崎ニュータウン北龍台地区松葉団地 松葉小学校正門前
F 08015
は ひ 出 よ か ひ や か 下 の 蟾 の 聲 はせを
法眼塵齋正拜書
08‐04‐0063
陰 澹然舎分賞の顕彰文(略)
文久紀元辛酉秋八月・中等建之
@ 文久元年(一八六一)八月
A 澹然舎分賞門弟らの建立
C 水海道市亀岡町 浄土宗報国寺
F 08016
枯 芝 や ま た か け ろ ふ の 一 二 寸 芭蕉翁
陰 宮本瑞伯赤岳翁顕彰文(略)
明治十五年・在壬午春二月
@ 明治十五年(一八八二)二月
A 宮本瑞伯赤岳の俳友連中建立
C 水海道市亀岡町 浄土宗報国寺
F 08017
野 を よ こ に う ま 曵 む け よ ほ と ゝ き す 芭蕉翁
分 賞 敬 書
曙葎男營造建之
陰 曙葎の顕彰文(略)
@ 安政五年(一八五八)四月
A 曙葎の息子建立
B 分賞筆
C 水海道市亀岡町 浄土宗報国寺弁天堂
F 08018
世 に さ か る 花 に も 念 佛 ま う し け り 芭蕉
陰 左風居士の事蹟文(略)
文政八年乙酉春三月立之 猪瀬愿謹誌
@ 文政八年(一八二五)三月
A 左風の兄山中半兵衛建立
C 水海道市橋本町 浄土宗蓮台山大楽寺
F 08019
人の短をいふ事なかれ
己の長をとく事なかれ
も の い へ は 唇 寒 し あ き の 風 はせを翁
赤岳謹書
陰 土信田善左衞門明石の顕彰文(略)
嘉永五年・次壬子九月二十二日
@ 嘉永五年(一八五二)九月二十二日
A 明石の俳友らの建立
C 水海道市高野 浄土宗真宗寺跡高野町公民館前
08‐05‐0064
F 08020
猶 見 た し 花 に 明 行 ・ の 顏 はせを
篠塚道元建之
陰 篠塚道元の顕彰文(略)
文化十五・戊寅暮春之日友人秋葉可明誌
@ 文化十五年(一八一八)三月
A 篠塚道元建立
C 水海道市天満町 天満宮
D はじめ諏訪神社に建立
F 08021
芭蕉翁之句塚 小澤庵芝六拜書
ふ ゆ こ も り ま た よ り そ わ む こ の は し ら
天明三年癸卯十月 吾々庵・中伴隨建
@ 天明三年(一七八三)百回忌(十年取越)
A 吾々庵・中伴隨建立
B 草湖庵芝六筆
C 常陸太田市木崎二町目 真言宗豊山派白鳥山北野寺梅照院
D 芝六=太田の庄屋太田鋳銭座願主小澤九郎兵衛 初代尾花庵を名乗る
F 08022
子 規 招 く か 麥 の む ら 尾 花 はせを
陰 親しみの風には深き尾花哉 沼尻可昇
@ 明治二十七年(一八九四)二百回忌
A 六世尾花庵沼尻可昇建立
C 常陸太田市宮本町 若宮八幡宮境内東北側駐車場
D 沼尻可昇=塩横町(西一町)に住む商家の主人会津屋茂兵衛 芭蕉真筆のあ
る文台があったらしい
F 08023
此 あ た り め に 見 ゆ る も の み な す ゝ し はせを
文政三年庚辰秋七月
常北平潟敬五亭隨和建
秋石齊隨時書
黒浦山主萬府代
@ 文政三年(一八二〇)七月
A 常北平潟敬五亭隨和建立
B 秋石齊隨時筆
C 北茨城市平潟字黒浦 八幡神社
F 08024
し は ら く は 花 の う え な る 月 夜 哉 はせを
@ 明治二十六年(一八九三)十一月
C 笠間市笠間 笠間稲荷神社
08‐06‐0065
F 08025
古 池 や 蛙 飛 込 水 の 音 芭蕉翁
陰 彫工三澤半助朝峰
左 天保十二丑・孟夏吉日
・光代鑑寺知隱立之
@ 天保十二年(一八四一)四月
A 知隱建立
C 笠間市笠間九六二 曹洞宗五臺山玄勝禪院
F 08026
名 月 や 座 に 美 し き 顏 も な し はせを
陰 水府柳葉建
@ 文政三年(一八二〇)
A 延壽院住職朝日柳葉建立
C つくば市小田 真言宗豊山派富岡山石上寺延壽院跡薬師堂
F 08027
蝶 の 飛 は か り 野 中 の 日 蔭 か な 芭蕉
陰 二名の句あり(略)
于時文久二戌・次八月四日□□□誌
@ 文久二年(一八六二)八月四日
C 東茨城郡茨城町小幡 愛宕神社
D 明治初年御神庫の土台石に利用されていた 昭和四十五年(一九七〇)御神
庫の改築により 発見される
F 08028
春 も や ゝ 氣 色 調 ふ 月 と 梅 はせを
明治戊子春建・月堂春雨
@ 明治二十一年(一八八八)春
A 雨谷俊夫氏四代前の祖・月堂春雨建立
C 東茨城郡茨城町馬渡 雨谷俊夫氏宅
F 08029
庭 掃 て 出 は や 寺 に ち る 柳 はせを
陰 世を今にはこふ雪有ほとゝきす 傘車居士爲追悼
催主昨日庵三世傘車
右 弘化四龍舎丁未二月日建
@ 弘化四年(一八四七)二月
A 昨日庵三世傘車建立
C 東茨城郡茨城町鳥羽田 天台宗法叡山高岳院円福寺
08‐07‐0066
I 08030
歸路自準に宿ス
塒 せ よ わ ら ほ す 宿 の 友 す ゝ め 松江
あ き を こ め た る く ね の 指 杉 桃・
月 見 ん と 潮 引 き の ほ る 舟 と め て ソラ
陰 世ニ俳諧歌有リ蓋シ國風ノ變ニシテ猶詩ノ近體絶句ノ如シ則チ是レ一體ニシテ其ノ來
ルヤ之ヲ久シクス 芭蕉翁ナル者一タビ出テヨリ天下ノ誹諧ヲ道トスル者翁ヲ折衷ス
世ノ翁ヲ尊信スル者特ニ誹諧ノ流風ノミナラズ 其ノ筆蹟寸紙ヲ得テハ則チコレヲ寶
トスルコト尺壁ノ如シ 余ノ門人本間玄琢家ハ芭蕉翁ノ眞蹟ヲ多ク藏ス 蓋シ其ノ・
先松江ハ嘗テ戸田侯ニ仕ヘ美濃ノ大垣ニ於テ蕉翁ト相識リ其ノ道ヲ翁ニ受ク 後官ヲ
棄テ刀圭ヲ業トシ常南ニ卜居ス 翁ノ東遊スルヤ本間ノ家ヲ主トシ 且醫ヲ松江ニ學
ビ道ヲ互ニシ相師トナリ 友情ノ交リ甚ダ密ナリ 其ノ唱和スル所及ビ冩本ノ屬大イ
ニ富ム 玄琢ノ先人左右叟亦其ノ道ヲ好ミ頗ル名手タリ 阿部豊後侯之ヲ聞テ台見シ
寵遇甚ダ深シ 乃チ芭蕉翁ノ眞蹟數幅ヲ進呈ス 今尚所傳ノ禁方ノ盟約並ニ唱和ノ巻
册若干ト云ウ 玄琢常ニ年月ノ久シク子孫若シ守ルコト能ハサルヲ恐ル 有力者ノ奪
フ所トナレバ則チ合浦ノ珠モ再ビ還ラザルナリ 仍テ一石ヲ立テ其ノ唱和スルモノヲ
之ニ不朽ニセント欲シ 因ニ予ニ其ノ由ヲ記センコトヲ乞フ 其意ニ忤 ベカラザル
モノ有リ 聊カ數言ヲ題スト云ウ(原漢文)/南陽原昌克撰并書
@ 寛政五年(一七九三)百回忌
A 本間家五世本間玄琢松江建立
B 真蹟
C 東茨城郡小川町 曹洞宗東明山天聖寺本間家墓地
D 本間家は四代目道意の代に小川に転居
F 08031
春 も や ゝ け し き と ゝ の ふ 月 と 梅 はせを
陰 天保三年壬辰三月建
昭眉 孤山ら二十二名の名前あり(略)
@ 天保三年(一八三二)三月
A 昭眉らの建立
C 東茨城郡小川町下吉影 真言宗豊山派泰永山修善院東中寺門前
F 08032
名 月 に 麓 の 霧 や 田 の 曇 はせを
陰 明治三十三年晩春
高仙江幡熊之助書
竹彦坂田忠次建之
@ 明治三十三年(一九〇〇)三月
A 坂田忠次竹彦建立
B 江幡熊之助高仙筆
C 東茨城郡内原町鯉渕 坂田勝氏宅
D はじめ鹿島神社に建立
08‐08‐0067
F 08033
夏 來 て も 只 一 つ 葉 の ひ と つ か な 芭蕉翁
寛政七年卯四月雨月山・郊愼書
@ 寛政七年(一七九五)四月
B 雨月山青郊筆
C 西茨城郡岩間町泉愛宕山頂 愛宕神社
F 08034
埜 を 横 に 馬 引 向 よ 時 鳥 蕉翁
@ 明和二年(一七六五)頃
C 那珂郡東海村村松 真言宗豊山派村松山日高寺虚空蔵堂
D 51・11・18発見
C 08035
芭 蕉 翁
松風の落葉か水の音凉し
陰 寛政五癸丑十月十二日
@ 寛政五年(一七九三)十月十二日二百回忌
A 中島無礙庵五峰建立
C 那珂郡那珂町額田東郷二四一 道路脇(干拓碑の隣)
D 千石だめ(有ヶ池)=用水池 戦後干拓され水田になった
J 08036
月 川 塚
河 上 と こ の 川 し も や 月 の 友 芭蕉翁
花 咲 や 達 者 も 老 の ひ と か せ き
七十・魚淵
@ 文政七年(一八二四)
A 佐藤魚淵建立
C 久慈郡大子町大子金町通り 観音堂
D 魚淵=吉村氏 養子となって佐藤氏 名は信胤 号正風院・艸不庵 信濃水
内郡長沼村の医者 医名松益 法橋に叙される 一茶門 天保五年(一八三
四)六月十一日没八十歳
F 08037
八 九 間 空 て 雨 降 る 柳 か な 芭蕉翁
@ 寛政二年(一七九〇)六月
A 昌信 露・ 曲瓜建立
C 久慈郡大子町上岡 八龍神社
F 08038
む め か 香 に の つ と 日 の 出 る 山 路 哉 芭蕉翁
08‐09‐0068
C 久慈郡大子町下金沢 十二所神社境内旭神社
D 間口三尺奥行四五尺の木造板葺の小祠
F 08039
名 月 に 麓 の 霧 や 田 の く も り はせを翁
東都七十五叟松籟庵霜後敬書
陰 寛政五年癸丑十月十二日百回忌建之壽松庵水香
@ 寛政五年(一七九三)十月十二日百回忌
A 壽松庵水香建立
B 松籟庵霜後筆
C 鹿島郡鉾田町大和田 旧井川氏邸跡
D 北隣の市村一衞氏に案内を乞うこと
F 08040
け ふ 計 人 も と し よ れ は つ し く れ
陰 文政六癸未十月
@ 文政六年(一八二三)十月
C 鹿島郡鉾田町当間 天台宗当間山月藏寺大教院跡地藏堂裏
F 08041
梅 か ゝ に の つ と 日 の 出 る 山 路 哉 はせを
陰 嘉永六年癸丑仲春八日 向旭庵栢茂造 温圃 阜山 惣門葉
@ 嘉永六年(一八五二)二月八日
A 向旭庵栢茂建立
C 鹿島郡鉾田町石八戸 石八戸公民館
F 08042
寺 に 寢 て ま こ と 顏 な る 月 見 哉 芭蕉
陰 折り・・に変らぬ空の月かげも 千々のながめは 雲のまにまに
貞享四年八月十四日 佛頂和尚
貞享四年八月十四日 芭蕉は根本寺二十一世住職佛頂禪師に合うため門人曾良と宗波
を伴って根本寺についた 月見のためである しかし芭蕉の「鹿島詣」によれば「ひ
るより雨しきりに降りて月見るべくもあらず ふもとに根本寺のさきの和尚 今は世
をのがれて此の所におはしけるといふを聞きて尋ね入りて臥しぬ」とある なほ佛頂
筆の自伝「山庵記」によると貞享元年より同四年末まで阿玉の大儀寺の住職となる
のち再び江戸深川の臨川寺に入ったとあり 芭蕉一行と佛頂和尚との月見は大儀寺で
あることが立証されている
昭和五十一年三月七日 撰文 宇野沢竹童
建立 大儀寺十四世山上宗俊代 大儀寺総代会
刻字 金原石浪
@ 昭和五十一年(一九七六)三月七日
A 大儀寺十四世山上宗俊及大儀寺総代会建立
C 鹿島郡大洋村阿玉 臨済宗妙心寺派宝光山大儀寺
08‐10‐0069
F 08043
月 は や し 梢 ハ 雨 を 持 な か ら はせを翁
左 葉うら坊敬書
右 寶暦戊寅年長月日
南湖連中建之
@ 宝暦八年(一七五八)九月
A 南湖連中建立
B 葉うら坊筆
C 鹿島郡鹿島町宮中字下生 臨済宗妙心寺派瑞甕山根本寺
F 08044
☆存疑
名 月 や 鶴 脛 高 き 遠 干 潟 はせを
安政三丙辰初冬/大宮司執筆/香樹山暦外謹書
碑面下部 四十三句を併刻(略)
@ 安政三年(一八五六)十月
B 大宮司香樹山暦外筆
C 鹿島郡鹿島町宮中 鹿島神宮楼門右手
F 08045
此 松 の 實 生 せ し 代 や ・ の 秋 はせを
左 松原庵鳥醉松露庵烏明
右 明和三季丙戌四月日鹿島宮中此松庵連建
陰 東都龍斎山維磧書
@ 明和三年(一七六六)四月
A 鹿島宮中此松庵連中建立
B 東都龍斎庵維磧筆
C 鹿島郡鹿島町宮中 鹿島神宮奥宮
D 鳥醉=白石氏 喜右衛門信興初号西奴 別号百明台・松露庵・松原庵・鴫立
庵 上総地引村の人 旗本の伊達代官であったが 二十五歳の折に役を免ぜ
られ 薙髪して玄清と名乗った のち江戸に出て 柳居に入門 儕輩を抜い
て柳居筆頭の地位を占める 宝暦六年大坂に移住 同九年 帰江し 江戸・
郷里・相模大磯等に転々とし 明和六年(一七六九)四月四日没六十九歳
墓所品川鮫州海晏寺 烏明=別号東海房・松露庵三世・木耳庵 もと江戸日
本橋鉄炮町の商人 家業を弟に譲る 鳥醉門 享和元年(一八〇一)六月十
九日没七十六歳
F 08046
枯 枝 に 鴉 の と ま り け り 龝 の 暮 はせを
陰 文政六年癸未九月洞海舎李尺建
@ 文政六年(一八二三)九月
A 洞海舎李尺建立
C 鹿島郡鹿島町宮中 鹿島神宮要石
08‐11‐0070
F 08047
☆存疑
此 里 は 氣 吹 戸 主 の 風 寒 し はせを
陰 忍潮井や月も最中の影ふたつ 小見川梅庵
風はなを啼や千鳥の有かきり 乃野田笙々
@ 文政年間=文政十二年(一八二九)
A 小見川の梅庵と乃野田の笙々建立
C 鹿島郡神栖町息栖 息栖神社
F 08048
春 も や ゝ け し き と ゝ の ふ 月 と 梅 はせを
七十七翁須田柿麿書
陰 安政四・丁巳三月
@ 安政四年(一八五八)三月
A 坂本央江 浅井蔦谷建立
B 須田柿磨筆
C 行方郡牛堀町牛堀 三熊野神社
F 08049
た ひ 人 と 我 名 よ は れ む は つ し く れ はせを
陰 寛政元年己酉十月十二日/奧州南部也鳧庵一艸建之/東都淺草曲直庵龜文謹書
@ 寛政元年(一七八九)十月十二日百回忌
A 子日庵一艸建立
B 曲直庵龜文筆
C 行方郡潮来町潮来 臨済宗妙心寺派海雲山長勝寺
D 一草=号時雨坊・子日庵 奥州南部の人で兵庫に住み 明石俳人等と蛸壺吟
社を結ぶ 文政二年(一八一九)十一月没八十八歳 一草著『芦屋小屋』
(文化二年刊)に「潮来なる海雲山長勝禪林に・翁の時雨塚をきつきて〈ふ
るき世の名をよふ塚の時雨かな〉」とあり この句の一草真蹟を埋める
I 08050
塒 せ よ わ ら ほ す 宿 の 友 す ゝ め 松江
あ き を こ め た る く ね の 指 杉 桃・
月 見 ん と 汐 引 の ほ る 船 と め て ソラ
陰 貞享四年八月芭蕉翁潮來の自準亭に宿して三吟有今茲長谷川泰山叟蕉翁鹿島詣に據り
其筆を・し以て三吟の碑を營む道に信ある哉
昭和壬申正月
新藁やよき日のあたる雀堂 黄橙主人 晋風
二十四人の発句あり(略)
@ 昭和七年(一九三二)一月
A 勝峰晋風建立
B 長谷川東山筆
C 行方郡潮来町潮来 臨済宗妙心寺派海雲山長勝寺
D 「自準」は本間自準ではなく 当時行徳で神官をしていた小西自準(前号似
08‐12‐0071
春)がその人で 芭蕉が逗留したのは潮来ではなく 行徳の小西自準亭であ
っ
た とする説あり
F 08051
刈 か け し 田 面 の 鶴 や さ と の 秋 はせを
陰 水天宮修復 明治八年乙亥二月
大六天王再建 明治五年壬申六月
明治九年丙子四月建立氏子中
@ 明治九年(一八七六)四月
A 映雪堂花彦建立
C 行方郡潮来町大州 大州神社
J 08052
こ の 道 や ゆ く 人 な し に 秋 の く れ 翁
名 月 も 昨 日 に な り ぬ 峰 の 松 洞海舎凉谷
陰 安政五年戊午年十月建
@ 安政五年(一八五八)十月
A 洞海舎凉谷社中建立
C 行方郡北浦村内宿字化蘇沼 化蘇沼稲荷神社
F 08053
長 き 日 も 囀 り た ら ぬ ひ は り か な 芭蕉翁
@ 万延元年(一八六〇)
C 行方郡北浦村内宿字化蘇沼 化蘇沼稲荷神社
F 08054
能 見 れ は 薺 花 さ く 垣 根 哉
天保庚子初夏醵金建之八瓢應覺大梅書
陰 補助 氏家素鶴 同素蝶 同守一 小山田素蕉 小塙素竹 佐久一亭 柿岡里透
@ 天保十一年(一八四〇)四月
A 滝田伊兵衛八瓢建立
B 児島酉之助大梅筆
C 新治郡八郷町柿岡 真宗大谷派帰命山無量寿院如来寺
D 大梅=児島氏 名は均 通称小島屋酉之助 号孤山・剩庵 江戸の人 儒道
を市川寛斎・山本北山に修め 詩を善くし のち道彦に俳諧を学んだ 天保
十二年(一八四一)五月二十九日没七十歳
F 08055
こ の あ た り 眼 に 見 ゆ る も の 皆 凉 し はせを翁
陰 明治七甲戌のとし
いしふみを營補助の多いか中に/師庵へ隣るの親みをもて我に/出よとせかるゝに任
せ各に/代りて筆をとるものは叟欣
おなし野に淺し/ふかしや風の雪/良可
08‐13‐0072
@ 明治七年(一八七四)
A 関利三郎良可建立
B 叟欣筆
C 新治郡千代田村下稲吉 香取神社
F 08056
顏 に ゝ ぬ 發 句 も 出 よ 初 櫻 はせを
陰 是レヤ斯ノ垂枝櫻ハ幾・ヲ歴タルヲ知ラズ其ノ花開クヤ妖艶無比芬芳襲衣ス故ニ騷人
詞客袂ヲ連ネテ群ル昔者芭蕉翁探勝ヲ事トスルヤ過テ擔ヲ其ノ下ニ息ヒ乃チ俳歌一首
ヲ題シテ去ル然ルニ其ノ事湮沒シ能ク識ル者ナシ貧道ソノ此ノ如クナルヲ傷ミ之ヲ石
ニ勒シ人ヲシテ其ノ事有ルヲ知ラシメントス以テ斯ノ花ノ美觀ノ助ケト足スノミ因テ
緒言ニ題ス(原漢文)
享和四年甲子春三月上幹 歡喜院主宥明識ス
@ 享和四年(一八〇四)三月
A 歡喜院第十後世宥明建立
B 歡喜院第十後世宥明筆
C 真壁郡関城町関本 真言宗豊山派勸光山満願寺歡喜院
F 08057
蓬 ・ に き か は や い せ の は つ た よ り 芭蕉翁
鳩居庵風谷書
陰 天保三壬辰年二月建 麗水
世の春を柳にならへ人こゝろ
@ 天保三年(一八三二)
A 秋葉家の祖先麗水建立
B 鳩居庵風谷筆
C 結城郡石下町鴻野山 秋葉紋子氏宅
F 08058
☆誤伝
菜日・二世東山拜
廿 五 日 は 天 ・ の 祭 か な
右はせを
@ 文政十三年(一八三〇)正月
A 杉野東山建立
B 杉野東山筆
C 北相馬郡利根町早尾 早尾天神社