04‐01‐0014
A 04001
芭 蕉 翁 蓑 塚
陰 寛政六年甲寅冬十月十二日
@ 寛政六年(一七九四)十月十二日
A 浮月坊鐵船建立
C 仙台市新寺小路 曹洞宗稲荷山妙心院
D 町医真幡東安鐵船が秘蔵せる芭蕉東遊の時の蓑を埋めて塚を築く
E 04002
(篆額) 芭 蕉 翁 蓑 衣 塚 銘
四十八字詰十八行の漢文銘(略)
寛政六年甲寅冬十月十二日
山城州黄檗山高・禪寺蒲庵英識
陰 寛政七乙卯・十月十二日浮月坊鐵船敬識
@ 寛政七年(一七九五)十月十二日
A 浮月坊鐵船建立
C 仙台市新寺小路 曹洞宗稲荷山妙心院
F 04003
風 流 の は し め や 奧 の 田 植 う た はせを
@ 明治二十六年(一八九三)五月推定
A 甫山 烟岳ら総俳士連の建立
C 仙台市桜ケ岡公園 桜ケ岡大神宮の北側
D 碑に紀年銘なし 傍の道しるべに「明治二十六年五月」の紀年あり この年
芭蕉の二百回忌なり 因ってこの年に建立と推定
この神社は元和七年伊勢御分霊 明治五年現在地の北東へ 大正五年現在地
へ移す 甫山=肴町の魚商 鎌田三郎右衛門
F 04004
(篆額)蕉翁碑
は る も や ゝ け し き と ゝ な う 月 と 梅
□政戊子仲春
@ 文政十一年(一八二八)二月
A 佛朔の発起 來巴 鳴鶴 馬年 曰人らの名あり
C 仙台市本町二丁目二一 滝沢神社(レジャーセンター南側)
D 昭和二十年七月十日未明の空襲で破壊 後につなぎ合わせる
曰人=遠藤定矩 別号木間庵 通称清左衛門 白居門 天保七年(一八三六
) 四月二十日没七十九歳 仙台藩士
04‐02‐0015
F 04005
あ や め 草 足 に 結 ん 屮 鞋 の 緒 芭蕉翁
陰 嚮桃・翁巧俳嘗抖・于奧羽乃與藩畫工某善
臨別有鞋基吟載存集中距今九十有四霜云爰雪
中菴嵐雪四世駿東六花菴慕其高風復雲遊于斯
竊謂碑于翁句於藩衆矣然皆他邦之吟今所鐫是確
于藩竟上此句於石
天明壬寅・小春日 行脚官鼠建之
暮かねて鴉啼なり冬木立
@ 天明二年(一七八二)十月
A 行脚官鼠建立
C 仙台市木ノ下二丁目 真言宗智山派国分寺薬師堂準胝観音堂
D 官鼠=羽田氏 乙児の陶氏を継ぐ 伊豆田方郡三浦の人 六花庵二世を継承
したが 乙児没後 蓼太門 享和三年(一八〇三)六月一日没
J 04006
芭蕉翁 あ か ・ ・ と 日 は つ れ な く も 秋 の 風
蓮二翁 十 三 夜 の 月 見 や そ ら に か へ り 花
右 寛保三癸亥・二月七日造立
左 雲裡坊門人等誌焉
@ 寛保三年(一七四三)二月七日芭蕉五十回忌 蓮二(支考)十三回忌追善
A 雲裡坊門人らの建立
C 仙台市榴ヶ岡 榴岡天満宮
D 雲裡坊=渡辺氏 号杉夫 別号有椎翁 尾張の人 支考門 宝暦十一年(一
七六一)没六十九歳 延享四年(一七四七)膳所の義仲寺に入り 無名庵第
五世と号し 幻住庵の再興に尽力した また 『諸国翁墳記』を編纂
J 04007
(篆額)仙台正風・団体記念碑
暮 の 鐘 櫻 の 上 を 通 り け り 古梅菴柳二
美 く し き 物 爭 ひ や 雪 礫 葦菴 梅州
鶯 の 聲 う る は し き 朝 日 か な 芳宜菴桃山
花 咲 い て 七 日 鶴 見 る 麓 か な 芭蕉
遠 山 は 皆 裸 な り 冬 の 月 木免庵龝末
風 輕 う 吹 き て 露 け し 芦 の 花 玉田屋渡舟
鴫 立 し あ と や 月 澄 水 の 色 千草菴精里
紹邸書
陰 団体人名岸富外六名(略) 明治二十九年四月建之
@ 明治二十九年(一八九六)四月
A 仙台正風・建立
B 紹邸筆
C 仙台市榴ヶ岡 榴岡天満宮
04‐03‐0016
C 04008
芭 蕉 翁
雲折・・人を休る月見かな
陰 延享五戊辰・三月/雲裡坊門人等營之主命棠雨
@ 延享五年(一七四八)三月
A 雲裡坊門人等建立
C 石巻市日和が丘二丁目 鹿島御児神社
D 雲裡坊=前出P.0015
L 04009
(篆額)芭蕉翁晩鐘・
塩竈の浦に入相の鐘を聞
五月雨の空聊かはれて夕月夜幽に籬か島もほと近く蜑の小舟こきつれて
肴わかつ聲々つなてかなしもとよみけむ心もしられてい
と哀也其夜目盲法師の琵琶をならして奧上るりと云ものを
かたる平家にもあらす舞にもあらすひなひたる調子うち上て枕
ちかうかしましけれとさすかに辺土の遺風忘れさるものから殊勝に
覺えらる早朝塩竈明・に詣國守再興せられて宮柱ふとしく
彩椽きらひやかに石の階九仭に重り朝日あけの玉かきをかか
やかすかかる道の果塵土の境まて・靈あらたにましますこそ
吾國の風俗なれと貴けれ・前に古き寶燈在かねの戸ひら
の面に文治三年和泉三郎寄進と有五百年來の俤今目の前にう
かひてそそろに珍しかれは勇義忠孝の士也佳名今に至りてした
はすといふ事なし誠に人の道を勤義を守へし名もまた是に隨ふと云り
天明二年壬寅六月煙波亭・中建焉鶴里 魚行 文之 春甫 塩亭
陰 天明二年六月廿五日應家君命以誌藤冢和周
@ 天明二年(一七八二)六月二十五日
A 煙波亭・中建立
B 藤冢和周筆
C 塩竈市 愛宕神社煙波亭跡
D 藤冢和周=塩竈神社神主 林子平の庇護者
L 04010
(篆額)芭蕉翁奧の細道碑
塩竈の浦に入相の鐘を聞く/五月雨の空いささかはれて夕月夜幽か/に籬が島もほど近しあまの小舟こ
ぎ/つれて肴わかつ声々につな手かなしも/とよみけん心も知られていとゞ哀れな/りその夜盲法師の
琵琶をならして奧/淨瑠璃といふものを語る平家にもあ/らず舞にもあらずひなびたる調子うち/あげ
て枕近うかしましけれどさすがに/辺土の遺風忘れざるものかと殊勝に覺/えらる/早朝塩竈の明・に
詣ず/國守再興せられて宮柱ふとしく彩椽き/らびやかに石の階九仭に重なり朝日あ/けの玉垣をかゞ
やかすかゝる道の果/塵土の境まで・靈あらたにましますこ/そわが國の風俗なれといと貴けれ/・前
に古き寶燈ありかねの扉の面/に文治三年和泉三郎寄進とあり五百/年來の俤今目の前にうかびてそゞ
ろに/珍らしかれは勇義忠孝の士なり佳/名今に至りて慕はずといふ事なしま/ことに人よく道を勤め
義を守るべし名/もまたこれにしたがふと云へり/日すでに午に近し船をかりて松島/に渡るその間二
里余雄島の磯につ/く/奉献昭和三十六年五月八日/塩竈観光協會會長櫻井辰治
@ 昭和三十六年(一九六一)五月八日
04‐04‐0017
A 塩竈観光協会建立
C 塩竈市一森山 塩竈神社
F 04011
初 雪 や か け 掛 り た る 橋 の う へ
C 古川市七日町 七日町から三日町へ渡る橋緒絶橋脇
F 04012
か け ろ ふ の 我 肩 に 立 か み こ か な 芭蕉
@ 昭和四十八年(一九七三)十月十二日二百八十回忌
B 真蹟
C 白石市益岡 白石城跡本丸大手門への坂(益岡公園)
K 04013
☆道しるべ
笠 島 は い つ こ 皐 月 の ぬ か り 道 はせを
C 名取市植松四丁目館腰 旧道一ノ橋路傍
D 道祖神社への道しるべ
F 04014
笠 島 は い つ こ 五 月 の ぬ か り 道
@ 安政三年(一八五六)
C 名取市愛島笠島字箕輪 川内沢橋にさしかかる道の西側
F 04015
笠 嶋 や い つ こ 皐 月 の ぬ か り 道
@ 平成元年(一九八九)六月
A 名取市長石川次夫建立
B 名取市長石川次夫筆
C 名取市愛島笠島字西の台 道祖神社
F 04016
あ や め 草 足 に 結 は ん 草 鞋 の 緒 はせを
碑面下部 むかしよりよみ置ける/歌枕多く語傳ふといへと/も山崩れ川流れて道あ/らたまり
石は埋て土に/かくれ木は老て若木に/かはれば時移り代變じ/て其跡たしかならぬ
事/のみを爰に至て疑なき/千・の記念今眼前に古/人の心を閲す行脚の一/・存命
の悦び羇旅の勞/をわすれて泪も落るはか/り也 奧の細道抄
陰 奧の細道仝人
未雨 雨人 落人 清水 苳村ら五人の句あり(略)
昭和二年五月八日翠雨謹書
@ 昭和二年(一九二七)五月八日
A 奧の細道仝人建立
04‐05‐0018
B 翠雨筆
C 多賀城市市川 多賀城碑脇
C 04017
芭 蕉 翁
さくらより松は二木を三月越し
左 これより二木の松二十余
@ 寛政五年(一七九三)百回忌
A 六世東龍斎渡辺謙阿建立
C 岩沼市稲荷町 竹駒神社表参道
F 04018
☆誤伝
そ の か み は や つ な り け ら し さ よ き ぬ た 公羽
C 刈田郡七ヶ宿町湯原 路上
D 公羽の句 公羽を翁と読み誤る
F 04019
鶯 の 笠 落 し た る 椿 哉
@ 弘化三年(一八四六)
A 一日菴江三建立
C 柴田郡大河原町新寺 旧奥羽街道韮神山の麓
F 04020
名 月 や 池 を め く り て 夜 も す か ら 芭蕉翁
@ 明和八年(一七七一)
A 碓花坊也寥建立
C 柴田郡柴田町船岡 曹洞宗妙高山大光寺
D 碓花坊也寥=当寺住職 雪中庵白雄の参禅の師である 前出P.0010
F 04021
蓬 ・ に 聞 か は や 伊 勢 の 初 た よ り
C 伊具郡丸森町館矢間 佐藤氏宅
C 04022
芭 蕉 翁
朝よさを誰まつしまの片心
陰 延享四丁卯年十月十二日勢州桑名雲裡坊門人
@ 延享四年(一七四七)十月十二日
A 雲裡坊門人仙台冬至菴連建立
C 宮城郡松島町松島 雄島
D 雲裡坊=前出P.0015 冬至菴連=山本白英 酒井東鯉 永野鯉童 蔭山芦白
山田丈芝 三浦東水 飯田狐才 田中阿川 奥田可耕
04‐06‐0019
F 04023
☆曾良の句
松 島 や 鶴 に 身 を か れ ほ と ゝ き す 信州諏訪之産曾良
@ 文化六年(一八〇九)
A 諏訪の俳人藤森素檗建立
B 遠藤曰人筆
C 宮城郡松島町松島 雄島
D 素檗=通称鳥屋太郎右衛門 晩年薙髪して福・と号した 信州上諏訪の油商
暁台門 文政四年(一八二一)二月二十六日没六十四歳 生涯諏訪を出ず
といわれるが 疑問 松島では素檗が曾良を追慕して 松島に杖をひき 遠
藤曰人に依頼して建碑したとしている 諸国行脚俳人から俳関といわれた
曰人=前出P.0014
L 04024
(篆額)芭蕉翁松島・並序
抑ことふりにたれと松島は扶桑第一の好風にして凡洞庭
西湖を恥す東南より海を入て江の中三里浙江の潮をたゝふ
島・・の數を盡して欹ものは天を指ふすものは波に匍匐あ
るは二重にかさなり三重に疊みて左にわかれ右につらなる
負るあり抱るあり兒孫愛すかことし松の・こまやか
に枝葉汐風に吹たはめて屈曲をのつからためたるかことし
其氣色・然として美人の顏を粧ふちはや振・のむか
し大山すみのなせるわさにや造化の天工いつれの人か筆
をふるひ詞を盡さむ
松島や鶴に身をかれほとゝきす 曾良
陰 寛政元年孟冬白文之記
@ 寛政元年(一七八九)十月
A 塩竈の俳人白坂文之建立
C 宮城郡松島町松島 雄島
L 04025
芭蕉翁奧の細道松島の文
抑ことふりにたれと松島は扶桑第一の好風にして凡洞庭
西湖を恥す東南より海を入れ江の中三里浙江の潮を
たたふ島々の數を盡して欹つものは天をゆひさし伏すものは
波にはらはふあるは二重にかさなり三重にたたみて左にわかれ
右につらなる負へるあり抱けるあり兒孫愛するか如松の
みとりこまやかに枝葉汐風に吹たわめて屈曲をのつから
ためたるかことし其氣色・然として美人の顏をよそほふ
ちはやふる・のむかし大山すみのなせるわさにや造化の天工
いつれの人か筆をふるひ詞を盡さむ
本城兩足山廿三世無底叟靈應需書
左↓陰↓右 はるの夜の爪あかりなり瑞巖寺 古人乙二
松島やここに寢よとよ花すみれ 曰人
寢れは水のうちにありけり千松島 大坂催主鼎左
松島や水無月もはや下りやみ 同江戸一具
04‐07‐0020
吹きわたる千島の松にはるの風 由誓
松島に□ころの□はなれけり 西馬
こころややまとめて月の千松島 須賀川多代女
さし汐に名をさへすこし扇谷 禾月
松島やほのかに見出す秋の空 宗古
月こそと思ふに雪の千松島 心阿
松島やしまにかくれて殘る秋 舎用
松島や□□□□をなく□□□ 如雲
嘉永四年辛亥彌生望建之
寒山樵夫三余千常書
@ 嘉永四年(一八五一)三月十五日
B 大年寺廿三世無底筆
C 宮城郡松島町松島町内 臨済宗妙心寺派・龍山瑞巖圓・禪寺
D 兩足山=仙台市茂ヶ崎一丁目黄檗宗兩足山大年寺 乙二=前出P.0001 曰人
=前出P.0014 鼎左=藤井氏 別号鳳棲舎・桃の本 師希淵の後を継ぎ 花
屋庵・大黒庵とも号した 備後に生まれ 大坂住 明治二年(一八六九)没
六十八歳 一具=俗姓高橋氏 福島大円寺住職 号夢南・十夢・一具庵 山
形楯岡の生まれ 晩年江戸住 乙二門 嘉永六年(一八五三)十一月十七日
没七十三歳 由誓=豊嶋氏 通称久臧 坎窩久臧と号し のち為誰庵由誓に
変えた 江戸の人 成美門 安政六年(一八五九)没七十一歳 成美の家井
筒屋の番頭 西馬=上州高崎の人 養家先は左官職 俳諧師を志し 文政九
年(一八二六)当時高崎住の逸淵に入門 弘化三年(一八四六)江戸に出て
新橋宗十郎町に惺庵を開く 安政五年(一八五八)八月十五日没五十一歳
多代女=晴霞庵 須賀川の生まれ 雨考に導かれ道彦に入門 道彦没後は乙
二に学ぶ 文化三年三十一歳で夫に死別 文政六年江戸に出て 福島大円寺
住職で江戸在住の一具の許に止宿 慶応元年(一八六五)八月八日没九十歳
E 04026
(篆額=行書) 芭 蕉 碑 瑞巖五雲
松島町 宮城県俳句クラ/ブ共催で第一回大会を催し/たのは昭和三十年十一月/爾来 阿部みどり女
遠藤/梧逸 永野孫柳 さらに第/七回からは佐藤鬼房の地元/四氏と中央俳壇から二名の/有力俳人
を選者に迎え逐年/発展の一途に在る ここに/二十周年を記念 県の協催/及び県内俳人有志の協力
を/得て斯道一層の精進を期し/碑を建立する/昭和四十九年十一月十日/松島芭蕉祭並びに全国俳句
/大会二十周年記念事業委員会/委員長 伊藤政治
@ 昭和四十九年(一九七四)十一月十日
A 芭蕉祭二十周年記念事業委員会建立
B 篆額 加藤隆芳瑞巖寺百二十八世五雲筆由来文 石崎素秋撰文 菅野要助筆
C 宮城郡松島町松島町内 臨済宗妙心寺派・龍山瑞巖圓・禪寺
F 04027
藤 の 實 は 俳 諧 に せ ん 花 の あ と
C 黒川郡大和町吉岡町裏 八幡神社
F 04028
卯 の 花 や く ら き 柳 の お よ ひ こ し
04‐08‐0021
C 黒川郡大和町吉田字一ノ坂 臨済宗妙心寺派保福寺
C 04029
芭 蕉 翁
枯れ枝に烏のとまりけり秋の暮
A 秋田吉川五明門吾長房建立
C 加美郡中新田町 真言宗智山派八幡山長興寺
D 五明=前出P.0007
B 04030
俵坊鯨丈
芭 蕉 翁
主立周谷
陰 蚤虱馬の尿する枕もと
左 明和五戊子六月十二日建
右 尿前連中 鯨角刻
@ 明和五年(一七六八)六月十二日
A 鯨丈 周谷建立
C 玉造郡鳴子町尿前 尿前の関跡
D 芭蕉塚は形態によって 分類しなければならないことに気付いた塚
F 04031
山 里 は 萬 ・ 遲 し 梅 の 花
C 玉造郡鳴子町鬼首字原 札場跡
F 04032
☆存疑
百 景 や 杉 の 木 の 間 の 色 美 し さ
C 栗原郡築館町西小山 曹洞宗医王山雙林寺薬師堂
F 04033
か ら か さ に お し わ け 見 た る 柳 か な
C 栗原郡若柳町南口 琴平神社
I 04034
け ふ は か り 人 も 年 よ れ 初 し く れ
野 は し つ け た る 麥 の あ ら 土
春 雨 も 時 に と り て や し く れ 塚
C 栗原郡一迫町真坂 秋葉神社
D 第三はこの歌仙のものでない
04‐09‐0022
F 04035
☆存疑
小 憎 と は 弁 慶 岩 の 早 松 茸
C 栗原郡一迫町長崎 弁慶岩(郵便局の裏手)
E 04036
芭 蕉 衣 が け の 松
B 菅原通敬無一道人筆
C 栗原郡一迫町王沢(旧姫松村) 祠堂ヶ森
D 碑陰に土地の俳人高橋全蔵の句あり
A 04037
芭 蕉 翁 供 養 塔
C 栗原郡金成町金成 路上
E 04038
芭 蕉 翁 一 宿 之 跡
右 元祿二年 昭和九年
五月十三日 九月建立
竹醉會
@ 昭和九年(一九三四)
A 竹醉會建立
B 河東碧梧桐筆
C 登米郡登米町寺池三日町 北上川河畔堤防の上
F 04039
奥の細道一宿の地
ふ る 池 や 蛙 飛 込 む 水 の 音
@ 昭和五十七年(一九八二)
C 登米郡登米町寺池 旧登米高等尋常小学校第一号校舎(県重文)前
F 04040
降 ら す と も 竹 植 う る 日 は 蓑 と 笠
陰 寺池里 一宿庵・中建
@ 明和七年(一七七〇)五月十三日
A 一宿庵・中建立
C 登米郡登米町寺池道場山 登米神社
D 五月十三日は竹酔日と言う 曾良随行日記によれば 登米に五月十一日に泊
まったわけだが 曾良随行日記未発見の時代 おくのほそ道本文に「十二日
平泉と心ざし」 その翌日「戸伊摩と云所に一宿して」とあるところから十
三日泊りと考えられていた
04‐10‐0023
F 04041
木 の 下 は 汁 も 膾 も さ く ら か な 芭蕉翁
A 左笠建立
C 登米郡東和町米谷 米谷公園
C 04042
芭 蕉 翁
川上とこの川下や月の友
@ 文政九年(一八二六)八月十五日
A 橘元良建立
C 桃生郡河南町鹿又字町浦 八雲神社(牛頭天王社)
L 04043
おくの細道の碑(横書)
(文章不明)
C 本吉郡津山町大柳津 国道45号線沿い
F 04044
こ の あ た り 目 に 見 ゆ る も の み な す ゝ し
C 本吉郡唐桑町崎浜 御崎神社末社陽沼明神陰沼明神
05‐01‐0024
B 05001
芭 蕉 翁
左 四ッ五器のそろはぬ花見こゝろ哉
陰 安永四年乙未十月建立五明
@ 安永四年(一七七五)十月
A 吉川五明建立
C 秋田市八橋字下八橋 日蓮宗塚原山宝塔寺
D 五明=前出P.0007
F 05002
物 言 へ は 唇 寒 し 秋 の 風
C 秋田市土崎港中央一丁目(旧土崎湊愛宕町) 愛宕神社
F 05003
物 言 へ は 唇 寒 し 秋 の 風
C 能代市御指南町 日吉神社
F 05004
く た ひ れ て 宿 か る こ ろ や 藤 の 花
C 能代市柳町 八幡神社
B 05005
芭 蕉 翁
右 しはらくは花の上なる月夜かな
C 能代市萩の台 浄土真宗本願寺派願勝寺
C 05006
芭 蕉 翁
古池や蛙とひこむ水の音
陰 願主石田吐月
寛政三年辛亥十月十二日建之
@ 寛政三年(一七九一)十月十二日
A 石田吐月建立
C 大館市谷地町 金毘羅神社(良風院址)
F 05007
春 の 夜 は 櫻 に あ け て 仕 舞 け り
05‐02‐0025
C 大館市十二所下町 曹洞宗塩谷山長興寺
C 05008
芭 蕉 翁
やす・・と出ていさよふ月の雲
五明門十二所連中建之
@ 天明年間=天明八年(一七八八)推定
A 五明門十二所連中建立
C 大館市十二所 浄土真宗本願寺派浄応寺
F 05009
川 上 と 此 川 下 や 月 の 友
@ 文政三年(一八二〇)
C 大曲市角間川町 日蓮宗覚善寺
F 05010
古 池 や 蛙 と ひ こ む 水 の 音
C 鹿角市花輪上花輪 曹洞宗鳳林山長年寺
F 05011
何 の 木 の 花 と も 知 ら す に ほ ひ か な
C 北秋田郡比内町扇田本道端 神明社
F 05012
し は ら く は 花 の 上 な る 月 夜 か な
C 山本郡二ッ井町駒形入口南の山 駒形橋の脇の石段の上
F 05013
松 杉 を 譽 て や 風 の 薫 る 音 芭蕉翁
右 小□庵能代照井氏知梁建之
洛蝶夢門補助羽萬黒
@ 寛政五年(一七九三)推定
A 照井知梁建立
C 山本郡八森町八森字館 白瀑神社
D 蝶夢=号五升庵・泊庵 法号幻阿弥陀仏 京都に生まれ 幼時から法国寺其
阿に師事 十三歳で阿弥陀寺中帰白院に転じ 俳諧を知り 机墨庵宋屋につ
いた 二十五歳帰白院の住職となり このころ蕉風を知った 一方檀施によ
る生活を嫌い 三十六歳院を法嗣に委ね 岡崎に庵を結んで退隠し 伊賀桐
雨から芭蕉の短冊「米五升」を贈られ 五升庵と名付け二十余年住む 天明
七年泊庵を建てたが 翌春の大火に焼けた某寺に寄進した 寛政七年(一七
九五)十二月二十四日没六十四歳 墓所京都阿弥陀寺 蝶夢は高潔・篤実・
敬虔な一仏徒で 職業俳人ではなかった
05‐03‐0026
F 05014
名 月 や 麓 の 霧 や 田 の 曇
C 南秋田郡五城目町石田六ヶ村 常演寺
F 05015
月 い つ こ 鐘 は し つ め る 海 の 底
C 南秋田郡八郎潟町夜叉袋 諏訪神社
F 05016
疑 ふ な 潮 の 花 も 浦 の 春
C 由利郡仁賀保町平沢 丁刃森
F 05017
今 日 は か り 人 も 年 寄 れ 初 し く れ
C 由利郡金浦町不の浦山 国道筋
F 05018
ほ と ゝ き す 大 竹 藪 を も る 月 夜
C 由利郡金浦町大竹 路上
L 05019
象潟
きさかたの雨や西施か
ねふの花
夕方雨やみて處の
何かし舟にて江の中を
案内せらるゝ
ゆふ晴や櫻に凉む
波の華
腰長の汐といふ處は
いと淺くて鶴おり立て
あさるを
腰長や鶴脛ぬれて海凉し
武陵芭蕉翁桃・
@ 昭和四十七年(一九七二)六月十六日
A 芭蕉文学碑建立委員会建立
B 真蹟
C 由利郡象潟町 JR東日本象潟駅前
C 05020
芭 蕉 翁
象潟の雨や西施かねふの花
陰 寶歴十三癸未九月/願主本庄英良/助力水戸行脚林庄/連中矢蔦瀧淡塩越
05‐04‐0027
@ 宝歴十三年(一七六三)九月
A 本庄英良建立
B 水戸行脚五老峰筆
C 由利郡象潟町象潟島 曹洞宗皇宮山蚶満寺
F 05021
ひ と つ 脱 て う し ろ に お ひ ぬ 衣 か へ
C 由利郡岩城町亀田地蔵坂 天鷺神社
F 05022
し は ら く は 花 の 上 な る 月 夜 か な
C 由利郡由利町新屋敷 新屋敷公民館
F 05023
古 池 や 蛙 と ひ こ む 水 の 音
C 由利郡東由利町 大物忌神社
F 05024
古 池 や 蛙 と ひ こ む 水 の 音
C 仙北郡協和町船岡上宇津野 路上
F 05025
城 趾 や 古 井 の 清 水 先 つ 問 む
C 平鹿郡雄物川町今宿横越 寒泉跡