A 06001
☆縁側の踏石
芭 蕉 翁
@ 寛延三年(一七五〇)
A 芳草庵建立
C 山形市六日町 浄土宗紫光山九品院極楽寺
D 昭和三十年(一九五五)田中孝恵住職が縁の踏石になっているのを発見 昭
和三十三年(一九五八)修造
F 06002
世 に さ か る 花 に も 念 佛 申 し け り 芭蕉
陰 昭和三十年境内ヨリ寛延三年ノ芭蕉翁碑ヲ発見シ
昭和三十三年六月十三日ココニ再建ス当寺二十二世孝恵代
@ 昭和三十三年(一九五八)六月十三日
A 田中孝恵建立
B 田中孝恵筆
C 山形市六日町 浄土宗紫光山九品院極楽寺
C 06003
芭 蕉 翁
朝よさを誰まつしまそ片心
陰 萬延二年酉春下當山十六世峰山建立
@ 万延二年(一八六一)
A 當山十六世峰山建立
C 山形市七日町紅花通り 臨済宗妙心寺派宝雲山大龍寺
F 06004
雲 を り ・ ・ 人 を 休 む る 月 見 か な
・翁五世花屋主人謹書
陰 明治二己巳年三月吉辰月見連建立
@ 明治二年(一八六九)三月
A 月見連建立
B ・翁五世花屋主人筆
C 山形市鉄砲町一丁目 六椹八幡宮
G 06005
芭 蕉 碑
@ 明治三年(一八七〇)四月
A 霞城一亀坊氏碩秋建立
B 花本十一世聽秋筆
06‐02‐0029
C 山形市薬師町二丁目 出羽国分寺天台宗護国山柏山寺薬師堂前
D 聽秋=通称上田肇 号不識庵 大垣生 京都住 昭和七年(一九三二)一月
十七日没八十二歳 花の本十一世と称した
G 06006
松風の眞蹟は・翁行脚の折から武州川越秋元/の家臣高山某方にて客中の吟なりしを泰安寺か乞に任/
せて染筆し給ふ所なりしとそを此地に移りても持て來/りて久しく傳へしに去ぬる年上州へ移轉の砌一
卜町/吉右ヱ門へ讓られしなれこたひはせを翁の葉風/廣く後世にも薫らん事を願ひ且謝恩のはしとも
/なりなんとおもふか餘り奴某ら所望せしに主の/ゆるしけれハ則柏山精舎の松下に移す事にはなりぬ
明治三庚午四月 南山居送壽俳弟敬述/山樫や下葉のままか夏みとり 送壽
@ 明治三年(一八七〇)四月
A 南山居送壽建立
B 南山居送壽筆
C 山形市薬師町二丁目 出羽国分寺天台宗護国山柏山寺薬師堂前
F 06007
松 風 の 落 葉 か 水 の 音 凉 し
@ 明治三年(一八七〇)四月
A 南山居送壽建立
B 真蹟
C 山形市薬師町二丁目 出羽国分寺天台宗護国山柏山寺薬師堂前
F 06008
雲 を り ・ ・ 人 を や す む る 月 見 か な
C 山形市大手町 山形美術博物館
D 明治初年香澄町の武家屋敷にあったものを七日町一丁目安藤市兵衛氏宅に移
し 安藤家より山形美術博物館に寄贈 昭和五十三年十月十一日移建除幕
従来 この碑は「雲の峰いくつ崩れて月の山」と読まれていたが 山形大石
田の俳人斎藤政蔵氏により「雲をり・・」と補読され 「元禄八年八月十二
日」の建立紀年銘あり とされたが 元禄八年に発句を碑に刻むことはあり
えず 従って建立紀年不明
F 06009
け ふ は か り 人 も と し よ れ 初 時 雨 はせを
@ 明治三十三年(一九〇〇)頃
A 奥山惣次郎一丘建立
B 長岡梅丘筆
C 山形市北山形一‐四‐三 一丘の後裔奥山三郎氏宅
D 一丘=梅丘の古調庵を継承 昭和四十三年九十八歳没
F 06010
も の い へ は 唇 寒 し 秋 の 風 はせを
@ 明治三十三年(一九〇〇)秋
A 田中多作 五十嵐弥次郎 長岡梅丘建立
06‐03‐0030
B 長岡梅丘筆
C 山形市江俣町 真言宗醍醐派和田山延命寺
F 06011
閑 さ や 巖 に し み 入 ・ の 聲 芭蕉翁
陰 左羽に夕日うけつゝほとゝきす 一具
左 樂書や笹の葉にある清水哉 二丘
右 花さかぬ草木から風薫りけり 川丈
@ 嘉永六年(一八五三)四月
A 当山学頭遍明院代遠藤金兵衛 漆山の半沢久次郎二丘の建立
B 高梨一具筆
C 山形市大字山寺 天台宗宝珠山立石寺根本中堂脇
D 一具=前出P.0020
C 06012
靜かさや岩にしみ入・の聲
芭 蕉 翁
@ 寛延四年(一七五一)十月十二日
A 坂部壺中が「閑さや」の短冊を埋めて建立
C 山形市大字山寺 天台宗宝珠山立石寺仁王門の下せみ塚
D はじめ山門の所に建立 昭和十一年冬現在地へ移す
坂部壺中=最上林崎(現村山市)の人
L 06013
山形領に立石寺と云山寺あり
慈覺大師の開基にして殊清
閑の地也一見すへきよし人々
のすゝむるに依て尾花澤より
とつて返し其間七里はかり也
日いまた暮す梺の坊に宿かり
置て山上の堂にのる岩に
巖を重て山とし松柏年舊
土石老て苔滑に岩上の院々
扉を閉て物の音きこえす岸
をめくり岩を這て佛閣を拜し
佳景寂莫として心すみ行のみ
おほゆ
閑さや岩にしみ入・の聲
@ 昭和三十五年(一九六〇)十月
A 地元有志 山形市観光協会建立
B 素龍本写真拡大ブロンズを自然石にはめこむ
C 山形市大字山寺 天台宗宝珠山立石寺せみ塚の背後
E 06014
西紀一六八九年元禄二年五月廿七日/俳聖芭蕉奥の細道行脚の砌り此の/地立石寺を訪れて山
上山下を巡/拝し宿坊に一泊され不朽の/名句を残された
06‐04‐0031
閑 さ や / 岩 に / し み 入 る / 蝉 の 声
今ここに翁を敬仰して尊像/を建立して永く其の遺澤を/顕彰せんとしたものである
@ 昭和四十七年(一九七二)十一月
A 山形市観光協会建立
C 山形市大字山寺 天台宗宝珠山立石寺秘宝館前
D 翁のブロンズ像の副碑 「蝉」誤字使用
F 06015
摩 遊 は き を を も か け に し て 紅 の 花 芭蕉
@ 文政十三年(一八三〇)十月
A 半沢久次郎二丘建立
B 牧野豊前守源以成筆
C 山形市漆山 元出羽寮東北缶詰株式会社庭園
F 06016
古 池 や 蛙 と ひ こ む 水 の 音 はせを
陰 大正五稔時雨日原田・治建之
左 時雨るやここに淡路の日を示す 一龜坊
右 白雲の上も御國そ不二の山 聽秋
@ 大正五年(一九一六)十月十二日
A 原田・治一龜坊建立
B 原田・治一龜坊筆
C 山形市鮨洗 神明神社
D 聽秋=前出P.0029
C 06017
芭 蕉 翁
眉はきを俤にして紅の花
@ 文政六年(一八二三)三月十二日
C 山形市平清水 千歳山公園南側の麓
F 06018
山 中 や 菊 は 手 折 ら ぬ 温 泉 の 匂 芭蕉翁
@ 嘉永元年(一八四八)九月
A 東屋宍戸惣左衛門建立
B 関本卓呂筆
C 米沢市関白布温泉 東屋旅館前
F 06019
觀 音 の 甍 み や り つ 花 の 雲 芭蕉翁
左 天保十四二季癸卯冬十月爲・翁/百五十回追・建之普敷山連中世話方郁園
@ 天保十四年(一八四三)十月百五十回忌
06‐05‐0032
A 米沢市粡町亥ノ子町住高橋六右衛門普敷山建立
C 米沢市笹野 真言宗豊山派長命山幸徳院(笹野観音)
F 06020
も の い へ は 唇 寒 し 秋 の 風 はせを
陰 文化九年壬申秋七月梅花堂連中
@ 文化九年(一八一二)七月
A 梅花堂稲丸社中豹章建立
C 米沢市笹野 真言宗豊山派長命山幸徳院(笹野観音)
F 06021
名 月 や 池 を め く り て 夜 も す か ら
A 瓶仁舎建立
C 米沢市相生町一丁目 浄土宗菩提山往生院極楽寺
F 06022
し は ら く は 花 の 上 な る 月 夜 か な
@ 安政六年(一八五九)
A 小関儀右衛門月山建立
C 米沢市川井 曹洞宗桃源院
F 06023
春 も や ゝ け し き と ゝ の ふ 月 と 梅
@ 天保十四年(一八四三)
C 米沢市窪田町窪田 浜田五左衛門氏宅
F 06024
名 月 や 池 を め く り て 夜 も す か ら
@ 安永四年(一七七五)
A 芦十外建立
C 米沢市春日三丁目 浄土宗真光寺
F 06025
名 月 の 花 か と 見 え て 綿 畠
@ 天保十一年(一八四〇)
A 月溪建立
C 米沢市春日三丁目 浄土宗真光寺
F 06026
珍 ら し や 山 を 出 羽 の 初 な す ひ 翁
@ 天保年間=天保十四年(一八四三)
A 淡遊建立
06‐06‐0033
B 淡遊筆
C 鶴岡市山王町 日枝神社弁天島
D 淡遊=酒井藩士 弭間貞松 合漠舎と号す
E 06027
奥の細道
芭 蕉 滞 留 の 地 / 長 山 重 行 宅 跡
@ 昭和四十四年(一九六九)十二月
A 鶴岡市文化財保護委員会建立
C 鶴岡市山王町長山小路 長山重行邸跡
F 06028
め づ ら し や 山 を い で 羽 の 初 な す び 芭蕉
@ 昭和四十四年(一九六九)十二月
A 鶴岡市文化財保護委員会建立
B 旧藩主の裔酒井忠明筆
C 鶴岡市山王町長山小路 長山重行邸跡
F 06029
珍 ら し や 山 を い て 羽 の 初 茄 子 はせを
C 鶴岡市温田川 温田川温泉御殿旅館の庭
D この碑は鶴岡市本町(旧上肴町)の銘酒「鯉川」の鶴岡工場裏庭「自然庵」
の傍らにあった 昭和七年長沢太治兵衛が倒産 鯉川酒造に譲渡したが 句
碑のみ生家の御殿旅館に移す
F 06030
明石夜泊
蛸 壺 や は か な き 夢 を 夏 の 月
左 文政四年建大正八年再建
右 芭蕉翁明石之句
@ 文政四年(一八二一)
C 鶴岡市加茂町 県立加茂水産高校校庭
D 大正八年湯野浜から加茂へのトンネルの手前五〇m位の所に加茂町長松山真
中が再建 後に県立加茂水産高校長土井秀夫が現在地へ移す
F 06031
め つ ら し や 山 を 出 て 羽 の 初 な す ひ
@ 安政二年(一八五五)
B 藤原有功筆
C 鶴岡市青龍寺 金峯山神社
D この碑は金峯山神社琴平台にあったが 山肌を転げ落ちて砕けた 現在社務
所の縁の下に置かれている
06‐07‐0034
F 06032
芭蕉翁の句
め つ ら し や 山 を 出 て 羽 の 初 な す ひ
櫻鳴
@ 昭和二十六年(一九五一)
A 青龍寺村渡部蕉雨 鶴岡市井上蘆洲 井岡小野青川建立
B 旧藩主の裔酒井忠良櫻鳴筆
C 鶴岡市青龍寺 金峯山神社肘折の坂
E 06033
奥の細道
遺跡 鬼 か け 橋 (横書)
(文章不明)
@ 昭和四十六年十一月(一九七一)
C 鶴岡市堅苔沢 国道7号線沿い
F 06034
温 海 山 や 吹 う ら か け て ゆ ふ 凉 み はせを
@ 天明八年(一七八八)三月
A 柿崎寸昌柳下庵建立
B 須磨明石の俳人武然筆
C 酒田市南新町一丁目 日和山公園
F 06035
暑 き 日 を 海 に 入 た り も が み 川 芭蕉
陰 句は芭蕉が奥の細道の途次当地で吟じたもの 書は能書の聞え高い門人素龍に命じて
浄書せしめた二本のうちの柿衛本から採取した 従って優麗見事な書風である。
昭和五十四年九月 柿衛書
@ 昭和五十四年(一九七九)九月十六日
A 酒田ロータリークラブ建立
B 柿衛本
C 酒田市南新町一丁目 日和山公園
J 06036
あふみや玉志亭にして/納凉の佳興に瓜を/もてなして發句を
こふて曰句なきものは喰/事あたはじと戯けれハ
初 眞 桑 四 に や 斷 ン 輪 に 切 ン はせを
初 瓜 や か ふ り 廻 し を お も ひ 出 ツ ソラ
三 人 の 中 に 翁 や 初 眞 桑 不玉
興 に め て ゝ こ ゝ ろ も と な し 瓜 の 味 玉志
元祿二年晩夏末
C 酒田市南新町一丁目 日和山公園
D 不玉=伊東玄順 潜淵庵 羽前酒田の人 医を業とす 初め三千風につき
元禄二年夏 芭蕉の奥羽巡杖を迎え蕉風 元禄十年(一六九七)没
06‐08‐0035
E 06037
芭蕉逗留の地
不 玉 宅 跡
三人の中に翁や初眞桑 不玉
@ 昭和三十五年(一九六〇)六月十三日
A 酒田観光協会建立
C 酒田市本町三丁目 歯科医佐藤国雄氏宅
D 不玉=前出P.0034
F 06038
水 の お く 氷 室 尋 る 柳 か な 芭蕉翁
羽新庄雪映舎中修造
陰 凉しさや行先々へ最上川 蓼太
東都宗平建沙羅書/天明元年十月建立
@ 天明元年(一七八一)十月
A 東都宗平建立
B 沙羅筆
C 新庄市鳥越 鳥越八幡神社
D 万延元年新庄雪映舎中修造 同市金沢の接引寺より大正七年七月十五日移建
蓼太=大島陽喬 本姓吉川氏 号雪中庵 信州伊那大島生れ 吏登に入門
延享四年(一七四七)春師から許され 雪中庵三世を名乗る天明七年(一七
八七)九月七日没七十歳 沙羅=通称堀田六左衛門 号牛歌・沙羅庵玄樹
江戸の人 蓼太門 文化十三年(一八一六)十一月没六十九歳
E 06039
芭 蕉 遺 蹟 盛 信 亭 跡
@ 昭和三十六年(一九六一)六月二日
A 新庄市観光協会建立
B 新庄市長本田清筆
C 新庄市本町 山形銀行新庄支店前
F 06040
五 月 雨 を あ つ め て 早 し 最 上 川 芭蕉
C 新庄市本合海 芭蕉乗船地
F 06041
し は ら く は 花 の 上 な る 月 夜 哉 はせを翁
孤久卓郎
@ 享保末年=享保二十年(一七三五)
B 大運寺開山孤久卓郎筆
C 寒河江市南町 浄土宗大運寺
06‐09‐0036
C 06042
☆石燈籠
まゆはきをおもかけにして紅の花
芭 蕉 翁
去江州湖南幻住庵/去武州深川芭蕉庵
C 寒河江市中郷 菅野信夫氏宅
C 06043
芭 蕉 翁
雲の峯いくつ崩れて月の山
C 寒河江市八幡町 寒河江八幡神社
C 06044
芭 蕉 翁
名月や麓の霧や田のくもり
陰 月岡の夕河岸すゝし八日市 八日町八十一翁松雨
@ 明治元年(一八六八)
A 松雨没年建立
C 上山市鶴脛町上山城跡月岡公園 月岡神社忠魂碑前
D 松雨=五十嵐于拙 名柔兵衛 明治元年十月十日八十一歳没
F 06045
手 を 拍 て は こ た ま に 明 く る 夏 の 月
C 長井市九野本 曹洞宗観音寺
F 06046
雲 の 峯 い く つ 崩 れ て 月 の 山 はせを
陰 常陸双岳 素月
左 安政二年八月
@ 安政二年(一八五五)八月
A 双岳 素月建立
C 天童市北目城山舞鶴山山頂東側 愛宕神社裏参道一本杉
F 06047
眉 は き を 俤 に し て 紅 粉 の 花
@ 昭和五十六年(一九八一)七月十一日
A 芭蕉句碑を建立する会建立
B 加藤楸邨筆
C 天童市下荻野戸字上原 旧山寺街道
06‐10‐0037
C 06048
は せ を 翁
古池や蛙とひこむ水の音
陰 寶暦戊寅八月十二日菱葉亭池・欽造
@ 宝暦八年(一七五八)八月十二日
A 一行院念佛堂の庵主池・建立
B 庄内の宗匠柳下斎風草筆
C 天童市貫津 丸山力氏宅
D 明治三十五年の台風で念佛堂が倒壊 町長村田金三郎が同市北目の自宅へ移
し 昭和二十三年ここに工場が建設されようとしたので丸山氏が自宅へ移す
風草=林氏 通称太郎兵衛 出羽鶴岡の人 支考門 没享年不詳
E 06049
念仏寺跡
翁 塚
宝暦戊寅八月十二日/池青芭蕉翁の句碑建立地
C 天童市五日町 旧東村山郡役所(念仏寺跡)
D 前記の丸山力氏宅の翁塚があったことを示すもので 「翁塚」とあるが A
には分類できない
C 06050
芭 蕉 翁
はら中や物にもつかす鳴く雲雀
陰 安政丁巳・閑斎雪江油清催主雪山文陽石工東山氏
明治三十一年六月移立催主佐藤羽雪設樂雅面
@ 安政四年(一八五七)
A 閑斎らの建立
C 天童市天童 建勲神社
D はじめ奥の院(頂上)に建立 奥の院が現在地に移されてから明治三十一年
六月に佐藤羽雪らが移す
L 06051
芭蕉翁/高山森々として一鳥聲き/かず木の下闇茂りあひて夜る行/がごとし雲端につちふる心地/し
て篠の中踏分ふみわけ水を/わたり岩に蹶て肌につめたき/汗を流して最上の莊に出づ
表 八十三叟高山散人書
@ 昭和四十五年(一九七〇)
A 山口清建立
B 高山散人筆
C 天童市大字久野本字日光 天童タワー芭蕉庭園
F 06052
蚤 虱 馬 の 尿 す る 枕 も と 芭蕉翁
@ A C 同右
06‐11‐0038
F 06053
涼 し さ を 我 か 宿 に し て ね ま る 也 芭蕉翁
@ A C 同右
F 06054
眉 は き を 俤 に し て 紅 粉 の 花 芭蕉翁
@ A C 同右
F 06055
閑 さ や 岩 に し み 入 ・ の 聲 芭蕉翁
@ A C 同右
F 06056
さ み た れ を あ つ め て す ゝ し 最 上 川 芭蕉翁
@ A C 同右
F 06057
水 の 奧 氷 室 尋 ぬ る 柳 か な 芭蕉翁
@ A C 同右
F 06058
有 難 や 雪 を か ほ ら す 南 谷 芭蕉翁
@ A C 同右
F 06059
涼 し さ や ほ の 三 か 月 の 羽 黒 山 芭蕉翁
@ A C 同右
F 06060
雲 の 峯 い く つ 崩 れ て 月 の 山 芭蕉翁
@ A C 同右
F 06061
語 ら れ ぬ 湯 殿 に ぬ ら す 袂 か な 芭蕉翁
@ A C 同右
F 06062
珍 ら し や 山 を 出 羽 の 初 茄 子 芭蕉翁
@ A C 同右
06‐12‐0039
F 06063
温 海 山 や 吹 浦 か け て 夕 凉 み 芭蕉翁
@ A C 同右
F 06064
暑 き 日 を 海 に い れ た り 最 上 川 芭蕉翁
@ A C 同右
F 06065
象 潟 や 雨 に 西 施 か ね ふ の 花 芭蕉翁
@ A C 同右
F 06066
凉 し さ を 我 か 宿 に し て ね ま る 也
左↓陰 芭蕉翁桃・伊賀産氏松尾則前藤七郎
也掌學和歌晩嗜俳諧致仕而遊山川勝跡
事題詠以鳴元祿年中適蚶江過最主清風
家居數日日題日日題亦題之書成而曰奧細道
也以徴之翁壽五十一以元祿甲戌十月十二日卒
於大坂吾徒窺其門牆者謀不朽立石以曰凉塚
寶暦壬午夏日路水素州
@ 宝暦十二年(一七六二)夏
A 柴崎路水 鈴木素州建立
C 尾花沢市字尾花沢三六八三‐一 天台宗弘誓山養泉寺
I 06067
す ゞ し さ を 我 や ど に し て ね ま る 也 芭蕉
つ ね の か や り に 草 の 葉 を 燒 清風
鹿 子 立 を の へ の し 水 田 に か け て 曾良
ゆ ふ づ き ま る し 二 の 丸 の 跡 素英
楸邨書
@ 昭和六十三年(一九八八)七月十日
A 尾花沢市元教育長奥山誉男建立
B 加藤楸邨筆
C 尾花沢市字尾花沢三六八三‐一 天台宗弘誓山養泉寺
L 06068
尾花澤にて清風と云者を尋ぬかれは富る
ものなれとも志いやしからす都にも折々
かよひて さすかに旅の情をも知たれは
日比とゝめて長途のいたはりさま・・に
もてなし侍る
凉しさを我宿にしてねまる也
06‐13‐0040
@ 昭和六十二年(一九八七)十月
A 西塚義治建立
C 尾花沢市横内 竃セ友本社工場前
L 06069
(篆額)奧の細道
山刀伐峠
高山森々として一鳥聲きかず
木の下闇茂りあひて夜行くが
ごとし雲端につちふる心地
して篠の中踏別け・・水を
わたり岩蹶きて肌につめたき
汗を流して最上の庄に出づ
楸邨書
@ 昭和四十二年(一九六七)十一月二十日
A 山形県奥の細道観光資源保存会 尾花沢市 最上町建立
B 加藤楸邨筆
C 尾花沢市山刀伐峠頂上 地蔵尊の奥
F 06070
さ ゝ れ 蟹 足 這 あ か る 清 水 哉 芭蕉翁
陰 寛政十戊午年冬十月花悠庵連中
@ 寛政十年(一七九八)十月
A 花悠庵連中建立
C 南陽市赤湯月ノ木 佐藤誠実氏宅
F 06071
結 ふ よ り は や 齒 に ひ ゝ く し み つ か な はせを
@ 明治四年(一八七一)四月
A 二孔らの建立
C 南陽市川樋 諏訪神社不老泉の前
F 06072
か た ら れ ぬ 湯 殿 に ぬ ら す 袂 か な
陰 嘉永元申年五月
@ 嘉永元年(一八四八)五月
A 地元大内藤左衛門らの建立
C 東村山郡山辺町山辺 愛宕神社
D 出羽三山巡拝記念の建立
F 06073
雲 の 峰 い く つ 崩 れ て 月 の 山
C 西村山郡西川町吉川稲沢 獅子ノ口諏訪神社
06‐14‐0041
F 06074
雲 の 峰 い く つ 崩 れ て 月 の 山
東都惟草翠岱
@ 明治十年(一八七七)推定
A 松本家十一代権三郎建立
B 東都惟草翠岱筆
C 西村山郡西川町吉川 松本弥吉氏宅
D 松本権三郎=明治十六年四月十三日九十一歳没
C 06075
芭 蕉 翁
かたられぬ湯殿にぬらすたもとかな
陰 東羽霞城外玉木可筑/文政十年亥初經十二建之/洛東桃亭閑文謹書
@ 文政十年(一八二七)十二月
A 東羽霞城外玉木可筑建立
B 洛東桃亭閑文筆
C 西村山郡西川町大井沢 湯殿山神社
C 06076
芭 蕉 翁
語られぬ湯殿にぬらす袂哉
@ 文化年間=文化十四年(一八一七)
A 本道寺二十五世宥勝外当山連中建立
B 宥勝筆
C 西村山郡西川町本道寺 湯殿山神社
D 当山連中=俳人の集りでなく塔中六寺四十八先達のこと
C 06077
芭 蕉 翁
雲の峰いくつくつれて月の山
C 西村山郡西川町志津 五色沼畔
C 06078
元祿七年十月十二日
芭 蕉 庵 桃 ・ 翁
旅に病て夢は枯野をかけ巡る
陰 しま遊ふ夢の行方や露時雨
左 天王十八世鸞窓建
@ 明和八年(一七七一)推定
A 鸞窓建立
B 鸞窓筆
C 西村山郡朝日町大沼字大比良 浮島稲荷神社
D 鸞窓=大沼山主別当大行院十八代 天明三年四月十四日七十六歳没
06‐15‐0042
C 06079
芭 蕉 墓
五月雨をあつめて凉し最上川
陰 安永三甲午五月十二日左沢連
@ 安永三年(一七七四)五月十二日
A 左沢連建立
C 西村山郡大江町左沢町 浄土宗法泉山称念寺
D 昭和三十六年七月二十三日台石新設
F 06080
さ み た れ を あ つ め て す ゝ し も か み 川 芭蕉
@ 明和元年(一七六四)
A 曉華園土屋只狂建立
B 只狂が真蹟を模写
C 北村山郡大石田町字四日町 時宗石水山西光寺
D 只狂=羽州大石田の人 芭蕉の最上川歌仙の真蹟を得て 俳諧撰集『もがみ
川』を五竹の序文を得て 明和六年(一七六九)上梓
F 06081
さ み た れ を あ つ め て す ゝ し も か み 川 芭蕉
@ 昭和五十年(一九七五)五月五日改建
C 北村山郡大石田町字四日町 時宗石水山西光寺
I 06082
さ み た れ を あ つ め て
す ゝ し も か ミ 川 芭蕉
岸 に ほ た る を
繋 く 舟 杭 一榮
瓜 は た け い さ よ ふ
空 に 影 ま ち て 曾良
里 を む か ひ に
桑 の ほ そ み ち 川水
@ 平成元年(一九八九)七月十四日
B 真蹟
C 北村山郡大石田町最上河畔 旧一榮邸跡
F 06083
蚤 虱 馬 の 尿 す る 枕 も と 芭蕉翁
陰 日本学士院会員小宮豊隆書/昭和参拾六年九月最上町建之
@ 昭和三十六年(一九六一)九月
A 最上町建立
B 小宮豊隆筆
C 最上郡最上町堺田 旧有路慶喜氏宅
06‐16‐0043
C 06084
(柴つけし)馬のもとりや(田植た)る
芭 蕉 翁
C 最上郡最上町向町 五十嵐重芳氏宅前
D 旧碑は昭和十七年三月三日向町大火の際焼けて上部を欠く
C 06085
柴つけし馬のもとりや田植たる
芭 蕉 翁
天山書
@ 昭和三十年(一九五五)七月一日
A 五十嵐重芳らの建立
B 天徳寺住職小川信芳天山筆
C 最上郡最上町向町 五十嵐重芳氏宅前
F 06086
春 の 夜 は 櫻 に 明 け て し ま ひ け り はせを翁
C 東置賜郡高畠町亀岡 真言宗智山派松高山大聖寺(亀岡文殊堂)
F 06087
憂 き わ れ を 淋 し か ら せ よ か ん こ 鳥
C 東置賜郡川西町上小松 新義真言宗松光山大光院
F 06088
こ の 寺 は 庭 い つ は い の 芭 蕉 か な
@ 文化七年(一八一〇)
A 長流外萩生連建立
C 西置賜郡飯豊町萩生 真言宗豊山派廻向山恩徳寺
F 06089
五 月 雨 を あ つ め て 早 し 最 上 川
@ 昭和三十一年(一九五六)十月
A 地元有志建立
B 加藤楸邨筆
C 東田川郡立川町清川 清川小学校裏最上川畔(旧関所址)
F06090
雲 の 峯 い く つ 崩 れ て 月 の 山 桃・
陰 芭蕉翁登拝二七〇年記念/昭和三十三年七月二十三日/松風屋主人佐々木市郎/山形
県神社庁/協賛山形県観光協会/長谷吉三郎/施工者松田駒吉/鋳工長谷川泰四郎
@ 昭和三十三年(一九五八)九月八日除幕
06‐17‐0044
A 佐々木市郎建立
B 山形美術博物館所蔵真蹟をブロンズ
C 東田川郡立川町立谷沢字本沢 月山頂上月山神社
F 06091
凉 し さ や ほ の 三 日 月 の 羽 黒 山
加 多 羅 禮 努 湯 登 廼 仁 奴 良 須 當 毛 東 迦 那
雲 の 峯 い く つ く つ れ て 月 の 山
左 右芭蕉翁三山順禮三句御染筆
羽黒之句轉法輪内大臣公修公
湯殿之句日野大納言資愛卿
月山之句中納言豐秀卿
文政八年乙酉四月建之
@ 文政八年(一八二五)四月
A 羽黒山別當覺諄建立
C 東田川郡羽黒町手向 羽黒山三神合祭殿(出羽三山神社)手水舎の脇
D 荒沢寺から月山へ登る旧道野口にあったものを昭和四十年七月十二日に移建
F 06092
有 難 や 雪 を か ほ ら す 南 谷
隆明應需書之
@ 文化十五年(一八一八)四月二十一日
A 羽黒山別當覺諄建立
B 西大路三位隆明筆
C 東田川郡羽黒町手向 羽黒山南谷
F 06093
☆石燈籠(右)
雲 の 峯 幾 つ 崩 れ て 月 の 山
@ 明和六年(一七六九)
C 東田川郡羽黒町手向 羽黒山二の坂御坊平若王寺跡前
A 06094
芭 蕉 翁
陰 明和六己丑秀羽州庄内遊耕會・松
@ 明和六年(一七六九)
A 庄内遊耕會・松建立
C 東田川郡羽黒町手向 羽黒山二の坂御坊平若王寺跡前
F 06095
☆石燈籠(左)
語 ら れ ぬ 湯 殿 に ぬ ら す 袂 哉
@ 明和六年(一七六九)
C 東田川郡羽黒町手向 羽黒山二の坂御坊平若王寺跡前
06‐18‐0045
J 06096
辰 霜 や 鳳 尾 の 印 そ れ よ り は 其角
雲 の み ね い く つ 崩 れ て 月 の 山 芭蕉桃・
抜 た り な あ は れ 清 水 の 片 わ ら し 嵐雪
@ 寛延四年(一七五〇)推定
A 芳賀兵左衛門呂笳の建立か
C 東田川郡羽黒町手向 芳賀兵左衛門氏庭
D 呂笳=三山雅集の著者 呂丸の弟子 宝暦元年十二月三十日八十九歳没
K 06097
☆呂丸追悼碑
辭世 消 安 し 都 の 土 そ 春 の 雪 呂丸
右 追悼
死に來てそのさらしの花の陰 野盤子
雁一羽いなてみやこの土の下 洒落堂
當歸より哀は塚のすみれ草 芭蕉庵
左 寛政五癸丑年二月施主三峰翠古執筆竹甫
@ 寛政五年(一七九三)二月 呂丸の百回忌
A 三峰 翠古建立
C 東田川郡羽黒町手向 烏崎稲荷神社
D 呂丸=蕉門 図司氏 近藤氏とも 通称左吉 元禄六年(一六九三)二月二
日京都で客死 出生地・没年・享年は不明だが 四十歳未満と考えられる
芭蕉は彼の早世を悼んでいる 羽黒山の門前手向村に住み 染物業を営む
芭蕉から与えられた『三日月日記』の稿本は 今 鶴岡市の平田家に伝わる
また羽黒滞在中の芭蕉からの『呂丸聞書』(七日草)がある 野盤子=支考
F 06098
凉 し さ や ほ の 三 日 月 の 羽 黒 山
加 多 羅 禮 努 湯 登 廼 仁 奴 良 須 當 毛 東 迦 那
雲 の 峯 い く つ く つ れ て 月 の 山
@ 大正十一年(一九二二)八月
A 三代前の当主早坂広三建立
B 羽黒山三神合祭殿手水舎の脇にある碑の模刻
C 東田川郡羽黒町手向 早坂大進坊
F 06099
語 ら れ ぬ 湯 殿 に ぬ ら す 袂 か な 芭蕉翁
@ 昭和三十年(一九五五)十月
A 佐々木市郎建立
B 小宮豊隆筆
C 東田川郡朝日村 湯殿山神社前
F 06100
☆曾良の句
湯 殿 山 錢 ふ む 道 の 泪 か な 曾良
06‐19‐0046
@ 昭和三十九年(一九六四)十月三日
A 佐々木市郎建立
B 素龍本
C 東田川郡朝日村 湯殿山神社前
F 06101
あ つ み 山 や 吹 浦 か け て ゆ ふ 凉 み 芭蕉翁
@ 昭和四十二年(一九六七)八月二十八日除幕
A 奥の細道観光資源保存会 温海町建立
B 結城健三筆
C 西田川郡温海町暮坪 立石の北寄り塩俵岩の傍
A 06102
蕉 翁
C 西田川郡温海町湯温海 熊野神社
D 数回神社が焼失し その都度火をかぶったという
F 06103
あ つ み 山 や 吹 浦 か け て 夕 す ゞ み はせを
@ 昭和十五年(一九四〇)五月八日
A 遊佐町菅原長治 高橋吉四郎建立
B 矢田挿雲筆
C 飽海郡遊佐町吹浦 吹浦海岸羅漢岩
F 06104
五 月 雨 を あ つ め て 早 し 最 上 川
三世雪中庵蓼太
右 芭蕉翁五月雨塚
@ 安永六年(一七七七)四月十二日
A 松山総連中建立
B 雪中庵蓼太筆
C 飽海郡松山町山寺 塔婆坂(新右衛門坂)
D 蓼太=前出P.0035